森のクマの少女

 ある日私は、森でクマに出会った。でも、本当のクマじゃない。大きくて、ぶかぶかの着ぐるみを着た少女だった。


 あの子は、初めて会った時、ゆっくりと私に近づいて匂いをかんだり、爪の無い大きな肉球で頭を撫でてきた。それから、私たちはよく遊ぶようになった。


 きっかけは、出会ってすぐにあげたクッキー。おやつに焼いていたものがポケットにあったから、手渡してみた。最初は少し警戒していたけど、1口齧ってから、かりかりとおいしそうに頬張り、懐いてきた。それから、少女も森の木の実をくれたし、別の日には他のお菓子もあげたりして、そうしているうちに仲良くなり、森で毎日遊ぶようになった。


 それからまた、しばらく経った頃、私は少女を家に招待した。彼女は、森を出たことがないらしく、初めて見るアスファルト、車、家々を怖がっていた。でも、私の手を握って、ゆっくり着いてきてくれた。


 家は森から遠くなく、すぐに着いた。それから、気づいたことがある。少女は、ずっと森にいたからか、とても臭かった。見ると、着ぐるみもぼろぼろだし、くすんだ茶色い髪も枝や葉っぱが絡まり、伸ばしっぱなしの髪は所々ちぎれていた。


 まずは、この子を風呂に入れようと思った。幸い家には親がいなかったし、お風呂の準備もすぐにできた。


 リビングでうろうろしてる少女に、着ぐるみを脱いで欲しいと、声をかける。すると、彼女はびくっと肩を大きく揺らし、目に涙を溜めながらふるふると震えながら着ぐるみを脱いでくれた。


 脱ぎ終わると、彼女はその場にしゃがみこんでしまったので、脇に手を入れ、お風呂場に連行した。


 浴槽にはまだお湯が溜まりきっていなかったので、まずは髪に櫛を通し、ほこりと枝葉を落とす。それから、浴槽のお湯をすくい、ゆっくりとかけていく。最初は熱いお湯に驚いていたが、すぐに慣れて顔が緩み、シャンプーを始めると、もう表情筋がとろけきっていた。目にシャンプーが入り、大暴れしたときは、流石に命の危機を感じた。


 体も洗い終わった頃に、お湯は溜まった。何度もすくっては掛けていたので、2人で入っても溢れることはなかった。


 少女は、とても細くて、白くて。沢山の傷が浮いていた。痣はなかったけれど、切り傷や火傷のあと、膿んで腫れたあともあった。


 私は改めて、この子はどこから来たのかと疑問に思った。どうして、森で1人だったのかも。


 その日は、親の帰りが遅く、一緒にご飯を食べてから、部屋に押し込んで勝手にお泊まりをさせた。親には、明日の朝事情を伝えようと思った。


 ―でも、その日を最後に、あの子に会うことは出来なくなった。


 少女を抱いて寝た次の日の朝。布団の中には彼女に貸したパジャマだけが残り、部屋に置いていたクマの着ぐるみも、一緒に消えていた。


 もしかして、もう帰ってしまったのか?それとも、勝手に部屋を出て、リビングに向かった?ぐるぐると色々な考えが浮かんでは消える。まずは、部屋を出て親の待つリビングに向かった。


 お父さんはまだ帰ってきていなかった。そして、リビングにいたのは、お母さんだけ。すぐに、クマの少女を見ていない?と、尋ねるも、わからないと首を横に振られる。


 外は、雨が降っていた。それで、思い出した。


「この時期の雨はね、みんな冬支度の雨だって言ってるけど、違うんだよ。神様が、お気に入りの子を連れていくために、雨に紛れるために降らせているの」


 …少し前に越してしまった友人がいつも雨が降ると話していたことだ。そして、彼女はこんな話もしていた。


「巫女とか、生贄とか、まあ神様に近しいものって、神様の着ている服とか、好きな物に似たものを着せられるんだって。そしたら、神様が喜んで、沢山いいことをしてくれるんだって。」


 ―嫌な予感がした。あの森の向こうは山で、隣の大きな国があると聞いたことがある。もしかして、もしかしてと思った。


 それから、家から飛び出て、街の図書館に向かった。


 司書のお姉さんに、向こうの国の本は無いですか、と聞き、棚に案内してもらう。そこには、分厚い本がいっぱい並んでいたけど、どんどん読み飛ばして、目的の一文を探した。そこには、こう書いていた。


「クズレ様。獣と狩猟の神様。クマが好き。」


 …私は、暗い図書館の中でもわかる程に、青ざめた。じっとりと嫌な汗をかいていた。


 嫌だ、ありえない。そう思いながら、のろのろと本を返し、また雨の中駆け出した。


 彼女に初めてあった森。その中で、いちばん大きな木。街の人達は、ここを目印に遠い国の神様が、逃げてきた私達を見守りに来てくれると、とても大切にされている木。そこの根元に辿り着いた。


 なにか感じたことがある訳では無い、ただここなら、彼女に会えるかもしれない。そう思っただけだった。


 そこには、クマの着ぐるみがあった。少女の髪もあった。でも、彼女はいなかった。嫌な予感は、当たっていた。


 膝から崩れ落ちて、泥がはねる。そこに、大柄な男が2人やってきた。毛皮の服を着ていて、とても強そうな2人。その人たちは、着ぐるみを見つけて、とても喜んでいた。すぐに髪の毛を掴み、どこかへ立ち去ろうとする。私は、気づいたらその足にすがりついていた。


 男たちは怪訝そうに私を見る。でも、乱暴に振り払うことはせず、何事だ。と、話しかけてくる。


 私は、その子の髪の毛を、少しでいいから分けて欲しいと言った。どうしてこんなことを言ったのかわからなかったけれど、男たちは、私に目線を合わせ、この少女を知っているのか?と聞いてくる。


 私は答えた。この森で出会った、友達だと。男たちは、頭を下げ、髪の毛を私に渡し、全てを教えてくれた。


 ―彼女は生贄、国一番の乱暴者が、神様を怒らせて、動物が捕れなくなった。だから、その乱暴者の娘を生け贄にしようとしたが、その娘は逃げて、山を超えここまで来てしまったらしい。しかし、神様は少女を許して自分のところに召し、乱暴者は獣に食われて死んだらしい。


 私は、その話を聞いて、どうして?でも、良かった。と思った。あの子は、これからとっても楽しい生活ができる。そう思うと、とても嬉しかった。


 ―あれから、数年経った。少し気持ち悪い話だが、あの後私は彼女の髪の毛でミサンガを編んだ。またいつか、あの子に出会えますようにと。そのミサンガはまた解けていないが、もうすぐ雨の時期がやってくるから、その雨に紛れてあの子が帰ってくるかもしれない。このミサンガも解けるかもしれない。そう思うと、とても気が楽になった。


 …クマの少女は、幸せになれたのかな

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