第14話 フリ妻はイベント前後に外出する

「金曜日、友里子たちとクリスマス会するから出かけるわね」


 今年は十二月二四日、二五日がちょうど土日に当たるため、前日の金曜日に集まることにした。


「え、水曜日も出かけるんだろ?」

「そうそう。その日は日帰りで京都。前から行きたいねって話してたんだけど、やっと友里子が有給取れるみたいだから」


 航太郎の不満そうな声をあえて無視して、明るく返す。


「コタも金曜日は忘年会でしょう。ちょうどいいと思ったんだけど、ダメだった?」


 航太郎の浮気シグナルは、今年も発動している。今までは、十二月に「忘年会」と言われたら、疑うことなどなかった。しかし、気づいて意識すると、いろいろと違って見えてくる。


 紗英はイベントごとにこだわるほうではない。誕生日もクリスマスも、「ケーキの日」くらいの認識である。

 プレゼントを欲しいと言ったこともない。


 けれど、今年は紗英もクリスマスデートする。もちろん、友里子とは口裏を合わせてある。

 早くも、先日手に入れた勝負下着の出番である。自然と頬も緩んでしまう。


「なんだか、すごく楽しそうだな」


 航太郎が不満げに口を尖らせる。

 自分だって「サト」と会うクセに、何を言うのか。だから、つい言ってしまった。


「コタだって、忘年会に行くじゃない」

「それは仕事だろ。俺だって、行かなくていいなら行きたくないよ」


 これはよくない。航太郎が紗英に声を荒げることは、ほとんどない。苛立っている証拠だ。


「でもさ。この前の四国出張みたいに、行く前は嫌だと思ってても、行ったら案外楽しいこともあるでしょう。飲みニケーションはけっこう大事だよ?」


 紗英がなだめると、渋々ながらも「そうだけど」と頷いて黙った。


 最近の航太郎は、神経質になっているような気がする。紗英の交通系ICカードを家族登録したり、それまで別々だったクレジットカードをファミリーカードにしたり。


 紗英が仕事を辞めたから、といえばそうなのかもしれないが、行動を監視されているようで落ち着かない。

 たとえるなら、悪いことをしていなくても目をそらしたくなる、警察官が前から歩いて来たときの、あの感覚に近い。


 京都に行く前の夜、航太郎の腕が珍しく紗英の枕に伸びていた。腕枕の合図だ。航太郎は平気だと言うが、正直なところ、紗英は気をつかうし寝にくいから本当はやめて欲しい。

 隣から寝息が聞こえてきたころ、そっと腕を解放してやる。


 明日は朝早いのに、寝不足確定だ。




「遅くなるようなら連絡して。駅まで迎えに行くから」

「わかったわ。でも、友里子も明日は仕事だから、大丈夫だと思う」


 朝早く、航太郎に車で最寄り駅まで送ってもらった。航太郎は、最後にぽんぽんと紗英の頭をなでると、早すぎる時間に会社へ向かった。


 航太郎は過保護すぎる。紗英が友達と旅行に行くと、最寄り駅ではなく、新幹線の停まる総合駅まで車で迎えに来る。


 甘やかされ過ぎて困る。

 ここまでしてくれるのに、なぜ浮気なのか。それとも、浮気の後ろめたさからくる優しさなのか。

 航太郎の行動は、紗英の理解を超えている。




 航太郎には「友里子と」と伝えたが、もちろん浮気相手と旅行のフリ。


 紗英はおひとり様が苦手である。だから、京都には行かない。一日じゅうずっと、この総合駅で過ごすことになる。

 まだ多くの店が閉まっている。紗英は、開いているカフェを探して腰を落ち着けた。準備は万端。文庫本を二冊、鞄に入れてある。


 デパートをぶらぶらしたり、カフェで本を読んだりして、なんとか夜まで過ごした。最後にキヨスクで「八橋」を買ったら、アリバイは完璧である。


 時間を見計らって、適当な新幹線の到着時間を知らせると、航太郎はやはり車で迎えに来てくれた。


「写真ないの?」


 言われるがまま、スマホ画面を見せる。

 以前、友里子が彼氏と出かけたときの写真を、送ってもらってある。


 ご飯だけ。神社だけ。新幹線の座席だけ。

 航太郎の四国出張の違和感を再現した、自分も相手も一切写っていない写真。一緒に行ったのは浮気相手だから。


「金曜日は、あんまり遅くなるなよ。俺もお酒入って迎えに行けないぞ」

「うん、分かった」





 クリスマスイブのイブ、二三日は朝から空気がきんと冷たかった。

 天気予報では、午後から雪が降るらしい。ところによっては、交通機関に影響が出るかもしれないという。


「今日本当に行くのか? 夜、危なくないか?」

「そのつもりよ。積るといっても、街中まちなかは大丈夫でしょう。地下鉄なら影響ないし。そっちの忘年会は中止?」

「いや、まだその連絡はないけど。帰れなくなるやつがいると困るから、どうかな。今日はホテルも満室だろうし」

「そう。コタも帰れなくならないよう、気をつけてね」

「俺? 俺は帰るよ。ぜったい、帰って来る」


 航太郎は、そう言い残して出勤した。


 お昼過ぎ、紗英は今日のために新調したワンピースに着替えた。いつもより念入りにメイクする。指先のマニキュアにはパールを乗せた。クリスマスを意識して、雪の結晶をモチーフにしたピアスをつける。天気予報を考慮して、ヒールのないバレーシューズにした。


 これなら、浮気相手とのデートに見えなくもない。

 実際には、友里子たちとクリスマス会なのだけれども。


 夜七時に店を予約してある。その前に、友里子と早めに待ち合わせて、ショッピングの予定だ。

 ホワイトクリスマスになるなら、宴も盛り上がるだろう。


「あら、紗英ちゃん?」


 友里子と歩いていると、名前を呼ばれた。人混みの中から声の主を探すと、ひときわゴージャスな毛皮のコートを着たご婦人が立っていた。マダムだ。


 紗英が笑顔で頭を下げて近づくと、隣には旦那さんもいた。

 有名パティシエのお店の大きな紙袋を下げているところからすると、クリスマスケーキを取りに来たらしい。


「こんにちは。クリスマスデートですか。羨ましい」

「違う違う。ケーキを取りに来ただけよ。主人が楽しみにしてるから。紗英ちゃんたちは?」

「わたしたちはデートです」

「いいわね。私も入れてもらおうかしら。そうだ、お茶でもしていかない?」


 予約までにはまだ時間があるし、ちょうどカフェに入ろうと話していたところだ。紗英が友里子を見ると、瞳が輝いていた。


「私もぜひご一緒したいです! ね、紗英みんなでお茶にしよ」

「申し訳ないけど、僕はケーキがあるから先に失礼するよ。引き留めて迷惑かけないようにね」


 旦那さんはマダムに釘を刺し、他の荷物を受け取ると、人混み紛れた。

 残った女三人は、クリスマスらしくとホテルのラウンジに行くことにした。


 テーブルの用意ができるまでのあいだ、友里子とマダムを互いに紹介する。

 友里子は持ち前の好奇心と物おじしない性格で、テーブルに紅茶が置かれたころには、すっかりマダムと打ち解けていた。


「素敵な旦那さんですね。かっこいいし、ジェントルマンでした」

「やだ、そんなんじゃないわよ。え、なに。もしかしてそんなふうに見えてた?」


 マダムが紗英のほうを見るので、紗英もうんうんと首を縦に振った。


「あらあら、困ったわね」


 マダムは、くつくつと楽しそうに笑った。笑った目元と薄い唇が、本当に旦那さんとよく似ている。


「紗英も専業主婦だし、私も早く結婚したくなっちゃいました。プロポーズしてくれないかな、アイツ。紗英、なんか聞いてない?」

「いや、知らない……」


 ついと目をらす。じつは、友里子の彼氏がクリスマスにサプライズを企画していることを、事前に相談された紗英は知っていた。

 友里子がじっと紗英を見つめる。耐え切れなくなって、紅茶を飲んでごまかした。

 そこへマダムが助け舟を出してくれた。


「友里子ちゃん、気配がしても知らないフリしなきゃダメよ。男はロマンチストだから。ところで紗英ちゃん結婚してるの? 指輪してなかったわよね」

「は、はい。ジムでは落とすといけないから外してるんです」


 紗英はおそるおそる左手を胸の前に上げて甲を向けた。


「あらら。それは……ご愁傷さまね」

「うわ、私だけ独身で残念、みたいに言わないで下さいよ」

「そういうつもりじゃないのよ。ごめんね、友里子ちゃん」


 偶然会って一緒にお茶をすることになったが、次回の約束をするほど話がはずんだ。

 連絡先を交換しようとマダムがスマホを取り出して、慌てた声を出した。


「主人からだわ。あらやだ、もうこんな時間」


 夕方の四時半を過ぎていた。ホテルを出ると雪がうっすらとアスファルトに積もっている。マダムは急いでタクシーに乗って帰って行った。



 残された二人は、久しぶりに会う仲間へのクリスマスプレゼントを探しに百貨店へ入った。

 紗英はイニシャル入りのハンカチを、友里子はティーバッグがサンタクロースの顔になっている、フレーバーティーをラッピングしてもらう。


 久しぶりに顔を揃えた仲間たちと、思い出話に花が咲き、恋バナで盛りあがり、少しだけ仕事の愚痴を聞く。


 航太郎のことを考えずに過ごしたのは、何か月ぶりだろうか。紗英は心行くまでクリスマスを楽しんだ。

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