第7話 フリ妻誕生

「みんなの写真ないの?」

「カメラマン役がまとめて撮ってたから、あとで連絡がくると思うわ」


「地元のイタリアンレストランだったんだろ、どの辺り?」

「コタも前を通ったことあるわよ。ほら、お母さんがよく行くケーキ屋さんの近くにできたところ」


「二次会はどこだったの?」

「カラオケだったみたいよ。わたしは疲れちゃって……ホテルに帰ってすぐに寝ちゃったわ」


 紗英が自宅に戻ってから、航太郎はずっとこんな調子だ。

 昨日ホテルで目覚めると、スマホにはメッセージが六件残っていた。しかし、紗英が航太郎に「今から帰る」と連絡を入れたのは、空港に到着してからだった。

 連絡が取れなかったことを怪しんだのか、家に着くなり質問攻めにあった。


 結局、健はもちろん林原とも何もなかった。

 紗英は林原からもらった、リボンのお守りを棚に置きながら、ひとりぼやいた。

 

「なーにが『俺を呼べ』よ。連絡先も交換してないんですけど?」


 健に聞けば教えてくれそうだが、あまりにも意味がありすぎて、そんなマネはできない。SNSから辿たどったとしても、林原に勘違い女のレッテルを貼られたら、もう二度と顔を合わせられない。

 人に頼るのが苦手だと分かっているなら、もう少し優しく、救いの手を差し伸べてくれても良いではないか。


 そんなこともあって、紗英は内心こりごりだった。

 浮気をたくらんだだけで、この有りさまだ。本当に浮気したとして、紗英のミジンコ並みのメンタルでは、耐えられそうにない。


 それに、航太郎の反応が意外だった。ひと晩連絡がつかなかっただけで、これほど大騒ぎするとは。

 紗英からしたら、航太郎のほうが浮気をしていることを忘れていないか、と言いたくなる反応である。


 さすがの航太郎も、紗英に同じ思いをさせていると気づくだろう。

 これはもう、目標達成ではないのか。


 楽観的に考えて、報告も兼ね友里子を呼び出した。




「甘いよ、甘すぎる。自分に甘くて他人に厳しい男くらい、いくらでもいるわよ?」

「コタってば、お義姉さんたちと年の離れた末っ子だしね……」


 航太郎は、甘やかされるのに慣れている。


「でもまあ、紗英に浮気は向かないってこと、分かったなら良し」

「ほんと、散々だったわよ」

「で? 本当に『リン君』とは何もなかったの? これっぽちも?」

「だーかーら、ひと晩じゅう語り明かして終わり。それだけだってば」


 ホテルの部屋まで連れ込んだことは、この際棚に上げておく。


「ふーん。ま、どこからが浮気かなんて、人によるからねえ」

「そうなの? しちゃったらだと思ってたわ」


 探偵事務所のホームページにも、不貞行為の証拠がそろってはじめて、相手の責を理由に離婚できると書いてあった。


「法的にはそうでしょうね。けど、二人きりで食事しただけで浮気だっていう、狭量な元カレもいたわよ。かたや、ひと晩じゅう同じ部屋にいても、友達だと言い張る芸能人だっているわけだし」


 友里子の言葉に、紗英はふたたびひらめいた。


「――それだったら。リン君のこと、わたしの浮気相手だと言っても過言ではないよね?」

「いや過言、過言だから。紗英、またヘンなこと考えてるわね? 彼の連絡先も知らないんでしょう」

「それはいいの。実際に会うと、言い訳を考えたり、証拠を消したりが面倒だから」


 今回のことだって、調べられたら言い訳できない。


「そう思うなら、浮気は合わないのよ」

「でもさ、SNSでもよくいるじゃない、そういうつもりで生活する人。名付けて『エア彼氏』ならぬ『エア浮気』」

「は?」

「これなら疑われても、やましいことは何もないから堂々とできるッ!」


 紗英がそう言うと、友里子は目を点にした。それから、ため息とともに指で眉間を押さえた。


「ごめん、ちょっと理解できないわ。私は『エア彼氏』容認派だけど、紗英のやろうとしてることは、ただコタさんの気を引きたいだけに見えるよ」


 友里子の嘆きも構わず、紗英は「浮気のシグナル」をスマホに表示させた。



 ・スマホを手放さない

 ・スマホを裏向きに置く

 ・残業、出張、休日出勤が増える

 ・ダイエットをはじめる

 ・服装に気を遣う

 ・急に優しくなる

 ・相手の予定を詳細に確認する

 ・スケジュールになぞのマーク

 ・帰宅してすぐ風呂に入る

 ・勝負下着を買う(特に女性)

 ・イベントの前後に外出が増える



 これを、友里子にも見えるようにテーブルに置いた。


「見てよ。相手がいなくてもできることばかりでしょう?」

「確かに……、私たちでもいちどは経験ありそうなことだわね」

「でしょう?」


 そうだ。

 まずは、家の中でスマホを持ち歩こう。ダイエットも、服装を変えることもすぐにできる。航太郎へ忘れずに感謝を伝えるようにして、誕生日やクリスマスには友里子たちと会えばいい。

 何も、浮気でないとできないことはない。


「このリストを順番にやるの。浮気をにおわせて、コタにそう思わせればいいのよ」

「そんなに上手くいくかな」

「ひと晩連絡がつかなかっただけで、あれだけ焦ったんだから、きっと大丈夫よ」


 友里子は「もう好きにして」、と言わんばかりの呆れ顔だ。

 紗英はスケジュール帳を取り出すと、同窓会のあった日に、十五と書いて丸をつけた。リンの原子番号である。

 浮気のフリをする日には、このマークを書くことにしよう。


「と、いうわけだから。友里子さま、引きつづきご協力をお願いします」

「協力って、何をすればいいの?」

「それはもちろん、口裏合わせよ」

「でも、実際に浮気するわけじゃないんでしょう?」

「そうね。だったら、浮気の口裏合わせをしているフリ、かな」

「ややこしいわッ!」


 こうして、紗英の戦いがはじまった。


 おかしなことだが、「居もしない浮気相手と浮気のフリをする」という、このバカげた状況に、紗英は少しだけわくわくしていた。

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