第4話 友里子

「やー、悪いね突然呼び出して」


 紗英が地下鉄の改札口で待っていると、快活かいかつな笑顔を浮かべたが大声で近づいてきた。

 白いカットソーと紺色のパンツを合わせたシンプルな装いも、スレンダーな友里子が着るとサマになっている。


 紗英は体のラインの出ないワンピースを着てきた。身長をカバーするための厚底サンダルは定番である。


「いいよいいよ。わたしもちょうど連絡しようと思ってたところだから」


「でしょ。ピピッと来たから誘ったの」


 友里子が天に向けて指をさすと、二人は顔を合わせて笑った。彼女とは高校からのつき合いで、今でも月にいちどはお茶をする仲だ。


 立っているだけで汗が噴き出す暑さだった。あいさつもそこそこに並んで歩き出すと、駅裏の茶房さぼうへ入った。

 半個室で日本茶と和菓子を楽しむことができる、二人のお気に入りだ。


 個室には四人掛けのテーブルのほかに、すみに茶棚があった。その茶棚の上にはIHコンロが置いてある。


「玉露とかぶせ茶のティータイムセットをひとつずつ、お願いします」


 注文を終えて店子たなこが下がると、友里子はさっそく目を輝かせた。


「久しぶりにそういう感じの紗英を見た気がするなあ」


「そういう感じ?」


「うん、モノトーンのクール系。紗英っぽくていいと思う」


 紗英は自分の服装を見た。そういえば、最近はパステルカラーを着ることが増えたかもしれない。今日の黒いワンピースも、今シーズンはじめてそでを通した。


「女の子らしくしようとしてたかも。コタが、そういうの好きだから」


「へえ。コタさんがねえ。そうかそうか、相変わらずラブラブだ」


 紗英は「そうじゃない」と声を上げようとした。しかし、店子がお盆を運んできたのに気づいて口をつぐんだ。

 友里子は、気にしたようすもなく話しつづける。


「高校でさ、仲良かった六人のうち、紗英だけは結婚しないだろうってみんな言ってたんだよね」


「それは、わたしがいちばん思ってた」


 結婚の報告をしたとき、ひどく驚かれたことを覚えている。


「それがもう四年? 五年?」


「……五年」


「私、彼氏とだってそんなにつづいたことない。ラブラブの秘訣ひけつを教えてほしいわ」


 言葉とは裏腹に、顔はまったく切実そうに見えない。今の彼と上手くいっているのは、紗英もよく知るところだ。


「仲は悪くないと思うけど、ラブラブではないよ。シェアハウスの同居人みたいな感覚でいれば、大抵たいていのことは大丈夫なのよ」


「いやいや、もうちょっと結婚に夢見させてよッ!」


「いやいや、現実を見ることも大切だよ」


 学生時代からつちかわれた二人の会話は、ネタのように投げ返される。遠慮のいらない親友は、貴重な存在だ。


「いつもありがとうございます。鉄瓶は大変お熱くなっておりますので、お気を付けください。お湯の追加はお気軽にお申し付けください」


 店子は、お茶とお茶請けについて丁寧に説明して部屋を出て行った。砂時計が落ちるのを待って湯飲みに注ぐと、ふわりとまろやかなお茶の香りが鼻腔をくすぐった。

 本日のお茶請けは甘納豆あまなっとう、いちご大福、きんつば、あられ、塩昆布となっている。

 落ち着いた筝曲そうきょくの音色も相まって、心身ともに癒される。


 この茶房の特徴は、お茶の葉をグラムで購入するシステムである。最初に使った茶葉の残りは持って帰ってもいいし、おかわりを楽しんでもいい。お湯は茶棚の上、IHコンロにかけてある鉄瓶に入っている。

 半個室になっているため、作法を気にすることもない。

 まるで家にいるかのようにくつろげる。おしゃべり好きの二人には、たまらない茶房だ。


「よし、次はかぶり茶にしよう」


 友里子が席を立って鉄瓶から急須へお湯を注いだ。しばらく待っていると、紗英の前にも新しいお茶が置かれる。

 これだけ気遣いができるのに、歴代の彼氏と長つづきしなかった理由が紗英には分からない。


「さっきの話だけど、わたしたちほんとにラブラブではないよ。コタ浮気してるみたいだし」


 さらりと告白すると、甘納豆をつまんで口に入れようとしていた、友里子の動きが止まる。

 紗英は唖然としたようすの彼女を眺めながら、大福を頬張った。すると、目の前から地をうような声がした。


「なんだって?」


 聞いたことのない低い声と、はじめて見る親友の鬼の形相に、紗英はあわてて大福をお茶で流し込んだ。

 目がマジだ……ッ!


「今日はそれを聞いてほしくて」


 紗英が言うと、途端とたんに鬼から親友に戻って気遣う表情になる。


 今度は紗英が新しいお茶をれ、マンゴーから過去の違和感までを洗いざらい説明した。話を終えると友里子は大きなため息を吐いた。


「なんていうかそれは……決定的ではないけれど、かぎりなくクロに近いグレーだわね」


「ほかの人が聞いてもそう思うんだ。良かった。わたしだけの思い込みじゃなくて」


「良くないでしょうッ! コタさんに確認したの?」


 紗英は首を横に振った。


「口にするとそのまま離婚になりそうだし。ほら、今わたし無職だし」


「目をつむると?」


 紗英は目でうなずいた。


「前にコタと映画を見てて、相手が浮気したらどうするかって話をしたことがあったの。そのときコタは『ムカつくけど、情があるからゆるすと思う』って言ったのよ」


「それって『俺の浮気も許せよ』ってことじゃない」


「今考えたらそうなんだけど。今回いろいろ考えたら、コタの言うことも分かる気がしてて。メッセージ見たあとも、コタと笑いながらご飯食べられるのって、そういうことかなって」


 友里子は口をへの字に曲げて紗英の話を聞いている。そして、おもむろに口を開いた。


「それって――悲劇のヒロイン気取きどってるわけじゃないよね?」


「ないない。怒ってないわけじゃないし、ぎゃふんと言わせてやりたい気持ちもある」


 紗英が手をひらひらさせて苦笑すると、友里子は腕を組んでうんうんと頷いた。


「分かるわ。うちの彼もね『何でもいいよ』としか言わないの。何食べたい? どこ行きたい? どっちがいい? 何聞いてもそれ。だから私から聞くのやめたの。それで彼に聞かれたら『何でもいいわよ』て言うようにしたのね。そしたらすごく困った顔してさ。ようやくこっちの気持ちが分かったみたい。最近はちゃんと考えてくれるようになったわ」


「同じ状況になれば、気持ちが分かる……?」


「そう。子どものころに教わったでしょ。自分がされて嫌なことは相手にもするなってアレよ」


 友里子の言葉を受けて、紗英の脳裏に一筋の光明こうみょうが見えた。


「――友里子、それもらった」


 紗英は目を見開いて立ち上がった。


「どれ?」


「わたしが今どういう気持ちか、口で言えないなら態度で示せばいいのよ。――決めた。わたし浮気する。そしたらコタもわたしの気持ちが分かるはずよ」


 友里子は目を丸くしたあと、眉をひそめた。


「目には目を……? あんまり感心しないなあ」


「大丈夫よ。コタだって『許す』と言ってるんだし」


「なんか違う気がする。それって、紗英も同じところに落ちるってことだよ?」


 友里子の目はだんだんと吊り上がってきた。しかし、紗英もここで引くわけにはいかない。


「ねえ友里子。このままだと、ずっと浮気を黙認するか、コタと話して離婚するかの二択なのよ。それならコタに気づかせて、浮気をやめてもらうほうがいいでしょう?」


 長い沈黙だった。

 友里子は、顔に苦悶くもんの色を浮かべて黙り込んだ。やがて、観念したのかうなだれた。


「夫婦のことだし、紗英が決めたのなら何も言わないけど……」

「心配かけてごめんね」

「――いや、やっぱりこれだけは言わせて。コタさんの浮気を追求しないならそれでもいい。でも、気持ちが変わるかもしれないでしょう? 確実な証拠は押さえておいたほうがいいと思う」

「うん、分かった。わたしもそれは考えてる」

「それと、紗英にそう簡単に浮気相手が見つけられるとは思えないんだけど?」


 なにげに失礼なことを言われている気もするが、紗英はスマホを手に胸を張った。


「結婚式もそうだったけど、今は同窓会の出欠もメールだから便利よね。引っ越しも結婚も、自分から申告しなかったら誰にも知られない。それに、同窓会でヨリを戻すのは浮気の定石じょうせきでしょう?」


「そういう意味でもないんだけど。まあいいわ。傷ついてバカなことを考えるよりマシ、ということにするか」


 友里子はやれやれと肩をすくめて微笑んだ。


「ありがとう、友里子」


「それじゃあ……とりあえず、同窓会用のお洋服でも買いに行く?」


 友里子のこういうところが好きだ。

 紗英はにっこり笑って、残っていた最後のひと口を飲み干した。

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