第5話 同窓会①

 朝晩が肌寒くなる、秋のはじめに同窓会はあった。

 紗英の地元に最近オープンしたという、和モダンなイタリアンレストランが会場である。


 ホテルのチェックインに時間がかかり、開始時刻を過ぎていた。入口には「貸切り」の札がかかっているだけで誰もいない。

 服装よし、髪型よし、お化粧よし。

 指輪はホテルに置いてきた。


 紗英は深呼吸して一歩踏み出した。扉に手を掛けようとしたら、中から開いた。


「あれ、もしかして紗英?」


 たばこをくわえて出てきた男の声に、懐かしさで耳の奥が震えた。元カレのたけしだった。

 いちばん顔を合わせづらい相手であり、今日のターゲットでもある彼は、あのころと変わらない笑顔を見せた。

 紗英は腹をくくった。いざ出陣――ッ!


「たけやんお久しぶり! ちょっと遅くなっちゃった。中はもう盛り上がってる?」

「お、おう。はじまる前からすげえテンションだったよ」

「そっか。まずは先生にあいさつだよね。たばこ終わったら、またあとで話そう」


 店の中に入ると、ウエルカムボードが置いてあり、「三年B組 田中先生の勇退を祝う会」と書かれていた。

 中学を卒業して十五年の節目と、担任だった田中先生の定年退職が重なったため、委員長だった健を中心に同窓会を企画したという。


 当時、学年主任を務めていた田中先生は、紗英にとってはただただ厳しい先生だった。数学教諭だったこともあり、苦手意識も働いた。

 しかし、いざ目の前に立つと「年とったなー」という感想しかない。柔和にゅうわなおじいちゃんぜんとしており、あのころの面影は見いだせない。


「浮気相手を求めて出席した、わたしが言うのもなんだけど……」


 ときの流れとは恐ろしいものである。

 ひと通りあいさつが済むと、つるんでいたメンバーの座るテーブルに向かった。


「紗英、遅いからやっぱり都合悪くなったかと思ったよ」

「ごめんごめん。それより、みんな綺麗になっててびっくりした」

「ありがとう。そっちこそ見違えたよ」

「うん、紗英がすごく大人になってる」


 今日のために友里子が選んでくれたのは、柔らかいシフォンのワンピースである。「露出は控えて」という忠告に従って、手持ちのカーディガンを肩から掛けてきた。

 真珠のピアスは動きに合わせて揺れるものを選んで、獲物がエサに喰いつくのを待っている。


 食事はバイキング形式だった。はじめは仲良しグループごとにテーブルを囲んでいたが、会がすすむにつれ、席の移動がはじまった。

 男女で分かれていたものが、だんだんとばらばらになっていく。

 そのころになってようやく、紗英の座るテーブルに健がやって来た。


「幹事お疲れさま。企画してくれてありがとうね。ぜんぜんみんなと会えてなかったから、今日は来られて良かったわ」

「どうも。俺も紗英が来てくれて良かったよ。話したいこともあったし」

「たけやんの言いたいことは、なんとなく察してます」


 健とは中学の卒業式の日に告白されて、しばらくつき合っていた。しかし、紗英のほうからだんだん距離を置いて、自然消滅となった。


「なら話が早いな。なんで俺とつき合った?」


 なぜ、と聞かれたら「空気を読んだ」と言うしかない。

 同じ部活の中に、健のことを好いている子がいた。紗英はその子からずっと聞かされていたのだ。


『健くん、紗英のことが好きなんだって。だからつき合ったらいいと思う』


 ってなに。どうして、自分が好いている男と紗英をくっつけようとするのか。紗英にはまったく理解できなかった。

 ただ、周りは失恋したその子に同情的だった。紗英はどんどん逃げ場を失っていき、告白されたときには、自分でも受け入れる気になっていた。


「たけやんならって思ったからだよ」

「……紗英ってそういうとこあるよな。空気読めないつーか」

「うわ、心外だわ」


 紗英ほど、みんなの顔色をうかがっている人間はいない。

 何も知らないクセに、と心の中で憤る。


「俺としてはさ、あの告白はけじめだったんだよ」

「けじめ?」

「紗英が俺のこと好きじゃないのは分かってたし、周りからいろいろ言われてうんざりしてるのも知ってたからさ。卒業式ならちょうどいいと思ったのに、OKするんだもんな」

「そうなの? ぜんぜん知らなかった」

「だろうね。その割にすぐフェイドアウトだろ。俺傷ついたわ」


 健はおどけたように語った。その顔をじっと見つめて読み取ろうとしたが、紗英にはそれが真実かどうか分からなかった。


「なんか……ごめん。いろいろ考えちゃって」

「いいって。あれは俺の事情に紗英を巻きこんただけだから。だからさ、紗英が俺のこと気にする必要ないって話」


 健が穏やかに言った。


「ありがとう。なんにも分かってなくて、恥ずかしい」

「そうだよ。紗英って、自分が思ってるほど空気読めてないんだよな」


 健の口元には、こらえきれない笑みが浮かんでいる。


「ちょっと、その顔やめて」

「本当のことだろ? なんでも知ってますって顔でしゃに構えてるくせに、ぜんぜんダメダメじゃん」

「悪口禁止」


 とうとう健は声を上げて笑い出した。つられて紗英も笑う。

 紗英の中にあった、中学時代の小骨が消えていくのを感じた。

 それだけでも来てよかった。子気味こぎみよくグラスを空にして、ふと今日の目的を思い出した。これは、イケるのだろうか?


「正直がいちばんだぞ」

「はい。よく分かりました」

「しかし、紗英に踏み台にされるなんて、俺も若かったな」

「……その節は誠に申し訳なく」


 紗英は深々と頭を下げて、健のグラスになみなみとビールを注いだ。


「うむ、苦しゅうない。俺もさ今度結婚するんだよ。だから今日は紗英と話せてよかった」

「それは……おめでとうございます」


 嬉しそうな顔で報告する健に、これ以外の言葉は思いつかなかった。

 なんでだろう。急に紗英がフラれたような気持ちになる。


「これ、もらっていい?」


 紗英と話して気が済んだのか、誰かが持ってきてそのままになっていた唐揚げをつまみはじめた。きっと、幹事の仕事が忙しくてなかなか食べられないのだろう。健の前に、ほかのお皿も並べてやる。

 しかし、ゆっくりはしていられなかった。


「おい幹事、向こうで呼んでるぞ」


 もうすぐ先生へのプレゼント贈呈セレモニーだと、幹事である健を呼びに来たのである。

 健は立ち上がり、いっきにグラスを空にすると、軽く手を上げて行ってしまった。


 テーブルには紗英のほかに、ひと組の男女が座っていた。中学のころはただのクラスメイトだったのが、大学で再会してそのまま結婚したという二人だ。


「まさかあの二人がねえ」


 分からないものである。男女とは。恋愛とは。紗英には分からないことだらけであった。


「たけやんに、相手になってもらうのは難しそう」


 結婚間近の彼女がいるなら、紗英にうつつを抜かすような性格ではない。

 紗英がため息を吐いたときだった。


「お前、たけやんとつき合ってたの?」


 健を呼びに来て、そのまま入れ替わるように座ったらしい。焼けた肌に、白さが際立きわだつ大きな目が、紗英を見つめていた。

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