第5話 異世界返りの元勇者がラッキースケベに見舞われてるんだけど、なにか質問ある?

 さて。

 

 徐々に異様な空気に包まれてきた街コン会場のカラオケルーム内において、一人だけマイペースに虎視眈々こしたんたんと機会をうかがう人物がいた。


 ――しめたわ、一人脱落してくれた


 その女性は、心の中でそう呟きつつ、密かに舌なめずりをする。

 マリンと名乗った、胸元の大きく隆起した女子だ。


 女神は、剣一郎を見やる彼女の瞳に、いまだ獲物を狙う狩人の光が宿っているのを目ざとく発見した。

 一連の事態に、早くも心が折れかけていたが、微かな希望の灯を見出す。

 女神は改めて、テーブルに着くスタイルの良い美女を観察した。


 あざといまでに色っぽい眼差しと、いかにも男受けを狙った感のある服装。


 この女子はいわゆる肉食系タイプではなかろうか、と女神は推察する。

 要は、女の子をお持ち帰りできれば、あとはなんでもいいという男子の女版だ。

 だから、剣一郎の常軌を逸した言動にもおくすることなく、捕りにいくスタンスを継続しているのだろう。


 彼女の予測を裏付けるように、マリンが行動を起こす。


「ちょっとごめんなさいね」


 彼女はそう告げつつ、立ち上がって剣一郎の前を通り過ぎようとした。

 だが、そこで、「あら?」と声を上げ、彼の方に倒れ掛かる。

 倒れ掛かるというより、しな垂れかかるといった方がしっくりくる動きだ。


「大丈夫ですか?」


 剣一郎が身を引いて彼女をかわしながら、そう尋ねる。


「ごめんなさい、少し酔ってしまったみたい……」


 上目遣いにそう告げるマリン。


「申し訳ないけど、トイレまで付き添ってくださる?」


 どこかつやっぽい声音でそう尋ねつつ、再度わざとらしく彼の方に倒れ掛かる。


 ――剣一郎さん、わかっていますわね?


 女神は、目力で『トイレに連れて行くふりをして、そのまま一緒に抜け出せ』と彼に指示を飛ばした。

 しかし、剣一郎は、またしても先程と同じように、軽く身を引いて彼女をかわした。


「…………」


 どこかいらだった空気をまといつつ、三度マリンが彼に体をもたせかける。

 ひょいと避ける剣一郎。


 ――あの子、なにをやっているんですの……


 イライラと二人の攻防を見守っていた女神は、ふと剣一郎が自分にちらちら目配せしていることに気付いた。

 彼はマリンの体当たりをかわしつつ、口パクでこう尋ねていた。


『女神様、デバフは?』 


 一瞬なにを言っているのかわからなかったが、彼女はふと、この街コンが始まる直前に彼と交わした会話を思い出した。


 ――ラッキースケベが発動しないように、デバフをかけて幸運度を下げてください


 たしかにそんなことを言っていた。


 彼女は改めて、彼の様子を眺める。

 もはや飛び掛かる勢いで倒れ込むマリンに対して、剣一郎は椅子に座ったまま、鮮やかな上体反らしでいなしている。


 ――まさか、今起こっている事態が自分の幸運ステータスによるラッキースケベだと思っているのでは……


 そんな推測を立てていると、タイミングを見計らったように、再度彼が口パクで伝えてきた。


『このままでは、この世界での僕の社会的地位が終わってしまいます』


 女神は自らの悪い予感が的中したことを悟った。


 それはラッキースケベではなく彼女がわざとやっているんですわよ、となんとか伝えたいところだが、女神は剣一郎と違って口パクが下手だ。

 といって、まさか直接声に出して言うわけにもいかないし……


 そうこうするうちに、事態が動いた。


 もはや獅子舞のように体を躍らせて剣一郎に身を預けようとしていたマリンが、あまりに大きく動きすぎたため、テーブルに足を激突させてしまったのだ。


 ガツッ、という派手な音とともに、大きくバランスを崩すマリン。

 今度ばかりは演技でなく、剣一郎の方に倒れ込む。


「危ない!」


 慌てて手を差し伸ばす剣一郎。

 テーブルに額から落ちる寸前で、かろうじて彼女を受け止める。


 ほっとゆるんだ空気が場に満ちた。

 しかし――


「ん?」


 男子の一人がそんな声を上げた。


 マリンは剣一郎の腕のなかにすっぽり収まっている。

 そして彼の手はちょうど彼女の胸元に当たっていた。

 図らずも彼が懸念した通りの偶発的セクハラの図である。


 しかし、男子が声を漏らしたのは、それが原因ではなかった。


「なんかおかしくないっすか……?」


 マリンに変化が起こっていた。

 誰の目から見ても明らかなほど、彼女の肉体の一部が変貌を遂げている。


 具体的にいうと、胸がぺたんこにしぼんでいた。


 カラオケルーム内になんともいえない静寂が下りた。


 当のマリンは、放心したような表情で固まっている。


「おや……これは?」


 その時、剣一郎がなにかを床から拾い上げた。

 ドーム型をしたベージュ色の物体だ。

 一対のそれを顔の前にかかげて、しげしげと観察する。


「見たことのない物だが、装備品の一種だな。防御力が表示されている」


 にわかに冒険者の口調になって、それに顔を近づける。


「まだ温かい……いままで誰かが装備していたのか?」


 マリンが「ひっ」と小さく悲鳴を上げるが、剣一郎は気付かず、推察を続けた。


「この温もりと湿りぐあいから判断して、長時間肌に直接触れていたのだろう。つまり地肌に装着するタイプの防具だ」


 マリンの顔がゆでだこのように真っ赤になった。

 

 もはや、剣一郎を除く、場の全員がその物体の正体を悟っていた。

 バストアップパッド。

 女性が胸を盛るために使用するアレである。


「返して!」


 マリンが叫びながら、彼の手からパッドをひったくる。

 そして、すぐさま服の下に手を突っ込み、それを元の場所に収めた。


 いや、戻そうとするなよ、と場の全員(剣一郎を除く)が心の中で突っ込んだが、肝心の当人は動揺のあまり周りが見えなくなっている様子だった。


「まさか……」


 剣一郎の目がすっと細まる。


「そうか! その防具はそういう特殊効果を持つものだったのか!」


 ボリュームを取り戻したマリンの胸を指さし、叫び声を上げる剣一郎。


「胸を盛り上げることにより、実際の位置より突出しているよう見せかける。すると、こちらを攻撃してきた敵は、間合いを見誤ってしまう。胸を剣でいだつもりが、実際は詰め物を切りつけただけになるからな」


 顎に手を当てて、深く頷く剣一郎。


「あえて、相手から狙われやすい胸部のみに絞って、フェイントを仕掛ける防具か……。こんなものは異世界でもお目にかかったことがないな。どうして、こちらの世界の装備品も侮れない」


 彼は顔を上げ、口を酸欠の金魚のようにパクパクさせているマリンに尋ねた。


「すみません、それを取り外して、もう一度見せてもらえませんか? じっくり分析したいので」


 彼が発言できたのもそこまでだった。


 ガシャン!


 ガラスが砕け散る音が室内に響いた。

 剣一郎の頭にビール瓶が叩きつけられた音だ。

 

 マリンは、それまでのたおやかな表情が嘘のような形相でにらむと、割れて半分になった瓶を逆手に持ち替えた。


「死ね変態!」


 一気に振り下ろして、ギザギサになった断面を再度剣一郎の頭頂部に叩きつける。


 ゴシャッ、という嫌な音が響いた。


 二人を除く場の全員がビビって壁際まで下がる。


「はあはあ……」


 マリンは、息を荒げて、テーブルに突っ伏す剣一郎を見下ろした。


「……帰らせてもらいます」


 短く告げると、足早にカラオケルームを去っていった。


 室内が水を打ったように静まり返る。


「……ええと剣一郎さん、大丈夫ですの?」


 女神が、いまだ頭頂部から瓶を生やしている彼に、おそるおそる尋ねた。


 剣一郎が顔を上げる。


「防具だけでなく、手近にある瓶をとっさに装備して攻撃に用いるとは。なかなかやるが、派手なだけで威力は弱いな。Cランクってところか」


 何事もなかったように頭の上の瓶の残骸ざんがいを払いつつ淡々と告げる青年を、女神はどこか冷めた目で眺めた。


 ――そういえば、この子も元勇者でしたわね。普通なら事件になってもおかしくない一撃でしたけど、無駄に高い防御力で傷一つつかなかったんですのね


「むしろ、いいところに入って、頭の具合が治ればよかったのに……」


 思わず、そうもらさずにはいられない女神だった。

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