先生と新しい旅人

 私の家の隣のおばあちゃんは、今年で70歳になるのに動きがきびきびとして、なんでも知っていて、常ににこにこして優しい、スーパーおばあちゃんです。


 おばあちゃんの家の庭には、いつもぼろぼろの巻藁があって、ボケ防止よ。なんて言いながら、毎日剣を振るのです。


 もともと、遠い国の貴族だったと言う彼女が細い剣を操る姿は、まるで舞い踊る女神様のようで、時折、その影がすうっ、と入れ替わり、楽しそうに手を叩く少女に見えたことも、その不思議で、美しい雰囲気を際立たせていました。


 そうして、毎朝その剣舞を見ていると、ある土曜日の日に、おばあちゃん…フルゥと名乗ったその人から、声をかけられました。(実は名前を聞いたのはこれが初めてでした。)


「この前、剣を新しくしたの。貴女、いつも私を見ているでしょう?折角だし、古い剣を貸してあげるから、一緒にやってみない?」


 そう言って、お家に招いてくれました。


 渡された剣は、すらっと細長くて、けどずっしり重くて、持つ腕がもう既にぷるぷる震えていました。


 フルゥさんは、まず礼と、納刀抜刀からやりましょう。と、やりかたを丁寧に教えてくれます。


 フルゥさんのお手本は、音も立てず、一つ一つの所作が上品でした。しかし、私は剣の重みに負けてがちがちと音も鳴るし、上手く抜刀も出来ず、納刀しようとした時に指を切ってしまいました。


 最初と最後の礼の時も、腰の剣が落ち着かなくて、ジャージのズボンごとずり落ちてしまいました。


 しかし、重いものは重いまんまだけれど、少しづつ礼は慣れてきて、納刀抜刀も、ちらちら横目で見る程度で、何とか出来るようになりました。


 朝方から始めて、フルゥさんが大きなおにぎりを作って持ってくる頃には、何とか形にはなりました。


 それから、少し塩辛くて形の崩れたおにぎりと、渋みの強いけれど美味しいお茶を飲みながら、フルゥさんの昔話を聞きました。昔から何でも出来たけど、友達が欲しいと言っただけで物置に幽閉された話、そこで出来た不思議な友達と、一緒に何十年も旅をした話、この国に住むことを決めてから、見えなくなった友達の話。


 空を見ながら、ゆっくりと語ってくれたお話は、どこか現実味がないけれど、確実に存在した、フルゥさんの波乱万丈で、不思議な思い出の話でした。


 さて、お昼休憩が終わって、早速剣を振ってみることになりました。最初は素振りからで、型を覚えるところから…なのですが、1つ問題がありました。私の体が、凄く小さい事です。


 今年で高校生になった私は、とにかく身長が低く、この前バスに乗った時、運転手さんに


「おっと、お嬢ちゃん!無理して大人料金で乗らなくてもいいぜ!」


 なんて言って子供料金で乗せられました。後ろに他の人もいたので、仕方なくそのまま降りましたが、その日を機にICカードを使うようにしました。


 それはさておき、体が小さい私は、筋肉もなく、力がとても弱いので、ここまでの練習で既に腕が限界を迎えていました。


 しかも、急に雨に降られて、この日はお開きに…正直助かりましたけど。


 最後に、フルゥさんに剣のお手入れの仕方を教えてもらい、家に帰りました。


 お母さんに事情を話して、明日からの練習を許してもらい、その日は軽く剣のお手入れをして休むことにしました。


 部屋に戻ってから、剣を鞘から出して、布で刀身を拭い、口金や柄の握り、手甲の部分を軽く点検して、鞘に戻し、貰った袋に入れて壁にかけました。


 そうして布団に潜ると、心地よい疲れを感じ、ゆっくりと眠れました。


 気づけば、眩しい朝日と、凄まじい筋肉痛と、骨が軋む音で目が覚めました。


 痛みで呻きながらも、地を這ってリビングに向かう途中、私より小さな妹が私に気づかず踏みつけにした時の声は…もう、何も言いたくありません。


 仕方ないので、日曜日はおやすみになりました。全身湿布まみれで、ストレッチをして過ごしました。その姿を見てフルゥさんは、笑いを噛み殺しながら可愛いなんて言ってきたので、少しむくれて言い返そうとしましたが、お腹が痛くてそれどころではありませんでした。


 夕方頃には痛みも和らぎ、お風呂に入って眠る頃、ようやく気にならないほどに落ち着きました。


 次の日は、いつも通りフルゥさんを見てから、学校に行く準備をして、家を出ました。その時、フルゥさんから冊子を1冊貰ったので、学校で読んでみると、簡単なストレッチと筋トレ、基礎となる素振りの方法が細かく書いていました。


 筋トレは、授業中でも問題なく(注意はされそうですけど)出来そうですし、友達と話しながら(いまだ友達は少ないです)も出来そうでした。


 そうして、この日から毎日基礎トレをして、放課後は素振り、土日にフルゥさんに技を習うという日々が始まりました。


 少しづつですが筋肉も付き始め、遅い成長期もやって来て、小さい体が少し小さい体になりました。


 学校で友達も出来て、その友達も剣道を習っていたので、種類は違えど行先は同じだ!と、一緒に練習することもありました。


 フルゥさんには、剣だけでなく多くの事を習いました。貴族の礼法や、難しい学校の勉強、沢山の雑学など。気づけば私はフルゥさんを先生と呼ぶようになっていました。


 ですが、当たり前になっていたこの日常も、唐突に終わりを迎えます。


 昨日まで元気いっぱいだった先生が、急に倒れて、病に伏せてしまいました。


 お医者様も、もう後は苦しまないようにしながら、お迎えを待つしかない。と告げ、その日からゆっくりと最後の日を待つことになりました。


 私は、毎日お見舞いに行きましたが、最後のお別れの日に限ってバスが遅延して、立ち会うことが出来なかったのです。


 その後、遅れながらも病室に向かい、先生の遺書を受け取りました。


 そこには、先生の剣を私に譲りたいということと、いつか、旅に出て世界を見てみて欲しい。そんなことが書いていました。


 ―それから、数年経ちました。大学を無事に卒業し、国内の剣技の大会で優勝したり、就職してお金を貯めたりして…旅の準備をゆっくり進めました。


 そして、今日はその旅立ちの日です。実は、先生の名前の由来を、この前大学の図書館で見つけていました。


 美しい妖精と友達になった女の子の旅の物語。私は、それに倣って、剣にイウの名前を、そして自分はフルゥと名乗り、この世界を渡り歩く、最初の1歩を踏み出しました。その背を、2人の少女が、楽しそうに追いかけていることは、まだ、誰も知りえないことでした。

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