天猫咬絶
私は今、森の中にいた。仲のいいあの子と喧嘩して、山の麓まで来てしまった。
だって、突然告白してくるんだもん。びっくりしちゃって、何も言えなくなって、それだけでもういいって。私の気持ちも知らないで。
陽も傾いて、森はよりいっそう暗くなったけど、私も俯いていて気付けなかった。
森の奥まで来て、大きな木の根元に腰を下ろした時に、ふと正気になってしまった。どうしよう、ここどこだ。
低く唸るような声と、がさがさと草木を掻き分ける音。人の手が入っていない、野生の森であることを改めて思いだした。
帰らなきゃ。そう思った時に、目の前に何かが落ちてきた。
赤く濡れた、それは鳥の死骸。羽根が毟られ、だらりと舌を出したそれを踏み潰すように、同じ角度でそれは降ってきた。
ゴツゴツした皮膚と捻れた角、異様に隆起した筋肉を持つ、体高2mを越すだろうそれは、まるで悪魔のようで、臭い息を吐きながら私を見下ろした。
突然の事で、何も理解できず、ただ逃げようとした。けど、足がもつれて倒れて、苦い土が歯に擦れた。
悪魔は、ぎらりと光る爪を、私に向けて、振り下ろそうとしていた。もう、ダメだ。そう思った時。
「ィィィィヤァァ!!」
どこかからか、叫び声が聴こえた。
その後、突然悪魔は手を持ち上げた体勢のまま動かなくなった。それから、肩口から斜めに、ゆっくりと両断されて、どろりとした血と共に地面に倒れ伏した。
その後ろに、裸の少女がたっていた。鈍く光るナイフを括った、粗末な槍を勢いよく振るって血を拭い、私をぐいっと持ち上げた。
「ん、んー」
彼女は言葉を喋れないようだった。しかし、顎をしゃくり、槍であっちに行けと、私に伝えてくれていた。
ありがとう、そう言ってくるりと背を向け、走り出そうとした。その時。
『orrrrruuuooo!!!』
凄まじい叫び声と共に、目の前の木々が吹き飛んだ。その衝撃で腰が砕け、吹き飛ばされる。
…先程よりも大きな悪魔が、のっそりと姿を現す。それを見て、少女は私を庇いながら悪魔を睨み…動き出したのは、少女の方が早かった。
裸足の足で、地面を捲りあげる程の加速。お腹が地面に擦れるのではというほどの低姿勢で、悪魔との距離を潰していく。
その加速のまま、槍を悪魔の足に振るう。叩くのではなく、健を断ち切るように振るわれた斬撃。しかし、勢い良く血は出たものの、ナイフが肉に挟まり、槍がへし折れる。
その衝撃で倒れた少女を、悪魔は片手で薙ぎ払う。明らかに即死するだろう速度と音を伴って木に磔になった少女。がっくりと折れた首と、口からごぽりと塊で吹き出す血が、致命的な一撃であったことを物語る。
それから、ゆっくりと剥がれて地面に落ちる。べちゃりと水音が鳴り響き、悪魔が1歩近づく度にびくりと体が痙攣していた。その時にはもう、私は全てを諦めていた。
体は逃げようとしていて、下半身は暖かく湿っていたが、足が動かない。
少女の細い腕を悪魔は掴み、持ち上げる。たったそれだけでごきっ。と、鈍い音がして、あらぬ方向に腕は曲がっていた。
それから、その大きな口を開いて少女を食べようとする悪魔。足が、粘つくよだれに触れた時、森の奥から2匹の猫が飛び出してきた。まだ、何かあるのか。
その猫は、ただの猫ではなかった。悪魔と比べても劣らない体格を持った猫たちは、その爪と牙で片腕と片足を千切りとる。鋭すぎるその断面から吹き出す血で、少女は真っ赤に染った。
悪魔は、少女を取り落した。そして、不思議なことが起きた。
悪魔の血を浴びた少女の、腕とお腹から、白い煙が吹き出していた。肉や骨が潰れるような、生々しい音と共に少女は立ち上がり、ゆっくり確かめるように手を握りしめ、そのまま悪魔を殴りつける。
ふわりと、優しく撫でるようなパンチ。しかし、その悪魔のお腹に、少女の頭ほどの大穴が空いていた。
もう何も理解できない。最初からなんなのかわかっていなかったけれど、あの猫も、少女がなんで回復したのかも、何もかも理解はできない。けど、悪魔は死んだ。私は助かった。それだけが、事実として残っていた。
―後日談。私はその後、猫の背中に乗って街に帰った。暗い森の中で、スピードを緩めることなく一気に駆け抜けるその姿を絵に残した所、国の学生コンテストで受賞してしまった。
街に戻ったあとは、あの子に謝って、こちらから告白した。彼女は驚きながらも泣いて喜び、晴れて私達はカップルになれた。
それから数日して、この国の不思議なことを調べている学者の先生とお話する機会があり、あの日のことを打ち明けてみたところ、
「その、悪魔とやらはきっと外様の人でしょう。ただ、よく知る優しい隣人ではありません。人々の悪意や暗い思いが集まって出来た、正真正銘の化け物です。」
「ですが、それも外様の人ですからね、彼女の傷が治ったのは、その血を浴びたから。ほら、外様の人は自然そのものとよく言いますでしょう?彼らの体は良い薬になるのです。」
…との事で、結局少女のことは何も分からなかったけれど、あそこに近寄らない方がいいことはわかった。
でも、最後の最後ということでまだ明るい時間に森の中のギリギリな所まで行って、こっそり新鮮な魚を置いてみた。
確認は出来なかったけれど、きっと喜んで食べてくれただろう。また、いつか会えた時に、聞いてみるのもいいかも知れない。そう思って、家に帰った。
玄関に少女と猫がよだれを垂らして座っていた。…え?
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