第5話 二人の才能

 呂蒙りょもう王平おうへいは、志耀しようの前で、事の成行を報告し始めた。

 今までに見たことがない程に興奮をあらわにした呂蒙の様子に、志耀は驚いた。

「あの二人、途轍とてつもない才能の持主ですぞ。みかどが、あの二人をしばらくの間書庫に閉じ込めておけ、とおっしゃられたと聞き、何事かと思い書庫におもむいたのですが、この歳になって凄いものを見ました。」

「ほぅ。呂蒙爺がそれほどに興奮する様子は、初めて見るぞ。それで....。あの二人の才能とは、どのようなものなのだ?」

 そう尋ねる志耀に向かって、呂蒙が説明を始めた。

ずは、あの二人が何故なぜ、書庫に忍び入ろうとしたか、その理由わけをお話しせねばなりませぬな。最近、長江に新種の魚が上がるようになったそうです。それが何という魚なのか、炎翔はそれを書物で確かめたかったそうです。それと今一つ。一月程前に新しい薬草の図書が編纂へんさんされておりますが、そこに収められた新種の薬草を、華鳥殿が知りたがっていたとか...。それで、王宮書庫でその図書を探そうとしたようです。」

 それを聞いた志耀が、ほぅと息を吐いた。

「ほぅ...。潘誕はんたん殿と華鳥かちょう姉様あねさまの為に、このような事を思いついたと言うのか? 中々良いところがあるではないか。」

 感心する志耀に向かって、呂蒙は言葉を繋げた。

「それと、耀春の方ですが…。先程王平が、潘誕の店に馬を走らせ、華鳥殿に確認して来た事ですが...。潘誕の店に最近旅の商人達が立ち寄ったのです。図書を商う者達ですが、耀春ようしゅんはその一人から画集を見せられたのです。耀春はその画集に収められた絵に食い入るように観入みいっていたそうです。」

 志耀の眼に興味深そうな光が宿り、それを確認した呂蒙が更に言葉を繋げた。

「耀春の余りに熱心な様子を見た商人が、つい口をすべらせた。『王宮の書庫には、きっと何百冊もの画集が保管されてるよ』...と。」

 志耀の顔に納得の表情が浮かんだ。

成程なるほど。それで耀春は、自分も見たい物があると言ったのだな。最初に描いたのが、魚と草木そうもくだったのもそういう訳か。炎翔えんしょうが最初に取り出した魚類の図鑑と、薬草の図鑑から、指示された絵を描き写したのだな。その後は、自分が興味を惹かれた画集を持ち出して、それを模写もしゃをしていたという事か…。しかし耀春は、今まで絵筆を持った事があるのか?」

 志耀の言葉に、王平が首を振った。

「いえ...一年半程前から、華鳥殿が読み書きと学問を教え始めたそうですが....。絵筆などは持った事はないと...。ただし華鳥殿が書いた手本の字は、何時いつ寸分違すんぶんたがわぬ程そっくりに書き付けるそうです。」

 志耀は、改めて耀春の絵に見入った。

「そうだとすると耀春は、とんでもない書画の天才という事になるな。この絵も原画は彩色画だが、耀春は墨の濃淡だけで全てを再現している。」

 すると王平が、今度は別の絵を指し示した。

此方こちらの魚や草木そうもくもそうです。元となった図鑑の絵と見比べましたが、寸分違わず描き写してあります。」

「ふぅむ...。それで…..。炎翔の方の才能というのは何なんだ?」

 志耀の問いに、呂蒙が膝を乗り出した。

「あれは、先ずは記憶の天才です。実際に手にした事のある魚はともかく、薬草の方は尋常ではありません。恐らくは、華鳥殿の所有する薬草の画集にある草木そうもくの絵と名前を全て記憶していたと思われます。その上で、画集にはなかった新しい物だけを王宮書庫にある最新書籍の中から探し当てて、耀春に模写もしゃするように指示したのでしょう。」

 それを聞いた志耀は、思わず頭を横に振った。

「実際には手に取った事のない草木そうもくを、絵を見ただけで、全て頭の中に納めていると言うのか?にわかには信じがたいな。」

 そう言って息を吐く志耀の顔を見ながら、呂蒙が言葉を続けた。

「耀春の周囲に、書き損じや別の絵は一切有りませんでしたからな。見た記憶が無い物だけを、新しい書物から正確に探し当てたとしか考えられませぬ。それと今一つ。常人には無い洞察力の持ち主ですな。韓非子かんぴし要諦ようていを尋ねたところ、通常の学者など足元にも及ばぬ解釈を披露しました。」


 その日の夕刻、炎翔と耀春は各々が風呂敷包ふろしきづつみを抱えて、店の入口に帰り着いた。

 扉を開けようとする耀春に、ふと炎翔が尋ねた。

「耀春は、王宮の庭で俺達を助けてくれた人を、王平おじさまと呼んでいたな。何故なぜあの人を知ってるんだ?」

「耀おじさまが店に来る時、たまに一緒に来るもの。服装は違ったけど、顔を見て直ぐに分かったわ。」

 耀春の言葉を聞いた炎翔は、その場で考え込んだ。

 その時扉が開き、華鳥が姿を見せた。

「二人ともようやくお帰りね。今日は、大冒険だったようね。それにしても、王宮書庫に忍び込むなんて、本当に無鉄砲むてっぽうな真似を…。あら、二人が持っているその包みは何?」

 耀春が差し出した風呂敷包みを解いた華鳥の眼が丸くなった。

れは...春秋しゅんじゅうの時代の画集...。それに、白引きの紙がこんなに沢山たくさん。しかも絵画用の色材迄一緒に...。耀春。此れはどうしたの?」

「王平おじさまが、持って帰れって言って、渡して下さったのよ。」

 耀春の横から、炎翔が分厚い書物を華鳥に差し出した。

「俺には、此れを渡してくれた。読み終わったら、直ぐに返すようにと言われたけど...。」

 その書物を見た華鳥は、眼をみはった。

れは....韓非子かんぴしね。何故なぜこんな物を....?」

だ読み終わって無いだろうから...と言われて...。」

 華鳥は、二人が持ち帰った風呂敷の中身を前にして首をひねった。

 すると炎翔が、おもむろに華鳥に向かい合った。

「華鳥様、お聞きしたい事があります。先日、この店に尋ねて来られ、俺がからんでしまったあのお方ですが....。もしかしてかたは、この国のみかどではありませんか?」

 炎翔の言葉に、華鳥は再び眼を丸くした。

何故なぜ、そのように思うの?」

 炎翔は、すでに確信を得ている表情で華鳥を見た。

「ちょっと考えれば判ります。王宮書庫に忍び込むなど、見つかれば厳罰が当然。それが、何のとがめもなく、二刻余りも書庫をのぞかせてくれた挙句あげくに、土産みやげまで持たせてくれるなど、本来あり得ません。しかも、この韓非子は発見間もない貴書きしょです。本来ならば、貸し出しなど厳禁のはずです。耀春が貰った紙や画具だって、途方もなく高価なものですよ。」

 理路整然りろせいぜんと自分の推理を語る炎翔に、華鳥は眼をしばたいた。

「このような事を直ぐに裁断さいだん出来るのは、王宮でも最高権力の座に居る人物だけです。書庫の中で俺達が会ったお二人の一人を、耀春は王平おじさまと呼んだ。そしてたまにあの耀おじさまと一緒に店に来ると...。そして耀おじさまは、耀春の名付け親だと...。此処ここまで揃えば、答えは一つです。みかど御名おんなは志耀様だ。耀おじさまとは、帝の志耀様でしょう?」

 華鳥は、感心した表情で炎翔の顔をのぞき込んだ。


 翌日、志耀の元に、王平が困り果てた表情で伺候しこうして来た。

みかど..。 炎翔が、志耀様が帝である事に気付いてしまいましたぞ。 頭の良い奴と判ってはいましたが、まさか此処ここまでとは...。」

 王平の言葉に少し驚いたように顔を挙げた志耀だったが、直ぐに感心した表情になった。

「ふむ...。流石さすがに司馬炎殿の息子だな。司馬炎殿は、あの才を見抜いたからこそ養子にしたという事か。しかし...私は、潘誕の店に行く事はめぬぞ。唯一の楽しみは、絶対に手放さぬからな。」



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