第7話

 負の感情に似た黒いモヤが怒り叫ぶ母親の周りを包み、お前が父親を殺したのだと訴え続ける。


『お前がやった、全部お前が悪いんだ。』


「違う、違うの、私、覚えてなくて。そんな、私が。ごめんなさい、ごめん、なさい。」


 これは本当に、映像?

 黒い涙を流して罵声を浴びせる母親としっかり目が合っている。こっちに近づいてくる。さっきまでの幸せな映像とはまるで違う。

 

 もう目の前に母親がいる。

 振り上げられた手。座り込むメモリアを見下す母親の瞳に色はなく、憎しみ怒りが籠っている。手が振り下ろされた瞬間、怖くて瞳を閉じた。


「これ以上、聞く必要はないよ。」


「…………ッ。」


 メモリアの右耳を優しくマヤが塞ぎ、左耳を思いやりなんて一切ない強い力でカルルが塞いでいた。でもそんな事、どうでも良くて。それよりも目の前の母親の胸に真っ赤な剣が突き刺さっていた。マヤが、刺していた。


「これは歪められた記憶だよ。」


「ヌハハハハ、当たりではないか。」


 なん、で?

 これは映像なんじゃないの?

 何が起きてるの?


 目の前の母親は苦しそうに雄叫びを上げ、大きく漆黒に包まれた獣の姿に容姿を変えた。これは、映像なんかじゃない。震えるメモリアにマヤが口を開いた。


「聖戦が終わって世界から魔法が消えたけどね、魔族が全滅した訳じゃないんだ。魔法が消えた世界じゃ魔族の力も衰えるから危険はほとんどないんだけど、ごく稀に力を持ったままの奴がいる。キネマログは記憶と一緒に魔力も溜め込める性質を持っていてね、そういう力の強い魔族はキネマログに潜んで気を狙っている。だからあれは君の母親ではないよ。安心してね。」


「ここからはこの僕っ、キネマログリカバリーの領分。愚民はそこで大人しく泣き言でもいっていろ。」


 僕たちだ、とカルルの脚を蹴るマヤ。彼らはいつもの変わらない。まさかこんな光景で安心する日が来ようとは。


「まあ、そんな訳だから。君のキネマログは僕たちが直すよ。」


 安心してと笑うマヤの表情は今までにないぐらい生き生きとしていた。


「ふぅ、久しぶりの仕事だな。ほら、早くしろ。」


「はいはい。もっと服脱いでくれ。それじゃやりにくい。」


 座り込むメモリアの前に立つ二人は互いに向き合い、カルルは自身の着ていた上着のボタンを三つほど開け始め、マヤは長いシルバーの髪を耳にかけると、カルルの首元に触れた。マヤの白い指先がカルルの首元を這う仕草には色気が漂い、カルルも何故か頬を赤く染めている。


「……えっ、ちょっ、ちょっと、何をしてるのですか!?」


 妖艶な光景にメモリアは顔を真っ赤に染め両手で自身の瞳を遮りながら指の隙間を駆使して彼らの行動を凝視した。


「痛くしないで、マァヤちゃん。」


「気味が悪いこというな。こっちを向くな。息するな。」


「いやぁん。マヤちゃんたら、積極的〜。」


「チッ……。吸うぞ。」


 次の瞬間、マヤはカルルの首元に噛み付いた。


――……ゴクン。

 

 噛まれているカルルは気持ちよさそうな表情を浮かべ、マヤの頭を撫でる。辺りは血の匂いが漂い、マヤが血を啜る音、喉を鳴らす音、マヤから発せられる音全部が部屋中に響いた。

 異様な光景にメモリアは釘付けで魅入っていると、マヤの美しいシルバーの髪が見る見るうちに黒く変化し始めたのに気がついた。

 初めは頭皮の方から。そして髪先まで。美しい姿から一変、艶やかな大人の雰囲気を纏ったマヤはまるで別人。瞳は燃える様な赤に変わり、口元から垂れたカルルの血を舌で拭うだけで彼の周りに薔薇が咲いている様な錯覚に陥る。


「おふ、おふふふ、おふたりはっ、そういう関係なのですかっ!?」


「ヌハ、ヌハハハッ。そーゆー関係だっ!」


「黙れ、そして嘘を吐くな。」


 パニックが限界に達したメモリアは頭から湯気を出し、鼻血も止まらない。そんな彼女の隣に座ったカルルは腹を抱えて笑い転げている。


「ヌハハハハ、ヌヒィーッ。これは傑作。ヌハハハッ。」


「メモリアさん違うんだ、誤解なんだよ。けどその前にアレを片付けなきゃね。」


「そうだ、この僕の血を吸ったんだ。早く倒してこい。僕の可愛い下僕ちゃん。」


「チッ……、分かっている。」


 メモリアとカルルを残し走り出したマヤは手に持った赤い剣で魔族の獣に立ち向かう。獣は大きな狼のような見た目をしており、爪や牙で襲うがマヤには当たらない。

 マヤは踊るように身体を捻り攻撃を交わし、残虐に剣で獣を切り刻んでいく。彼の中に天使と悪魔が住んでいるかのよう。獣の脚を斬り、獣の牙を剣でいなし、目を潰す。黒い返り血がマヤに降り掛かるも気にしない。

 こんなにも血が飛び交うところを見たことがないメモリアは恐怖ではなく、マヤの戦闘姿に見惚れていた。


 彼はただ舞っているだけ。

 花を愛でるように、豊穣を祈るように、この先の未来が良くなるようにと、神に捧げる舞を披露しているようで。


――……それはただ、美しかった。


「カルル、今だ。奴の頭を狙え。」


「ヌハ、任されたっ!」


 息絶え絶えの獣は最後の力を振り絞ってマヤに飛びかかろうとしていた。メモリアが危ない、と声を上げるより前にカルルが胸元から取り出した古くさい銃がパンっと乾いた声を上げた。

 銃弾は見事、獣の頭に命中。黒いモヤに姿を変えた獣は銃弾に吸収され、やがてコロンと地面に落ちた。


「…………それは、キネマログ?」


 転がった銃弾をよく見ると小さなキネマログである事に気がつく。それを持ち上げたマヤはなんの躊躇もなくそれを口に放り込み、飲み込んでしまった。


「えええーーーっ!!」


「これでリカバリー終了。味は、イマイチだな。」


「すぐに吐き出して下さい、お腹壊します!」


 ペロッと唇を舐めるマヤの姿はもう元に戻っていた。シルバーの長い髪を揺らし、笑う彼は美しい青年の姿をしている。


「あの、あなた方はいったい……?」


「マヤは元吸血鬼。そしてこの僕っ、カルル・クローリスは魔族と人間の混血なのだ!」


 後ろからなぜかドヤ顔をしながら話すカルルの説明ではなんともピンとこない。メモリアがあからさまに分かっていないと知れたカルルはこれだから愚民は、と不機嫌になりそれ以上喋らなくなった。


「僕は元吸血鬼って言っても記憶ないから多分って話なのですが。僕の肉体は魔族で通う血は人間。カルルは肉体は人間なんだけど流れる血は魔族のもの。僕らは出来損ないの半端者です。魔族として死ねず、人間として生きられない。」


 マヤはシルバーに戻った髪をクルクルと指で遊ばせ、苦笑いを浮かべていた。彼は困った時こそよく笑う。


「僕はカルルの血を飲むと少しの間、完全な魔族に近い姿になれます。弱っていても魔族は人間より遥かに強いですから。だから本当に、本当に、嫌だけど僕らは二人で魔族を倒すキネマログリカバリーをしてるのです。」


 僕たちは絶対に人間を襲うような真似はしませんから、と慌てて付け足す彼の姿は一番最初に会った少し変わった青年だった。そんな彼を今から怖がるほとが難しい。


「フフ、大丈夫です。マヤ様方を信じています。それから、助けて下さりありがとうございました。」

 

 既にキネマログからの映像は途切れ、太陽も高い位置まで登ったようで光を遮っていたカーテンからも明るさが溢れ出していた。


「それより、アレは記憶喰いの類の魔族。倒した今、メモリアさんの記憶もあなたに返ったはず。大丈夫ですか?」


「どう、と言われましても……」


 別になんの変わりもありません、そう答えようとした時、自分の瞳から涙が流れている事に初めて気がついた。

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