第4話 耀春と炎翔の捕縛

 志耀しようは自分だけの居場所と決めている王宮内の一室で、机に向かっていた。

 志耀の前の机上きじょうには、大きな紙の図面が広げられていた。

 部屋の中は三方に棚が配され、天井迄書物がぎっしりと詰まっていた。

 部屋の外から声が掛かり、志耀が応えると、扉が開かれ華真かしんが姿を現した。

「何か、新しき農具の工夫があるとか...? 側近の女官は、みかどがまた閉じこもってしまわれたと言って心配しておりますよ。」

 華真にそう言われた志耀は、目の前の図面に眼をったまま、華真に話しかけた。

「華真の兄様あにさま。この図面を見て下さい。昨日農村である人から教えられた内容を書き付けてみました。兄様ならどう思われるか、意見を伺いたくて...」

 志耀の言葉に、華真は苦笑した。

みかど。その兄様と言うのはお辞め下さい。それにその敬語使いも...。私は、貴方様あなたさまの臣下なのですよ。」

「二人だけの時なら良いではないですか。兄様が私の師匠である事は事実なのですから。」

 華真は苦笑いをしたまま、志耀が指し示した図面に眼を落とした。

「ほう...れは....。実を取る際に、米を傷付けぬ工夫ですな。成程なるほど、此れならば米が割れず、見眼みめも良いし、日持ちも致しましょう。此れを帝に教えたという者、中々の智慧者ちえしゃですね。」

 華真の返答に、志耀は我が意を得たりとばかりに笑みを漏らした。

「やはり兄様もそう思われますか? それだけではありませんよ。これを教えてくれた者は、干魃かんばつに強い新しい稲も生み出していました。その技術を農技術所に教えに来ては貰えぬか...と頼み込んでいるところです。」

 それを聞いた華真の顔にも笑顔が浮かんだ。

「それは妙案ですね。国というものは、上に立つ者だけがつくるのでは御座いません。民達の支えがあってこそ栄えるものです。良き人材は、どしどし登用するべきでしょう。」

「それなのですが....。此れを教えてもらって思った。今の世には、まだまだ新しき知がうずもれたままになっていると...。その発掘のために、そうした知恵を広く募集しようと思います。稲作に限らず、養蚕や製紙、それ以外でも...。」

 意気込む志耀を見て、華真は微笑ほほえんだ。

成程なるほど。それは良きお考えです。世の中には、民の暮らしを向上させたいというこころざしを持つ者達が数多くおりましょう。直ぐにも実行に移されるのがよろしいかと。具体的には....。」

 その時廊下を走る音が響き、王平おうへいが部屋に入って来た。

「申し訳御座いませぬ。しかし、至急にみかどにお伝えしたき事が....。先程、王宮書庫に怪しい人物が侵入を試みたとの事で、直ぐに捕らえたのですが...」

 志耀は、王平へと首を巡らせた。

「捕らえたのなら、それで良いではないか。他国の密偵ならば、警護所にて取調べを行えば良い。」

 そう言う志耀に、王平はわけありげな視線を送った。

「それが、その者達が引き立てられる場に、私がたまたま出くわしたのですが...」

 王平はそう言うと、ちらと華真を見遣みやり、志耀の耳元で何事かをささやいた。

 志耀は驚いた表情を見せると、直ぐに王平に尋ねた。

「それでその二人は今、何処どこにいるのだ?」

「中庭に引き出されています。」


 中庭に通じる廊下を進んだ志耀は、中庭の手前の角で歩みを止め、そっと庭をのぞき込んだ。

 中庭の真ん中で、数人の兵に身体を押さえられてもがいていたのは、炎翔えんしょう耀春ようしゅんの二人だった。

 炎翔が手を後ろに回されながら、必死に兵達に向かって懇願こんがんしていた。

「なぁ、この娘は関係ないんだ。俺が無理矢理むりやりに連れて来ただけなんだよ。だから、この娘は放してやってくれないか…」

 すると炎翔の隣で、耀春が口をとがらせた。

「違うよ。あたしだって自分で来たんだよ。炎翔兄さまが見たいものがあるって言ったけど、あたしだって他に見たいものがあって....。」

 その様子を観ながら、王平が志耀に小声で尋ねた。

「どうします?まさか耀春がこんな所にいるなんて...。あの少年には見覚えはありませんが、兄さまと呼んでいる所をみると、耀春に近しい者ですな。」

 志耀は悩ましげな表情で、王平に答えた。

「あれは炎翔といって、司馬炎殿の息子だ。養子だがな...。しばらく前から潘誕殿の店で下働きをしている。」

「そうでしたか...。しかし、どうしたものですかな? このままではむち打ちの罰を受けますよ。」

 すると志耀が、何かを思い付いた表情になった。

「ふむ。そう言えば二人共に、何やら見たいものがあると言っていたな。それでは、王平。まずはあの兵達から二人を解放してやってくれぬか。その後だが...」

 志耀の言葉を受け、王平は直ぐ中庭に出て行った。


 二刻ほどった後、王宮書庫の扉が開けられ、その中に呂蒙りょもうと王平の二人が足を踏み入れた。

「どうだ、見たいものと言うものは見つかったか....?」

 呂蒙の声に、書庫の床に座り込んでいた耀春が顔を上げた。

 呂蒙の背後から耀春の様子をのぞき込んだ王平は、眼を丸くした。

 床に正座する耀春の前には一冊の画集が広げられ、その手には筆が握られていた。

 耀春の前には何枚もの墨絵すみえが散らばっていた。

 その様子を見た王平が慌てた。

「こ、こら...耀春。何をしている。このように散らかして。この墨絵は、何処どこから持ち出して来たのだ」

 あわてた声を挙げた王平に顔を向けた耀春は、きょとんとした表情を見せた。

「これ...? 此れは、今あたしが描いたんだけど....」

 床に散らばった墨絵の一枚を取り上げた呂蒙が、其処そこに描かれたものを見てうなった。

「何だ....この筆使いは...。耀春。これは本当にお前が描いたものか?」

 こっくりとうなづく耀春の前で、呂蒙が手にした絵をのぞき込んだ王平が顔色を変えた。

「この画集を模写もしゃしたのですね。しかし...此れが幼女の筆とは...。まるでここにある実物そっくりでは有りませぬか。」

 王平の驚愕につられるように、呂蒙もひたいに手をった。

れはたまげたな。しかし…..こちらにある絵は、この画集のものではないな。此れは、魚と草木そうもくだな。」

 そう言いながら眉を寄せて絵を見詰める呂蒙に向かって、耀春が無邪気に答えた。

「それは、炎翔の兄さまに写してくれって頼まれたのよ。」

 それを聞いた呂蒙が、気づいたように周囲を見渡した。

「何、炎翔に...。そう言えば炎翔は、何処どこに居るのだ?」

 すると、耀春は書庫の奥を指差した。

 奥の書庫に進んだ呂蒙と王平の前には、机上に竹書ちくしょを拡げて一心に読みふける炎翔の姿があった。

 炎翔の背後からその竹書をのぞいた呂蒙が、驚きの声を挙げた。

れは...韓非子かんぴしではないか。しかもつい最近発見されたばかりの亡微ぼうびの章だ。お前、此れが何かをわかっていて、此処ここに持ち出して来たのか?」

 呂蒙から大声を掛けられた炎翔は、ようやそばに立つ二人に気が付いて顔を挙げた。

「そりゃわかってるさ。君主が国を破滅に導く行いをいさめた書だ。韓非子の書群の中で、今まで欠損とされてた章だ。見つかっていたんだな....」

 それを聞いた呂蒙が、唖然あぜんとした表情になった。

「何...そんな事まで知っているのか。すると....この難解な韓非子を、お前全て読んでいるのか?」

 呂蒙の問いに対して、炎翔は当然といった表情でうなづいた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る