第9話 耀春と炎翔 それぞれの日々

 絵画処かいがどころ耀春ようしゅんが寝起きするのは、小媛しょうえんと同じ部屋だった。

 耀春の絵画処での最初の一年は、主に下働きで明け暮れた。

 朝一番に、ず仕事場に紙を準備したり、画材を揃えたりして、絵師達が仕事をする準備を整える。

 そして絵師達が仕事を始めると、耀春はそのかたわらに座り、ずっと彼等の筆捌ふでさばきに見入った。

 夕刻になると、その日使った絵具を片付けて、描きかけの絵が傷まないように布でおおう。

 そして仕事場の掃除をすると、一日が終わる。

 身体の小さな耀春にとっては手に余る作業もあったが、そんな時には、いつも小媛が手を貸してくれた。


 耀春が小媛と共に寝起きする小部屋の横の庭には、露摸ろぼ住処すみかとして小さなやしろが設置されていた。

 実は、露摸の王宮入りを最も歓迎したのは、王宮上層部の文官達だった。

 彼らは、潘誕の店がある地域で守護神とあがめられている露摸の噂を良く知っていた。

 王宮の中で露摸を神の使いだと言い出したのも、他ならぬ彼等かれらだった。

 露摸を王宮の守護神として召し上げる事を、志耀に上申じょうしんしたほどである。

 その上申は志耀によって即座に却下されたが、その露摸のあるじが、自分の方から露摸を宮中に入れる事を願い出て来たのである。

 喜び勇んだ官僚達は、最初はみかどの寝所の前庭に、露摸の住処すみかとして大きなやしろを建設する事を提案した。

 神の使いである守護神に相応ふさわしい立派な社の建設を、彼等は求めた。

 その提案も志耀があっさりと却下した事で、すったもんだの挙句あげく、耀春の住む部屋の横の庭に小さな社を設置する事でようやく決着したのである。

 耀春が朝早く起きて部屋の窓を開けると、庭には何時いつも姿勢を正して座る露摸の姿があった。

 その頼もしい勇姿を眼にするたびに、耀春は何とも言えない安心感を覚える。

 休みの日には、皆の眼を盗んで露摸を部屋に招き入れ、小媛と共に露摸の大きな身体に寄り添って昼寝をした。


 絵画処の絵師達は、耀春の住み込みを大いに歓迎した。

 特に故郷に娘や小さな妹を残して絵画処にやって来た者達は、耀春に各々の家族の面影を見出みいだして耀春を可愛がった。

 多くの絵師達が、自分の持つ絵の技法を、進んで耀春に教えてくれた。

 しかし、耀春があっという間に自分達の技法を体得する様子には、誰もがきもつぶした。

 三月みつきもしない内に、教える側と習う側の立場が逆転した。

 絵師達は一様いちように、耀春が語る説明の分かりやすさに感嘆した。

 月に二度は、人相書の技術を学びに警護所から絵師が何人かやって来た。

 その時の教授役は、耀春である。

 その授業には、絵画処かいがどころの絵師達も多く集まり、真剣な表情で耀春の筆捌ふでさばきに視線を送り、説明に聴き入った。


 そんな絵画処の生活で、耀春が楽しみにしているものが、潘誕はんたんが週に一度差し入れてくれる弁当だった。

 潘誕と顔を合わせる事は出来なかったが、父の得意料理を定期的に味わう事が出来るのは、何より嬉しかった。

 この弁当の差し入れ、実は最初は華鳥かちょうからは反対されていた。

 里心さとごころあおるような事は好ましくない、と言う理由だった。

 しかし潘誕が粘りに粘って、とうとう華鳥を押し切った。

 耀春に会いに行く事は差し控えるが、離れていてもお互いの繋がりを感じられるものは絶対必要だと主張し、最後には華鳥が根負けした。

 弁当が届いた晩の耀春は、いつも小媛と一緒にわくわくしながら弁当箱のふたを開けた。

 そして二人で、味の感想を述べ合いながらはしを進めた。

 そんな二人の横には露摸が座って、相伴しょうばんを待っていた。

 時には、大きな桶一杯おけいっぱいの料理が届けられた。

 その時は絵画処の全員が集まって、大部屋での大宴会となった。


 耀春の弁当を楽しみにしているのは、潘誕も同様だった。

 潘誕は、店の定休日の昼過ぎに弁当を作り終えると馬を駆って王宮まで行き、弁当を包んだ巾着きんちゃくを門番に預ける。

 次の日の午後にまた王宮までやって来ると、今度は空の弁当箱を包んだ巾着をくわえた露摸ろぼが門の前で待っていた。

 露摸の横に立つ門番が、何時いつも緊張した表情で露摸に眼をる姿が、潘誕の眼には妙に滑稽こっけいに見えた。

 空の弁当箱を露摸から受け取った潘誕は、帰り道である王宮と店を繋ぐ街道の脇で、いつも馬を停めた。

 そして、弁当箱の包みを持って草叢くさむらに腰を下ろす。

 巾着をき、弁当箱の蓋を開けると、その中にはいつも耀春からの手紙が入っていた。

 手紙は、決まって弁当への御礼と味の感想から始まり、その後には耀春の近況がしるされていた。

 潘誕はその手紙に何度も眼を通し、その後草叢に寝転んで、しばしの間頭の中で耀春との会話を楽しんだ。


 絵画処に来て二年目に入った時、何恭かきょうによる個人指導が始まった。

 個人指導は、絵画処の部屋ではなく何時いつ野外やがいである。

 野外に出掛ける何恭と耀春の後ろには、常に露摸が付き添っていた。

 ある日、寝起きの相部屋あいべやで、小媛が耀春に問いかけた。

「ねぇ耀春...。ちょっと聞いてもいいかな?」

 そう言ってかたわらに座る小媛に、耀春は顔を向けた。

「どうしたのですか? 何か絵の技法についての話ですか?」

「そうじゃないのよ。貴女あなたは三日に一度は、朝方早くから何恭様と一緒に外出してるよね? それがもう一年も続いている。何処どこに、何をしに行ってるの? 帰ってきてからの貴女は、何時いつも何か考え込むような様子をしてるし...。ずっと気になってるのよね。」

 そう言って心配そうな顔つきを見せる小媛に、耀春が答えた。

「何恭様といつも行くのは、近くの森や谷川です。そこで何恭様は、私に絵を描かせるんです。『ただ描くのではなく、心に浮かぶものを描け』とおっしゃって...」

「描くものについては、何か指示されるの? 花を描けとか、風景を描けとか...」

「ううん...。何時いつもただ、『心に浮かぶものを描け』....そうおっしゃるだけです。私は、目の前にある花や草木を描くんですけど...。」

「そりゃそうよね。それで何恭様は、耀春の描いた絵に、何か批評をしてくれてるの?」

「いえ....。いつも絵を一眼見るなり、その場で破ってしまわれます。」

 それを聞いた小媛は、眼を丸くした。

「それってひどいじゃない。絵を描け...と命じておきながら、黙って破ってしまうなんて。」

 すると耀春は、考え込むように小首をかしげた。

「ううん...。何もおっしゃらないのではありません。いつも『れは只の写生だ。わしは心に浮かぶものを描けと言っておる』...そうおっしゃいます。」

 小媛は、呆気にとられた顔つきになった。

「何、それ... さっぱり意味がわからないじゃない。」

「私は、紙の上に、花や草木が其処そこにあるかのようにしようと一生懸命いっしょうけんめい)に描くんですけど...。何恭様は何時いつも、『此処ここには、お前の心はない』とおっしゃるだけです。小媛様が、私がいつも考え込んでると言われましたが、それは何恭様がおっしゃる意味を考えてる時の私を見て、そう感じられたのだと思います。」


 絵画処の廊下で、小媛は季煌きこうに耀春との会話を伝えた。

「ねぇ、季煌。耀春がそんな風に言うんだけど....。何恭様が、耀春に何をさせたいのか...貴方にわかる?」

 小媛から話を聞いた季煌は、肩をすくめた。

「さっぱり分からん...。紙の上に、まるで其処そこに実物が存在するかのように描くのは、耀春だけが出来るわざだ。耀春は一つの技法だけじゃなく、様々な技法を組み合わせて絵を描く。人や動物であれば、まるで生きているかのように表現するすべを直感的にぎ分けられる。それでは駄目だと言うのか....。」

「そうなのよねぇ。耀春が描いた花の絵を部屋に置くと、絵からその花の香りが匂い出して来るような気さえする。花の季節が去っても、ずっとそれを楽しめるって凄い事だと思うんだけど....。何恭様は、何が気に入らないのかしら。」

 そう言いながら、小媛はそっと季煌に身を寄せた。

「こら....あんまりくっ付くな... 馴れ馴れしくしている所を、他の連中に見られたらどうするんだ...。」

 あわてた季煌が小媛を押し退けようとしたが、小媛は季煌の慌てぶりにはまるで頓着とんちゃくせず、更に季煌にり寄った。

「別にいいじゃない。私と貴方の仲は、もう絵画処のみんなが気が付いてるわよ。別にかくす事もないでしょう。悪い事をしてる訳じゃ無いんだから...。」

「なに... もう皆が知ってるだと...。」

 小媛が季煌の腕に自分の腕をからませた時、背後から声が掛かった。

「こら...。お前達、いい加減にせぬか。」

 声の主は何恭だった。

 小媛はあわてて季煌から離れると身をすくませた。

「お前達の仲をとやかくは言わぬ。しかし場所柄ばしょがらを考えろ。そう言う事は二人だけの時にやれ。」

 首をちぢませる季煌と小媛を一瞥いちべつすると、何恭は口調を改めた。

「五日後に行われる郡諸侯ぐんしょこうの集まりだが、会議後にうたげが庭でもよおされる。その様子を絵で残す事となった。至急にその絵を描く担当の者達を決めてくれ。」

 何恭の指示に対して、季煌が首をかしげた。

「宴?珍しいですね。余程の事がないと、そのような事は有りませぬのに...。」

「今回は特別だ。みかどが、集まる諸侯をねぎらいたいとおっしゃったそうだ。」

 それを聞いた季煌が、思いついたように手を鳴らした。

「それでは...耀春も担当のはしに加えてはどうですか?見るだけでも勉強になりますし...」

 季煌の提案に、何恭は即座に首を横に振った。

「今回の仕事は、記録絵だ。大切な儀式ではあるが、耀春の勉強などにはならぬ。耀春には別にやるべき事がある。」

 何恭の言葉に、季煌と小媛は互いの顔を見合わせた。



潘誕はんたん様、ちょっとお聞きしたい事があります。」

 ある日、厨房ちゅうぼうで調味料の配合をしていた潘誕に、炎翔えんしょうが声をかけて来た。

 怪訝けげんな顔で振り向いた潘誕に、炎翔が尋ねた。

すずめというのは、料理の材料になりますか?」

「突然、妙な事を聞くのだな? 雀は身体も小さく、毛をむしるのも面倒だ。しかし、丁寧に下拵したごしらえをほどこし、調味料を混ぜたたまりに漬け込むと、絶品の焼き鳥となるが...。何故なぜそんな事を聞く?」

 炎翔は、潘誕に事情を話し始めた。

「街道の先にある田畑で、最近雀が大量発生して、その対策で皆が頭を悩ませています。今は稲の刈り取り後の田圃でんぽに麦が植えられているのですが、その実を雀が掘り返して食べてしまうのだそうです。」

 炎翔の説明を聞いた潘誕は、小さく眉を上げた。

「それは厄介やっかいだな。雀は麦の実が好物だからな。いくら追い払っても直ぐにまた集まってくるだろうな。」

「だからただ追い払うのではなく、捕えて焼鳥にすれば良いのではと思ったのです。」

 炎翔のその言葉に対して、潘誕は首をかしげた。

「簡単に言うがな...。取り餅を付けた竿さおを振った所で、捕えられるのは数匹だ。大きな霞網かすみあみを張る手もあるが、そのような大規模な仕掛けは簡単には作れんしな。」

 すると炎翔は、自信有りげに顔を挙げた。

「俺に考えがあります。潘誕様は、調味料を混ぜたたまりという奴を作って置いて頂けませんか。」

「そりゃ構わんが....。しかし店の献立に使うとなると、大量の雀が必要だぞ。」

 疑問がこもった眼付きの潘誕に、炎翔は笑って応えた。


 翌朝、炎翔は大きなかごを背負って店を出て行った。

 そして昼前には店へと戻って来た。

 炎翔が背にする籠の中には、大量のすずめが山盛りとなっていた。

「毛をむしっての下拵したごしらえは、この後やりますよ。」

 潘誕は、籠一杯の雀を見て唖然あぜんとした。

わずかな時間のうちに、どうやってこんなに多くの雀を捕える事が出来たのだ? しかも、どの雀にも傷一つない....」

 籠に盛られた雀を見て驚く潘誕に、炎翔が笑いかけた。

「秘密は、これですよ。」

 炎翔は、手に持った麻袋からてのひらに何かをすくい、それを潘誕に差し出した。

れは、麦の実だな。これで何をしたのだ?」

「それを地面にいたのです。雀をおびき寄せる為に...。」

 そう聞かされても、潘誕の表情には疑問の色が残ったままだ。

「しかし...それだけでは、喰われるだけで捕える事など出来ぬだろう?」

 合点の行かない潘誕に向かって、炎翔はにんまりと笑った。

「ちょっと、その麦の匂いを嗅いでみて下さい。」

 言われるまま麦の実に鼻を寄せた潘誕の顔に、驚きが拡がった。

 潘誕の驚いた顔を見た炎翔が、謎解きをするようにそばにあった酒瓶を指差した。

「その麦は、昨夜俺が酒にひたしておきました。酒をたっぷりと含んだ麦を食った雀は、あっという間に酔っ払ってひっくり返りました。後は、其奴そいつらをほうきき集めたのです。」

 炎翔の説明を聞いて、潘誕は感心した表情になった。

「なるほど...。それでどの雀にも傷一つないのか..。しかし、このような大量の雀...。お前一人ではさばき切れまい...」

「大丈夫です。それについても手を打っておきました。直ぐに助っ人が来てくれますよ。」


 一刻後、潘誕の店の裏庭には、多くの農家の女達が集まっていた。

 女達は庭のあちこちに腰掛け、一心に雀の毛をむしり始めた。

 やがて庭の中央に置かれた大きな木箱は、毛を毟られ串に通された雀で一杯となった。

「潘誕様。ちゃんと駄賃は払ってあげて下さいね。彼女達が、明日から毎日、雀の籠を背負って通って来てくれます。」

 潘誕は、呆れたように雀の串が積まれた箱に眼をやった。

「此れは....正に一石二鳥いっせきにちょうだな。」

 次の日、潘誕の店に新たな献立が加わった。

 雀の串焼きと、雀肉と根菜こんさいの煮付け。

「こいつは美味うまい‼︎ 飯に良く合う。酒のつまみにも絶品だ。」

 初日の雀料理は、閉店迄には完売となった。

 予想もしていなかった売り上げに、潘誕は上機嫌だ。

「いやぁ驚いた...。こんな手があったとは...。雀の害を防ぐだけでなく、農家の収入の足しにも化けさせるとは...。しかも店の売上も大幅増だ。此れは一石二鳥どころか、一石三鳥いっせきさんちょうだな。」

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