第5話

莉久くんから写真を借りることはできなかった。

なので俺はその日の学校帰り、前と同じ公園で『料理研究家 菊川彩子』の写真を見せてみた。


「どう?」

「似てる、お母さんだ」

莉久くんはそうこぼしたきり、俺のスマホ画面に映し出されたお母さんの写真を黙って見つめていた。

少し強い風が吹いて、桜の木が揺れる。

その拍子に、花びらがいくつか散らばって飛んでいった。


「……お母さんの写真は、ないの」

人形のようだった莉久くんが、人間であることを思い出したらしい。

再びポツリと話し始めた。

「でも一枚だけ、ボクのアルバムに入ってた。産まれたばっかのボクを抱いてる写真。渡したやつね。産まれてすぐのボクの写真はその一枚しかないから、お父さんも捨てなかったんだと思う」

部屋で一人、たった一枚の写真を見つめる莉久くんの姿が目に浮かんだ。

新しいお母さんはもちろん、お父さんにだって言えないのだろう。

この小さな体には重い、秘密の思い。


「莉久くん」

黒目がちの幼い大きな目が、俺をとらえる。

「今週末の土曜日、お母さんは料理教室をやるんだ。そこに会いに行ってみない?」

みるみる莉久くんの目は見開かれ、瞳に映った桜色に染まる。

「行く!」




当日、莉久くんは新しいお母さんに連れられて、境内にやってきた。

莉久くんが何と言ってここまで来たのかはわからないし、何も触れない方がいいのだろう。

「遊んでいただいているそうで。お世話になっております」と頭を下げるお母さんの姿は、紛れもなく『お母さん』だった。


橘の運転する車に俺と莉久くん、そして錦が乗り込み、出発する。

車窓からのぞく水色一色の青空は、どこまでも高かった。

「いや別に冷静になったら、錦いらなくね?」

ふ、と俺はこぼした。

「何言っておるのじゃ!?わらわ幸せの神様じゃけど!?」

錦が俺の肩を掴んで揺らす。

「お二人とも、静かに」

橘は子どもにするように、口に人差し指をあててシー、とやる。


土曜日になり、俺たちは莉久くんと一緒に橘の運転で料理教室へと来ていた。

残念ながら料理教室自体はバッチリひと月前に締め切られていたので、不参加。

料理教室が終わったあたりでタイミングを見計らい、声をかける計画だ。

信じてもらえるかわからないが、いちおう例の写真も準備済。


探偵崩れよろしく電柱の影から料理教室の様子を眺めていた。とはいっても、外から中の様子はまったく見えないけど。

「あっ、出てきた!」

莉久くんが指さす方向には、料理教室の会場からゾロゾロと出てくるママさんたち。

どうやら料理教室自体は終わったようだ。

家族で参加がウリらしく、奥さんのみならず子どもや旦那さんなど、全員家族単位で参加していたようだった。


「あれ、お母さんじゃないですか?」

最後に会場から出てきたのは、マスタード色のエプロンをつけた菊川彩子だった。

薄手のタートルネックにズボンとラフながら崩しすぎない格好で、髪の毛をお団子にまとめている。

「お母さん」

莉久くんはそれ以上何も言わなかった。

ただゆっくり、一歩ずつ踏み出す。

「おかあ……」


会場から、もう一人男性が出てきた。

三歳くらいの子どもを抱いて、参加者に向かって手を振る。

菊川彩子は男性に温かい眼差しを向けると、何かつぶやいた後、男性の抱いている子どものおでこを愛おしげに撫でた。

男性はその様子を微笑ましそうに見つめ、菊川彩子の腰を抱いて会場へと戻って行った。


ほんの、一分程度。


この一分は、あっさりと莉久くんの歩みを止めた。

その場にいた誰もが察した。

菊川彩子は、再婚して子どもがいる。

誰も責めることではない。何も罪に問われることじゃない。祝福されて然るべきだ。

けれどその光景は、莉久くんをいとも簡単に切りつけた。

「帰ろ」

「莉久くん……」

莉久くんは何も言わなかった。

ただじっ、と目を逸らさずに、菊川彩子の居なくなった会場の出入口を見つめていた。





結局その日は、日暮れ前に莉久くんを送り届けて解散となった。

「莉久くん、可哀想だったな」

晩ご飯を食べながら、俺はつぶやく。

「そうですね」

橘も伏せ目がちで言うと、もそもそと煮物をつついた。

「幼いガキには、たしかにちと酷かもな」

話を聞いたじいちゃんも、同調したようにつぶやく。

「ん?」


そんな会話の途中だった。

昭和の暮らしの代名詞のような黒電話が、受話器を持ち上げる勢いで鳴り出した。

「あ、出ますね」

橘は箸を置いて立ち上がると、受話器を取る。

「はい、はい」と何やら冷静に対応はしているが、顔色がみるみる青ざめていくのがわかった。

しばらくして橘が受話器をおく音が、重々しく聞こえる。

「何だった?」

じいちゃんの声が、いつもよりワントーン低い。

「莉久くん、送っていったはずなのに……家に帰ってないって!」






部屋でくつろぐ錦を呼び出し、俺らは橘の運転する車で転がり落ちるように街へと下りた。

莉久くんのお父さんは真っ青な顔のまま、俺たちを見ると「帰ってないんです」とうわ言のように繰り返す。

お母さんがかわりに探した場所を端的に説明してくれた。

「なるほどの」

「錦、お前カミサマならなんとか探せねぇの?」

錦は「無理じゃ」と間髪入れずつぶやく。

「神は、信仰された力しか使えぬ。わらわは探し物の神として信仰されておらぬ」

「そんな……」

「じゃが、お主にも力はあろう」

錦は俺の足を指さした。

「わらわもお主も、やれることはある」

心臓が、場違いにも大きく高鳴った。

頼られることが、期待されることが嬉しいなんて、いつぶりだろう。

「おう」




「莉久くん!」

日のくれた町中を、莉久くんの両親と一緒に一時間くらい手分けして探し回った。

クタクタになった体でやっと見つけた莉久くんは、第二公園の遊具のすみっこに、忘れ物のおもちゃみたいに居た。

「あ……お父さん、お義母さん」

お父さんはすぐさま別方向を探すじいちゃんと橘に連絡していた。莉久くんのお母さんは、莉久くんに向かってかけ出す。


「ったく、錦に探し物の能力がありゃもっと早かったのに」

「だからぁ」

全員がほっとして、会話する雰囲気ができ始めていた。


パシン、とその空気を打ち破るような音。


俺たちは音の発生源に目を向けて、やっとなんの音なのか理解した。

お母さんが、莉久くんを叩いた音だった。

「心配かけて!」

お母さんは泣いていた。

殴られた莉久くんのほうが、泣いていなかった。

でもそれもほんの数秒で、すぐに決壊したように泣き出す。

「う、ごべんなざいお母さん〜〜!」

お母さんの腕の中で、莉久くんは泣きじゃくった。はじめて見る、莉久くんの幼い顔だった。

きっと彼は、このお母さんの子どもになれたんだろう。

錦も同じことを考えていたようだ。

目を見合せて、お互い何も言わずに、また家族のほうへ目線を戻した。





「結局、どうだったんだろな」

神社への帰り道、俺は錦にこぼす。

住宅街の街灯に薄く照らされた道路を、錦は俺の歩幅に合わせてのんびり歩いていた。

アスファルトを錦の下駄が蹴る音が、遠吠えのようにこだまする。

「さぁの。ただ、血の繋がりが全てではないのじゃよ。親子も、人間関係も」

俺はちら、と横目にみる。

辺りは日が沈んですっかり暗くなってしまったから、錦の顔はよくわからない。


「……俺と親のこと、聞いてんの?」

街灯の近くにくると、やっと錦の表情がはっきりと照らされた。

彼は、静かに笑っている。

「別に、話したくなったらでいいぞい。相棒なんじゃから」

相棒。

むず痒い言葉に落ち着かず、俺は首元をポリポリとかいた。


「あー、うん」

「ふは、愛いのう。偉そうに言っても、まだまだお主は赤子じゃ。どーんと、わらわに甘えてよいのじゃぞ」

「はぁ!?赤子はないだろ!」

「わらわから見れば、鼻水垂れの赤子じゃ」

ツンツンとゴツめの人差し指で、頬をつつかれる。

鬱陶しい手を叩こうとするが、錦が避けるのが先だった。

「垂れてねぇし!」

「そう言いつつ、鼻を擦っているではないか」

「お前が変なこと言うからだろ!」

やっぱ、こいつと相棒なんて冗談じゃねぇ!

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かみさまの相棒 ダチョウ @--siki--

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