03 便利な後輩
他人と一緒に眠ったのは久しぶりだった。誰かさんが出て行ってから二年間。自分の部屋で、他人の寝息を聞くことはなかった。今、こうして聞こえているのが、新しい彼氏のものなら良かったのだが。
(弟と、その婚約者を名乗る変な少女、か……)
朝の七時くらいに目が覚めた。二人はカーペットの上に敷いた、来客用の布団に寝かせていた。ぴったりと顔を寄せ合っていて、姉としては目のやり場に困る。枕元には、彼らが脱いだローブや胸当てが置かれていた。
(まさか、下着姿で寝てないでしょうね!?)
そっと掛布団を上げると、亮太は高校の制服を、プリスはタンクトップのようなものを着ていた。不健全なことにはなっていないようで安心だ。
そしてあたしは、プリスの物と思われる胸当てを手に取ってみた。ずっしりと重く、コスプレ用品としてはよくできている。これを身に着けるのは相当しんどいだろう。華奢に見えるが、体力はあるらしい。
始発電車はとっくに動いていた。あたしはスウェットから、パーカーとデニムに着替えた。亮太に身支度をさせたら、すぐにでも実家へ行くつもりでいたのだが。
(この子、どうしよう?)
結局、プリスの身元は割れなかった。持ち物をあさってみるが、身分証になるものは見当たらなかった。彼女の幸せそうな寝顔をのぞき込んだ。目鼻立ちは、西洋人に近い。金髪も地毛のようで、純粋な日本人ではなさそうだった。片言とはいえ、日本語は喋れるから、留学生なのだろうか。
いくら何でも、彼女を実家に連れて行くわけにはいかない。しかし、あたしの部屋に置いていけば、何をされるかわからない。かといって、あたしとプリスがここに残り、亮太一人で実家に向かわせるのも心配だ。
(あいつには借りを作りたくないんだけど、仕方ない……)
あたしは電話をかけた。あいつも三連休は予定がないと言っていたし、きっと家にいるだろう。
「もしもし、石堂くん? おはよう。お願いがあるんだけど、いますぐうちに来てくれないかな?」
「れ、れ、礼子さん!? 行きます! 今すぐ行きますっ!」
職場の後輩、
「姉ちゃん、おはよ……」
「オハヨ……」
二人は同時に目を覚まし、揃って大きなあくびをした。亮太は目覚めが物凄く悪いのだが、プリスも同じようだ。のっそり身を起こしたものの、再び布団に倒れ込んだ。
「あんたら、とりあえず顔でも洗いなさい。それと、水なら冷蔵庫に入ってるから、勝手に飲んで」
返事はない。頭を蹴り飛ばしてやろうかと思ったとき、インターホンが鳴った。石堂が来たようだ。
「礼子さん! おはようございます! どうしたんですか? 何かお困りですか!?」
スピーカーの音が割れていた。いつもの大声を張り上げているのだろう。元気なのはよろしいが、朝からこいつの声は鬱陶しい。まあ、今回はあたしが呼んだのだから、文句を言える立場ではないが。
「事情は後で。入って」
石堂は、水揚げしたばかりの魚のように、活きのいい動作で入ってきた。
「おっじゃましまーす!」
「来てくれてありがとう」
「いやあ、礼子さんの頼みを断れるわけ……誰かいるっ!?」
石堂は大げさに後ろに飛び退いた。さすがの亮太たちも、石堂が来たことによって二度寝から覚めた。
「むむゥ……うるさァい……」
「姉ちゃん、それ誰? 新しい彼氏?」
「違うわよ。職場の後輩。あ、石堂くん。これは弟の亮太。その隣が、自称亮太の彼女」
「礼子さんの、弟と、その、彼女?」
あたしは亮太とプリスを洗面所に追いやり、その間石堂に事情を説明した。
「そんなわけで、石堂くんにはここでプリスを見ててほしいのよ。亮太を実家に送ったら、すぐ帰ってくるから」
「礼子さんがオレを頼ってくれるのは嬉しいですけど、ちょっと自信ないですよ?」
「何も、家が近いからって理由だけで石堂くんに頼んだんじゃないわ。大学で教職課程取ってたんでしょ?」
石堂は、新規採用でうちの課に配属されたばかりの二十三歳。教員にはならなかったが、免許だけは持っているらしい。プリスのことを考えれば、女性を呼んだ方がよかったかもしれないが、石堂は妙な気を起こすような奴ではない。高校教師と生徒のように接してくれれば、上手くいくと思ったのだ。
「いえ、その、ここって礼子さんの部屋じゃないですか。あの、いわば礼子さん空間なわけじゃないですか」
「玄関とキッチンとトイレ以外の取っ手を触ったらぶん殴るわよ」
「はい! 善処します!」
なんだかんだ言って石堂は真面目なので、この部屋を預けても大丈夫だと信じていた。プリス一人だけ置いていくよりも、よっぽどいいだろう。
「凄い! 凄いね! 本当に綺麗な水が出てくるんだ!」
「な、俺の世界って凄いだろ?」
洗面所では、二人がまだ異世界設定の芝居を続けていた。プリスのいたルーナシアとは、中世くらいの設定なのだろう。無駄な細かさに感心した。
亮太の準備が整ったので、すぐさま実家に帰ることにした。もちろん、あの変なローブは脱がせ、部屋に置いておくことにした。
「じゃあ、石堂くん、よろしくね。冷凍食品しかないけど、勝手に食事してもいいわよ。暇だったら、映画でも観てて」
「リョータ……」
「プリス……」
「は、はい、任せてください!」
見知らぬ男に彼女を預けるのは不安なのか、亮太は石堂を睨みつける。石堂は背が高い方ではないから、見下されるような格好だ。
「さっさと帰るわよ」
「痛い! 姉ちゃん痛い! ひっぱらないで!」
あたしは亮太の耳を引っ張り、駅に急いだ。
「うう、プリス、大丈夫かな……」
電車は空いていた。特急に乗れたので、三十分もかからず家に着けるだろう。亮太はずっと、プリスの心配をしていた。もっと他に考えることがあるだろうに。
「あの石堂とかいう奴、姉ちゃんの彼氏じゃないんだよね?」
「そうよ。あたし、年下は趣味じゃないもの」
「でも、あいつ姉ちゃんのこと、下の名前で呼んでたよ?」
「うちの課長が、朝倉さんっていうのよ。名字の読みが同じだから、職場の人はあたしのことを、礼子ちゃんか礼子さんって呼ぶの。別に、あいつとは特に親しいわけじゃないわ」
「そうなのかー」
亮太は馬鹿で素直なので、簡単に納得してくれた。しかし、この姉は少し嘘をついた。
ちょっと前、あたしの住むマンション付近で、強盗が出た。一人歩きの女性を狙い、襲って靴を奪うという変態だ。それを心配して、石堂があたしを送ってくれていた時期があった。犯人が捕まったことで、それは既に遠慮していた。
それがきっかけで、二人で食事をしたことが、無くもない。近所のスーパーで出くわし、立ち話をすることも、あると言えばある。
(年下じゃなきゃ、恋愛対象なんだけどな)
あたしまで、一体何を考えているんだ、と頭を振る。今考えなければならないのは、実家の両親に何を言うべきか、である。
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