第6話 同窓会②

「え、リン君……!? クラス違ったよね?」

「ああ。先生には部活でお世話になったから、別枠参加ってことでもぐりこんだ」

「へえ……」


 リン君こと林原はやしばらは、中学三年のときこそ別のクラスだったが、小学校から一緒だったので遠慮のいらない間柄である。


 とはいえ、林原は成績優秀で剣道部のキャプテンを務めていた優等生。そのうえ家は神社で、凛としたたたずまいが大人っぽいと人気だった。

 仲良くすると、ほかの女子からのやっかみがすさまじいので、だんだんと必要最低限のかかわりになってしまったのだが。


「で、どうなの?」

「ああ、たけやんね。うん、つき合ってた。卒業してからちょっとだけ」

「意外だな。ああゆうのがタイプだったんだ」

「いろいろあったんだよ」

「いろいろって?」


 やけに突っ込んでくるから、変な勘繰りが頭をかすめる。しかし、すぐにその考えは否定した。まさか、彼が紗英を狙っているなんてこと、あるはずがない。


 林原は、テーブルの上に置かれた箸袋を折り紙のようにして遊んでいる。紗英は気づかれないようにそっと視線を彼の左手へと移した。

 指輪はなかった。


「なんでリン君がそんなこと、今さら気にするの?」

「紗英ってけっこうモテるのに、ぜんぜん男に興味なかったじゃん」

「はあ!? モテたことなんて、いちどもありませんけど? たけやんが最初で最後でしたけど?」


 健の次の彼氏は大学のころだ。それも無理やり連れて行かれた合コンで口説かれて、そのあと一回だけ会ってすぐにお別れした。

 彼氏のひとりに数えるのも、申し訳ない程度のつき合いだった。


「それはお前が、近づくなオーラ出しまくってたから。男はビビるだろ……てか、たけやんが最初で最後とか笑わすな」

「……うるさいわね」


 どうしてこんな恥をさらさねばならんのか。紗英はお酒も飲んでいないのに、顔が熱くなる。


 林原は昔からこうだ。

 人のことを見透みすかしたようにからかって、まったく腹の立つ。でも、一緒にいて自分を飾る必要がない。話していて気持ちいい。

 そういえば、女子のあいだでは「話をしたらかならず好きになる」という伝説を作った男だった、と思い出す。


 危なかった。これが彼のやり口だったわ。

 ムッと警戒心を丸出しにして睨みつける。林原はまるで気にするようすもなく、ビールの入ったピッチャーを紗英の前で傾けた。


「わたし、お酒飲めないから」


 紗英が手のひらでグラスにふたをすると、林原は目を丸くした。


「ウソだろ!? その顔で?」

「それ、いっつも言われるんだけど。なんか関係あるわけ?」


 紗英の声が自然と剣呑けんのんになる。

 なにげに、紗英が納得いかないことのひとつだ。なんなら当社比では、おとなしそうな顔した可愛い子が、ガンガンいけちゃうパターンのほうが多いと思いますけど?

 そんな紗英を見て、林原はなぜか笑みを浮かべた。


「お前――」


 林原が何か言おうとしたところで、セレモニーがはじまった。


 田中先生に花束とプレゼントが手渡され、健がお礼の手紙を朗読する。最後に先生からお言葉を頂戴したが、そこは酔っぱらいの集団だ。先生がマイクを通して泣くものだから、つられて泣き出す者、ヤジを飛ばす者がいて、会場は収拾がつかなくなった。

 同窓会は、締まりに欠ける終幕になった。


「二次会行く人は外で待っててくださーい!」


 最後まで幹事の仕事をこなす健を横目に、紗英は駅に向かって歩き出した。

 紗英なりに覚悟を決めてきたつもりだったが、見事に空振りである。


 航太郎の浮気というショッキングな事実に、いささかムキになっていたようだ。「自分も浮気してやる」などと意気込んでも、もともと恋愛は苦手だ。

 考えてみれば、自分から積極的に相手を釣ろうとした経験もなかった。それをいきなり浮気相手を見つけるなど、ハードルが高かったのだ。


「ホテルに帰ったらひとり反省会。それから、今後の対策も練らないと。なんで浮気するなんて宣言しちゃったかな」


 報告したあとの、友里子の大笑いが想像できる。駅までの道のりを歩きながら、恥ずかしさで転がりたくなった。

 駅のホームに出ると、先に着いていた林原と目が合った。なんとなく近づいて、横に立った。


「紗英、お前今晩実家に泊まるのか?」

「実家にはいかない。空港の近くでホテルとってあるから。リン君こそ、二次会行かないの?」


 なんといっても「伝説」の男。話したいと思っている女子は多いだろうに。


「先生が帰ったら俺は完全に部外者だし。――なあ。これからサシで飲みに行かない?」


 林原は一呼吸してから誘い文句を口にした。紗英は反射的にその横顔を見つめた。彼はまっすぐ前を見たままだ。


「やめろ。かなり恥ずかしい」


 林原の焼けた頬が赤く染まっていた。それが分かって、紗英の体温もいっきに上昇する。

 彼が「拾う神」だったか。


「久しぶりに語り明かすのもいいですね」


 林原と語り明かした記憶はないけれど、そうでも言わないと「行く」とは言えなかった。


「空港近くのホテルって、新しくできたガラス張りの?」


 林原の問いに紗英は頷いた。

 開業したばかりで予約に慣れていなかったのか、ホテルに着いたらダブルブッキングが判明した。それでチェックインに時間がかかり、同窓会に遅刻したのだ。

 代わりに用意されたのは、紗英が予約した部屋よりもかなりランクアップされた部屋だった。それこそ、ひとりで泊まるにはもったいないくらいの広い部屋だ。


「じゃあ駅前に移動するか。あそこならどっか入れるだろうし、お前が疲れたらすぐホテルに帰れる」

「リン君はどうするの?」


 今度は林原が紗英を見つめる番だった。

 あ、間違えた。しかし、口から出た言葉は取り消せない。

 変な意味で聞いたんじゃないの。ごめんなさい――。

 紗英は心の中でひたすら謝った。


「終電あったらそのまま帰るし、なかったら……タクシ―」




 結果的に、終電もタクシーも使うことはなかった。


 広い部屋に置かれたツインベッド。奥のベッドに紗英が、手前のベッドに林原が、それぞれ服のまま倒れ込んだ。

 枕もとの時計は午前二時十八分と表示されている。

 体は疲れているのに、眠りたくない。もっとずっと話していたい。そんな感情が紗英を支配していた。林原も同じ気持ちなのか、横になってもじっと紗英を見つめている。


「リン君っていい子だよね」

「は? 今それ言うのはおかしくないですか」


 林原はムッとした声で丁寧に抗議した。そして迷うように視線をただよわせたあと、 真っすぐに紗英を見て言った。


「今日、なんで誰にも結婚したこと言わなかった? 指輪もしてないし」

「え、なんで……リン君がそれ知ってるの?」

「だいぶ前に、たけやんのおばさんと母さんが話してるの聞いた」


 うわ、知っててここまでつき合うなんて人が悪い。いや、今言ったのが彼の誠実さか。

 それにしても、母親たちの情報網というのは厄介である。いくつになっても、同級生に「個人情報」が駄々洩だだもれになるとは。

 しかし、それなら健の態度にも納得だ。きっと紗英が結婚していることを知っていたから、結婚報告したに違いない。


「たいした意味はないよ。聞かれなかったから言わなかっただけ。根掘り葉掘り聞かれたくないから指輪を置いてっただけ。三十路の女子はいろいろビミョーなんです」

「そうか……そうだな、確かにビミョーだ」


 どうやら彼にも心当たりがあるらしい。それはそれで、モヤッとしてしまう。

 すると林原がもぞもぞと起き上がり、鞄に手を伸ばした。


「ん、お前にやる。お守りに持っとけ」


 差し出されたのは、紙で作られたリボンだった。緑、白、赤のトリコロールが可愛い。わざわざ神社じっかから持ってきたのか、と喜んでから気づいた。


「これって、同窓会で折ってた箸袋じゃ……」

「飲み会で女の子にやるとウケるんだよ」


 林原はニッと笑った。

 こんのやろぉ……ッ!


 小学校の五年生ではじめて同じクラスになってから、二人はずっとこの距離だった。お互い悪く思っていないけれど、これ以上近づくこともない。紗英にはちょうどいい距離。

 林原がモテるようになって離れて、それから十五年も経った。ふたたび、こんなふうに話せるようになるとは。人生は不思議である。


 それから、いつまで話し込んでいたのか覚えていない。

 ふと会話が途切れた。林原は横になったまま手を伸ばして、紗英の頭をでる。そのまま手のひらで紗英の視界をおおった。


「なあ。もし、たけやんじゃなくて俺が告ってたら、お前つき合った?」


 目の前が真っ暗になった途端に眠気ねむけが襲い、紗英は意識を飛ばしそうになりながら答える。


「うん……つき合ってた、と思う」

「そっか。お前は人に頼るの下手クソだからな。なんかあったら俺を呼べ」


 遠くのほうで、林原の声が聞こえた。紗英は必死に「ありがとう」と口を動かして、そのまま眠りに落ちた。


 翌朝、紗英が目を覚ますと林原の姿はなくなっていた。

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