第17話 異世界返りの元勇者が黒幕と闘うんだけど、なにか質問ある?

 ――速い


 剣一郎けんいちろうが駆け始めると同時に彼の肩から飛び立った女神は、驚愕する。

 まだ敵の声が大広間に反響している間に、入口から階段に達し、さらに踊り場までの段数の半分近くを駆け上がっていた。

 改めて、この元勇者の身体能力の高さを知ったわけであるが、しかし――



 まことの口からその言葉が出た途端、ぴたりと剣一郎の動きが止まる。

 階段を登りかけたポーズのまま、微動だにしない。

 まるで見えない昆虫採集の額縁に釘付けにされてしまったかのようだ。


「くそ………催眠魔法か」


 かろうじて口元を動かし、呻くようにもらす剣一郎。


「察しがいいね」

「……会話中の言葉に呪文詠唱を紛れ込ませていたのか」

「本当に察しがいい! でも、ちょっと気付くのが遅かったね」


 両手を広げておどけてみせる誠。

 二人の距離は、もう数メートルほどだ。

 しかし、剣一郎がどんなに歯を食いしばろうとも、最後の間合いを詰めることはできないようだった。


 女神は広間を飛び回りながら、素早く思考を巡らせる。


 ――この男は、剣一郎に中年男性、たぶん絵里えりにも同様の催眠魔法をかけているだろう。

 いくら実力のある勇者といえども、これだけの人数に同時に術をかけるためには、なにか媒介を使用せねばならないはず。


 彼女は天上付近まで上昇し、大広間を俯瞰ふかんするように見渡した。


 あった。

 吹き抜けの二階部分の奥に、燭台のようなものが見える。

 その上には淡い光を放つ水晶が置かれていた。


「おい……よけいな真似はするなよ?」


 誠が、それまでとは打って変わった冷たい口調で告げた。

 侮蔑に満ちた目が、文鳥姿の女神に向けられる。


「役立たずの女神が……。どうせお前はこちらの世界に干渉できないんだろ?」


 図星を刺され、ほぞを噛む女神。

 万能に近い力を持つ彼女だが、神々との制約により、他世界で起こる事柄には直接的に手出しができない。

 他ならぬ誠自身からの頼みを、それがために幾度か断ったことがあるのだ。


「こうやって一人ずつ人間を操っていくつもりなのか……。自分の目的を果たすまで」


 剣一郎が呟く。


「そうさ。まあ他にも色々な手段を使うつもりだけどね。たとえば、いったん政治家を殺したあと、仲間の死霊使いネクロマンサー傀儡くぐつとして操らせたりね」

「まさか北条ほうじょうさんにも……」

「もちろん、彼女にもたくさん仕事をしてもらう予定だよ。死者を蘇らせることができる力は、希少だからね」


 美麗な顔でほくそ笑む青年。


「……なぜそこまでする?」

「ボクはただ、同じ境遇の異世界返りの勇者たちを救いたいだけさ。勇者が勇者として活躍できる場を作ってね」


 誠は慈しみに満ちた眼差しを剣一郎に向ける。


「君も苦しんでいるんだろう? ボクが作ってあげるよ。勇者としての生き甲斐ってやつを」

「同じ境遇の異世界返りを代表して言わせてもらうが、いらない世話だ」


 言下に言い捨てる剣一郎。

 誠の眉が一瞬ぴくりと動き、ついでやれやれという風に首を振った。


「まあすぐには理解してもらえないか。これ以上の会話は無意味になりそうだね」


 彼の右手には、いつの間にか一振りの剣が握られていた。

 くるりと柄を手の内で反転させ、切っ先を剣一郎の方へ向ける。


「みねうちするだけだから、おとなしくしててね。もっとも動きたくても動けないだろうけど」


 剣を振りかぶると、階段を一段ずつ降りてゆく。

 

 剣一郎は額に汗を浮かべ、なんとかその場から動こうとするが、やはり微動だにできない様子だ。


 誠が攻撃の届く間合いに達した。

 ゆらりと刃が揺れ、次の瞬間、振り下ろされる。


「待った!」


 その声に、ぴたり、と剣一郎にあたる寸前で刃を止める誠。

 彼は声の主を振り返った。


 入口の扉を背に、二人の人物が立っていた。

 一人はショートヘアにスレンダーな体つきの20歳前後の女子。

 もう一人は大きな瞳が目を引く、高校生ぐらいの少女だ。


「君は北条くんの幼馴染みとかいう……」


 制止の声を投げてきた女子へ視線を向ける誠。


「ケンイチローくん、大丈夫!?」


 ショートヘアの女子は、彼の言葉を無視して、剣一郎に尋ねかけた。


「……その声は、京子きょうこさん?」


 剣一郎が返す。


「……なぜここがわかった?」


 感情のうかがえない声音で、誠が尋ねる。

 こたえたのは、少女の方だった


「これで調べたんだよ!」


 少女が突き出すスマホを見て、誠は小さく舌打ちする。


「スマホの位置情報の共有か……」

「だよ!」


 決然とした表情で、階段の上に佇む誠を睨む彼女。


「その声は灯里あかりか!? 二人とも早く逃げるんだ!」


 剣一郎が呻くように告げた。

 敵のかけた催眠魔法はよほど強力らしく、この状況になっても彼は顔を振り向けて自分を救出に来た女子たちの姿を確認することができないようだった。


「これはボクたち元勇者の問題だよ。無関係の一般人は彼の言う通り帰った方がいい」


 誠はにやりと口元を歪め、階段を一段下りた。


「――と言いたいところだが、話を聞かれた以上、そのまま帰すわけにはいかないかなぁ」


 ゆっくり大広間に向かって、下りてゆく。


「よせ!」


 剣一郎が叫ぶが、まるでその声が耳に届かなかったように無視して歩を進める誠。


 ほどなく大広間に降り立った。

 照明を受け、彼の手にした白刃がぎらりと光を放つ。


 さすがの京子も強張った顔を見せるが、それでも灯里を庇うように前に踏み出し、相手に指を突き付けた。


「はい、わたしの作戦勝ち~」

「……なに?」

「実はもう一人助っ人がいるんだよねぇー」


 誠は小首を傾げる。


「……だから? 仮にもう一人いたとして、どうせそいつも君たちと同じ一般人だろ?」


 彼は心底バカにした様子で、大仰に肩をすくめて見せた。


「君たちがこの状況を打開するには、二階にある水晶を壊すしかないけど、勇者である僕の目をかいくぐってそこまで到達するのは不可能だよ、はっきり言ってね」

「ところが、その勇者にも気付かれないぐらい、存在感のない友達がわたしにはいるんだよねぇ~」


 がしゃん。


 そんな音が吹き抜けの奥から響いてきた。

 全員の視線が、大広間の階段を登り切った先にあるテラスへと向かう。


 そこに誰かが立っていた。

 長い黒髪に覆われ、ほとんど見えない素顔。某ホラー映画の井戸から出てくるヒロインのような足首まである白いワンピース。


「あなたは……北沢霞きたざわかすみさん?」


 少し前にアパレル屋を訪れてきた先輩女子の名を口にする剣一郎。

 彼女の足元には、砕け散った水晶が転がっていた。


「借りはお返ししましたよ……」


 そう告げると、音もなく背後の闇に消えてゆく。


「ば、バカな……」


 誠が初めて狼狽した声を上げて、京子の方を振り返る。

 先程のお返しとばかりに、ひょいと大仰に肩をすくめてみせる彼女。


「貴様……っ!!」


 剣を振り上げ襲い掛かろうとしたが、誠はふいに身体をひねって床に転がった。

 

 直後、ドーンという音を立て、先程まで彼のいた場所に大穴が開く。


「おまえの相手は俺だ」


 剣一郎がゆっくり立ち上がって、告げる。

 踊り場から一直線に飛び降りて、そのまま誠に正拳突きを叩きつけようとしたのだ。


「へえ、もう動けるのかい? だが、果たしてボクに勝てるかな?」

「…………」


 両手で耳を塞ぎ、眼前の敵を見据える剣一郎。


「ふん! 催眠魔法はもう食わないってことか。だが、どうする? 自慢の二刀スキルも素手では宝の持ち腐れだよねぇ?」


 誠は小馬鹿にするように、ひらひらと剣先を振ってみせた。

 

 対する剣一郎は、相変わらず口を閉ざしたまま、両手を下ろして、武道の構えを取る。


「馬鹿がっ!」


 横薙ぎに剣を振るう誠。

 

 瞬間、剣一郎の口からぼそりと短い言葉が流れた。


「神速モード3倍」


 襲いくる刃に、ピンと五指をそろえた左手を突き出す剣一郎。

 彼の手と刀が交差する。

 その場の誰もが宙に舞う剣一郎の腕を予感した。


 だが、暗に反して宙を舞ったのは、誠の剣だった。


「な………!?」


 誠の美麗な顔が驚愕に歪む。

 その顔の中心に吸い込まれるように、剣一郎の右の掌が叩きつけられた。


 ――べぎぃ!


 鈍い音とともに、背後に吹き飛ばされる誠。


「な……なぜスキルを………」


 床に叩きつけられた敵の口からそんな声がもれる。


 剣一郎は構えを解いて、堅くそろえた両手の指を体の前方に突き出してみせた。


「たしかに、俺のスキルは剣や刀系の武器を持っていないと使えない。だから、いざって時のために、パーティの女格闘家に習っていたんだよ。手をな」


 その言葉を聞き終えると同時に、勇者の会の幹部の男は、がくりと頭を地に落とした。

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