04 浅倉家
二十年前の新興住宅地。それがあたしの実家だ。郊外にある庭付きの一軒家で、あたしと亮太はのびのびと育った。治安も良く、景観も良い。夢のマイホームを建てるために、父がどんな苦労をしたのか、あたしはよく知らない。自分が仕事をするようになってから、なんとなくその凄さを感じるだけだ。
母はずっと、子供は二人以上欲しいと思っていたらしい。しかし、あたしを産んでから不妊症になった。いわゆる二人目不妊というやつだ。治療の甲斐あって、九歳も離れたが亮太が産まれた。母の苦労も、独身のあたしには知る由もない。
「うわっ久しぶり! でもうちの壁ってこんな色だったっけ?」
亮太は呑気な声を上げた。あたしの部屋で一泊しただけなのだから、久しぶりなわけはないのだが、未だに異世界設定を引きずっているのだろう。
「いい? お父さんとお母さんには、本当のことを言うのよ。あんたのこと、どれだけ心配してたか……」
亮太ははしゃいでいて、あたしの声を聞いていない。実家を目の前にしたというのもあるが、我慢していた怒りが込み上げてきた。あれだけ大切に思ってくれている両親を心配させ、正体不明の少女を連れてきたのだ。それだけでもイラつくのに、当の本人はこの態度である。
もういい。父に雷を落としてもらう。
あらかじめ、ラインで到着時間は伝えてあったので、そのまま玄関に入る。
「ただいまー!」
「亮太! 亮太っ!」
母が悲鳴に近い声を上げながら、廊下を走ってきた。そして、亮太の腰に抱きついた。
「母さん! ただいまっ!」
「無事でよかった……亮太、亮太……」
母は大声でむせび泣いた。リビングに続く戸口のところに、父が立っていて、あたしは目配せをした。奥からは、懐かしいコーヒーの香り。久しぶりに、家族四人が揃った。
リビングのソファに座り、あたしと亮太はコーヒーを飲んだ。母の顔には大きなくまができており、目は真っ赤に腫れていた。こういう時は、あたしから口を開けばいいのだろうか。いつもつけっぱなしのテレビも消されており、時計の秒針の音が部屋に響いていた。
「亮太、お前、髪の毛どうしたんだ」
沈黙を破ったのは父だった。今までどこにいた、ならわかるが、なぜいきなり髪の毛のことなのか。
「あ、そっか。伸ばしっぱなしだったもんな」
「いや、昨日の今日でなぜそんなに伸びた」
「お父さん、どういうことなの?」
今の亮太の髪は、肩につくほどの長さだ。あたしは亮太と一年近く会っていないから、その間に伸ばしたのだと思っていた。
「そ、そうね……お母さんもおかしいと思ったわ」
亮太は毛先を引っ張り、首を傾げる。
「えっとね、こっちでは一日も経っていないっぽいんだけど、あっちでは一年くらい経ってるんだ。時間の流れが違うみたいでさ」
「お前は一体、何を言ってるんだ」
「俺、異世界トリップしてたんだ!」
この馬鹿! と叫びそうになるのを必死に抑えた。せめてあたしだけは、冷静である必要があると思ったのだ。いつも無表情な父が、眉をひそめていた。母はあんぐりと口を開けていた。
「姉ちゃんに言われた通り、本当のこと話すよ。こっちの世界では、昨日の朝ね、普通に学校行こうとしてたんだ。でも一時間目から数学でさ、俺あの先生嫌いなんだよ。すっげえ行きたくないなあ、現実逃避したいなあって思ってたら、時空の歪みに引き込まれちゃって。それでルーナシアにトリップしちゃったってわけ!」
亮太は、表彰状を持ち帰ってきたかのような笑顔を浮かべた。奴の心の声はきっとこうだ。ちゃんと本当のこと言ったよ、姉ちゃん褒めて褒めて!
——パンッ。
「ひぐっ、と、父さ……」
「頭を冷やしなさい、亮太」
当然といえば、当然の結果なのだが。あたしは父が、亮太に手を上げるところを見たことがなかった。あたしだって、父に頬を張られたことはない。母は両手で顔を覆い、わっと泣き出した。あたしもそうしたい気持ちだった。
「本当なんだ! 本当に俺は、ルーナシアに行ったんだ!」
「やめて、亮太、やめてちょうだい……」
あたしは母に駆け寄り、肩を抱いた。こんなに小さな女性だっただろうか、と思い胸が締め付けられた。
「姉ちゃんなら、信じてくれるって思って、それで最初に会いに行ったんだ! だからプリスも預けた! そうだ、プリスがその証拠だよ! プリスは異世界人なんだ、彼女を連れてくればわかるよ!」
わめく亮太を、父は抑えつけた。父は柔道の有段者だ。身長は亮太の方が高いが、抗うことは決してできない。
「来い!」
父は二階に亮太を引っ張っていった。どうやら彼の部屋に閉じ込めたらしい。少しの間、謝るような声が聞こえていたが、諦めたのかふてくされたのか大人しくなった。母は放心状態であり、あたしはソファに寝かせ、ブランケットをかけた。
「礼子。あいつはお前にも、同じことを言ったのか?」
「うん。すっかり異世界に行ったと思い込んでいるみたい。あたしの部屋に来たときは、変な衣装まで着てた。それで……」
あたしは父に、昨日のことを洗いざらい話した。プリスという少女が一緒だったということも。
「ゲームか何かの影響か?」
「そうだと思う。多分、プリスが色々と吹き込んだのよ」
父の話では、昨日までの亮太に変わった様子はまるでなかったという。プリスと出会ってから、亮太は変わってしまった。あたしは石堂とプリスのことが心配になり、電話をかけた。
「石堂くん、そっちはどう?」
「一応、大丈夫ですよ。プリスには冷凍のナポリタン食べさせました。今は何か、霧の中から殺人鬼が出てくる映画を一緒に観てます」
「殺人鬼じゃないわ、亡霊よ。って、それはどうでもいいのよ……」
石堂によると、プリスは案外大人しく過ごしているらしい。見事な金髪と緑色の瞳は、やはり本物のようで、日本人ではないと彼は言い切る。発音のおかしい日本語は、訛りにしては不自然だが、演技にしては上手すぎるという。
「外国人なのは間違いなさそうね」
「本人曰く、異世界人ですけどね」
結局のところ、警察に突き出すしかないのだろう。あたしは石堂に断りを入れ、実家で軽食を採ってから、部屋に戻ることにした。亮太も何も食べていないのだが、父は水しか与えないらしい。母は唇を噛んだが、渋々それに了承した。
実家を出る前に、あたしは亮太の部屋の前に行った。
「あたし、戻るわね。プリスが本当のことを言わない限り、あの子は警察に連れて行くことになる。あんたはそれでもいいのね?」
「……本当に、プリスは異世界人なんだ」
泣いているのだろうか。亮太の声は震えていた。あたしは亮太に聞こえるよう、大きなため息をついた。
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