第11話 宝物殿の盗賊

 ある日の夕刻。

 王宮の警護処けいびどころに衝撃が走った。

「何だと! 王宮の宝物殿ほうもつでんに忍び込んだ者がいるだと!よもや、何か盗まれたものがあるのか?」

 そう聞いた警備隊長に向かって、部下の警護兵がおずおずと報告を行った。

「それが…。異国からみかどに献上された宝物の半分近くが、持ち出されております。直ぐに探索を行なっているのですが…。賊は、いまだに王宮内にひそんでいる可能性があります。」

「馬鹿者。王宮の宝物殿が荒らされ、その宝物ほうもつが奪われるなど…。何という失態だ。直ぐに警備処の全員を招集しろ。ずは、王宮周囲のへいに見張りを出して、逃走経路をふさげ。その後、王宮内を虱潰しらみつぶしに探索するのだ。何がなんでも賊を探し出して、盗まれた宝物を取り戻すのだ!」

 隊長の怒号を聞いた部下の警護兵が、言いくそうな顔付きで質問を発した。

「わかりました。それで…。王宮上部への報告は、どう致しましょう? 此れは報告が必要な事案ではないでしょうか?」

 部下の進言を聞いた隊長は、息を呑んだ。

 そしてしばらく考えた後に、苦しげに言葉を発した。

「お前の言う通りだ。上への報告は直ぐに行え。しかし我らの名誉にかけて、何が何でも我ら自身の手で賊を捕らえるのだ。軍の出動にまでなれば、我らの面目めんぼく丸潰まるつぶれとなる。」

 命令を受けて後ろに下がった警備兵に代わって、別の兵が進言を行った。

「ならば賊を捕らえるまでの間、王宮全体を外出禁止にすべきではないでしょうか。何処どこに賊が潜んでいるかは、いまだに分かっておりません。外出禁止の理由など、何とでも付けられると思います。」

 その進言を聞いた隊長は、少し考えた後に決断を下した。

「直ぐに外出禁止の発令は出さぬ。夜半や朝方に外に出る者など、王宮にはほとんるまい。外出禁止など発令すれば、どんな理由であってもいたずらに不安をあおることになる。何よりも我らが為すべき事は、一刻も早く賊を捕らえる事だ。ただし、明日の昼前までに賊を捕らえる事が出来なかった場合には、やむを得ない。その時には、外出禁止を発令しろ。」

 命令を受けた兵がその場を立ち去ろうとした時、隊長がその兵の背中に声を掛けた。

「待て。明日の朝一番で、文官や職人達の宿舎に兵達を派遣して、王宮内の林や森に出掛けようとする者がいた場合には足止めしろ。外出禁止といった大袈裟おおげさなものは避けたいが、万が一の危険は考えねばならぬ。彼等かれらは、身を守る武器をびてはおらぬからな。」


 次の朝。

 この日は、耀春ようしゅん何恭かきょうとともに野外に出掛ける日だった。

 その朝、耀春はいつものように画帳を抱えて、何恭と共に王宮の林に向かっていた。

 二人の後ろには、これもいつものように露摸ろぼが従っていた。

「露摸。今朝は良いお天気ね。水辺はきっと気持ちが良いわよ。今日は、露摸の好きな水浴びが出来るわね。」

 そう言って振り返る耀春に向かって、露摸は嬉しそうに尻尾を振った。

 綺麗好きの露摸は、何時いつでも自分の毛並みの手入れをおこたらなかった。

 特に水浴すいよくが大好きで、天気の良い日には、耀春が王宮内を流れる谷川に連れ出してやっていた。

 今日は絶好の水浴日和すいよくびよりだと、耀春は思った。


 何恭と耀春が外出してしばらくした時、絵画処かいがどころの宿舎の扉が叩かれた。

 絵師の一人が、寝起きの眼をこすりながら扉を開けると、其処そこには数人の警備兵の姿があった。

「今朝、誰か外出した者はおりますか? または午前中に森や林に出掛ける予定のある者は?」

 急な警備兵達の訪問に驚きながらも、絵師は直ぐに答えた。

「今日は、師匠の何恭様と耀春が、絵を描く為に出掛ける日だった筈です。この時刻ならば、もう出掛けておりますね。」

 それを聞いた警備兵達の顔色が変わった。

何処どこに出掛けたのです?」

何時いつもならば、王宮の中の林ですね。今日は天気も良いですから、恐らく谷川の辺りだと思いますが…。何かあったのですか?」

 一人の警備兵が、上官らしき兵に向かって尋ねた。

「早く後を追わねば、危険ではないですか?」

 すると、その兵の言葉を耳にした絵師が、手を振ってみせた。

「何があったかは知りませんが、師匠と耀春なら大丈夫だと思いますよ。あの二人のそばには露摸が付いて行ってますから。」

 それを聞いた上官が、何事か思い当たったように直ぐに指示を出した。

「急いで二人の元に急行するぞ。」

 そう言ってきびすを返した上官の背中を、絵師がぽかんとした顔で見送った。

 林の方角に向かって速足となった上官の後を、部下達があわてて追った。

「班長。あの絵師が言っていた露摸って、あの白いおおかみですよね。王宮の守護神と呼ばれている…。その狼が一緒なら、危険は無いのではありませんか?」

 そう尋ねる部下達に向かって、上官が早足のまま答えた。

「確かに露摸が一緒なら、例え賊と鉢合わせしても心配などないだろう。だが、大事な事を失念しつねんしていた。狼というけものは、恐ろしく鼻が効く。それが露摸ともなれば、賊達の居場所など、いとも簡単にぎ当ててくれる筈だ。昨夜のうちにそれに気づいて、露摸に応援を求めるべきだった。今から直ぐに、露摸のあるじにそれを頼みに行く。お前は捜索隊に連絡して、我等われらに合流して貰うように連絡を入れろ。急げ。」


 何恭と耀春は、林に踏み入ると、川辺に向かって歩みを進めていた。

 ふと耀春が振り返ると、露摸の姿が見えなくなっていた。

 また、野兎のうさぎでも、見つけたのかしらね。

 絵画処のみんなは、何時いつも露摸が狩ってくる獲物があると、それを使って私が料理を作るのを楽しみにしてるから…。

 でも一匹だけじゃあ、いつも串焼きの奪い合いになっちゃうのよね。

 まぁ、露摸なら、その辺りは分かってくれてると思うけど…。

 そんな事を思いながら、耀春は先を進む何恭の後を追った。

 二人が何時いつも立ち寄る川辺に達した時、突然目の前のやぶが揺れた。

 そして、薮の中から十人近い男達が姿をあらわした。

 男達の姿を見た何恭が、直ぐに耀春を背後に押しやった。

「何者だ。此処ここは王宮の敷地だぞ。お前達のような者共が、足を踏み入れて良い場所ではない。」

 何恭と耀春の姿を認めた男達は、せせら笑いながら二人の前に立った。

じじいと小娘が何を言う。どうやら王宮の者のようだな。人質には丁度良い二人だな。」

 そう言いながら二人に近づこうとした男達の足が突然止まった。

 そして、男達全員の顔におびえの表情が生じた。

 男達の目の前に、威嚇いかくの姿勢をとった白い狼が、ゆっくりとした足取りで姿を見せた。

 露摸の姿を見た賊達の全員が、思わず後ずさった。

「な、何なんだ、こいつは!王宮の中に、何で狼がいるんだ?」

 すると一人の男が、気を取り直したように叫んだ。

「びびってるんじゃねぇ!ようやくお宝を手に入れたんだぞ。あの先の塀を乗り越えれば、それで目的達成なんだ。何が何でも此処ここから逃れるんだ。たとえ狼だろうが、所詮しょせんけものだ。全員で一斉にかかれば仕留められる!」

 その男の声に励まされるように、賊達は武器を構えた。

 それを見た露摸が、威嚇の構えを解くと、前脚を踏ん張って攻撃の態勢に移った。

 その様子を見た耀春が叫んだ。

「露摸、駄目よ。誰も傷つけては駄目!」

 耀春の声を耳にした露摸は、直ぐに攻撃の構えを解いた。

 そして、賊達を見据みすえたまま、ゆっくりと前に進み出た。

 男達が武器を手にして、一斉に露摸に襲い掛かろうとした刹那せつな、露摸の眼が金色こんじきに光った。

 露摸の眼から発した金色の光にとらえられた男達は、一瞬にして動きを止めた。

 一人の賊が、大きく眼を見開いたまま呻き声を挙げた。

「か、身体が動かねぇ。どうなってるんだ、これは…。」

 男達が懸命に身悶みもだえする中、そこに警備処けいびどころの兵達が駆けつけて来た。

 警備兵達に縄を打たれた男達は、その場から引き立てられる前に、恐怖に満ちた眼で露摸を見詰みつめた。

「あ、あれは化け物だ。お前達に捕まって良かった。そうでなければ、俺たちは切り裂かれて血肉の固まりになっていただろう。」


 耀春と何恭が襲われたとの報告を受けて、絵画処には華真かしんが駆けつけていた。

 絵画処の玄関前で、華真は耀春から露摸の超常的ちょうじょうてきな行動を聞いた。

 華真は、腕を組んで考えを巡らせた後に、長い息を吐いた。

「恐らくですが…。これは瞳術どうじゅつですね。」

 華真の言葉を聞いた警備処の隊長が、恐る恐る質問を発した。

「瞳術とは…?それはどのようなものなのですか?」

 隊長から問われた華真は、溜息をいた後にぼそりと答えた。

「仙人が使うとされている術です。催眠術のようなものと言われています。瞳術にとらわれた者は、おのれの自由を全て奪われて、術者じゅっしゃの思うがままに動かざるを得なくなるのだとか…。まさか露摸が瞳術の使い手だとは、思ってもいませんでした。」


 露摸が盗賊を捕らえた話は、たちまちの内に王宮全体に拡がった。

 そして、それを知った王宮の一部の文官達が、また動き出した。

「やはり、あの狼は神の使いだ。仙人だけにしか持てぬ術を易々やすやすと使えるというのが、そのあかしだ。ならばあの狼は、国の守り神としてたてまつるべきだ。娘一人だけの護人まもりびとにしておくなど、許されるものではない。」

 勿論、その意見に躊躇する者もいた。

「でも、露摸のあるじの耀春殿の母者は、あの華真殿の妹御の華鳥殿ですよ。更に父親の潘誕殿も、華鳥殿と揃って暁建国の立役者の一人だと言う事は、王宮上部の人間なら誰もが知っています。その娘御から、露摸を取り上げるなんて、そんな事して大丈夫なんですか?」

 しかし、多くの文官達がその意見を封殺した。

「暁建国に貢献した者の身内ならば、尚のこと露摸は国に捧げるべきではないか。そのくらいの事説得出来ぬなら、暁の臣下とは言えぬ。」

こうして多くの文官達が、露摸を耀春から取り上げようと動き始めた。

 それを聞いた志耀は、珍しく怒りをあらわにした。

 そして直ぐに、それを主張する者達を自分の前に呼び出した。

貴方達あなたたちは、何を考えているのです。露摸のあるじは、あくまで耀春です。自分達の勝手な思い込みで、まことの主から露摸を引き離そうとするなど…。そのような考え、断じて許せません。もし、貴方達の言う通りにしたなら、露摸は直ぐに我等われらの前から姿を消しますよ。露摸を神の使いと言うのなら、そうした存在は、人の身勝手な考えで思い通りにはならぬと知るべきです。しかも、貴方達の主張は、露摸が主と認める耀春をも軽んじている。そんな主張の何処どこに理があるのです? 私の考えに異論があるなら、この場でもう一度、その言い分を堂々と主張してみて下さい。」

 今までに見た事がないほどの志耀の怒りを前にして、呼び出された官僚達全員が震え上がった。

 そして、その後同じような事を口にする者はいなくなった。

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