第7話

 一方その頃、ニグラス山脈麓の町にて世界の捻じれが戻ろうと動き出していた。


「しっかり働け! この魔人もどきが!」


 男は罵声と共に、青年に向かって水を浴びせる。白く美しい彼の髪は、異臭のする汚水によってその美しさを奪われる。

 青年は濡れた髪を気にすること無く、俯いたまま手元を動かす。作業は簡単だ。ゴム製の何かを小さな麻袋に入れるだけだ。

 黙々と作業をしている青年に、一際大きな女性の声が聞こえる。その声に眉をしかめながらも、青年は手を休めない。

 ここは彼にとっては地獄だ。空はとっくに暗いのに目が潰れるほど鮮やかな光、周囲を漂う生臭い異臭。建物のあちこちから聞こえる男と女の喘ぎ声。自分を家畜の様に扱い、汚物を見る目を向ける人々。

 彼は今すぐにでもここを出ていきたいと感じている。しかし彼にはそれが出来ない。事を成す力が彼には無いのだ。


「これが……神が作った人間か……」


 青年は心を無にして、ひたすら作業を進める。どれくらい経っただろうか。空が薄く色づき始め、周囲の喧騒が落ち着いてきた頃、汚水を浴びせてきた男が戻って来た。


「おい。店、仕舞うぞ。今日の分を出しやがれ」


 青年は男に作業の出来を見せる。


「足りねぇな」


 男の言う通り、青年の作った物の数は昨日より減っていた。だがそれはこの男が事あるごとに青年に妨害をしていたからで、決して青年がサボったからでは無い。


「またサボったな? 言ったよな。次また少なかったら追い出すって」

「それは……」

「あ? 文句あんのか!!」

「うッ……」


 言い訳をしようとした青年を、男はストレスを発散するが如く遠慮無く殴る。


「ありません……」

「だったら荷物をまとめて、さっさと出てけ!」


 男は元から追い出すつもりだったのだろう、事前に持って来ていた青年の荷物を本人に投げつける。

 そして何故か怒りを露わに捨て台詞を吐く。


「この魔人もどき」

「・・・」


 男が去った後、青年はフード付きのローブを羽織り、荷物を担いで町の外へ向かって歩き出す。道中で早くにやっているパン屋に寄り、朝食を買った。フードを深く被っていたので、青年の顔はパン屋の店主に見られることは無かったが、体から出る異臭に店主は顔を歪めていた。


「水浴び……するか……」


 体を清めるのは何年ぶりだろうか。そう思うと青年は少しだけ気分が良くなった。


***


「坊や~。早くしなよ~」

「アマンダさん、その呼び方やめてくれませんか?」

「なんでさ。坊やは坊やだろ? 嫌だったらもう少し大人になることだね。ほら騎士様はもう行ってるよ。急ぎな」


 アラン達三人は、何事も無く夜を越えることが出来た。

 新たな仲間のアマンダとも仲を深める事が出来たアランは、旅が始まって最初の町、ニグラス山脈麓の町に辿り着いた。


「意外と大きい街ですね」

「アラン様。自分は今夜、泊まる宿屋を探してきます。アマンダ殿と一緒に街を回ってみては?」

「そうだね。じゃあそこの噴水のところで集合にしようか」


 ヨーランと別れた二人は、町の商店街に向かって歩き出した。


 商店街に入ってすぐ、宝石を使った装飾品を取り扱う店にアマンダが足を運ぶ。

 品物を物色していたアマンダは、あとから入って来たアランに振り返る。


「これなんかどう? 坊やの瞳と同じ綺麗な色だと思わないかい?」

「確かに。綺麗ですね」

「お客さん。いい目をしているね」


 そう話しかけてきた老婆は、この店の店主だ。店主はアランの瞳を見ながら二人に近づく。


「これってそんなに貴重なんですか?」

「ん? 確かにこれの宝石は貴重だが、私が言っているのはお客さんのその綺麗な瞳を言っているんだ」

「ああ……僕の、ですか」


 アランの瞳は淡青色で、磨かれたダイヤの様にキラキラと周囲の光を屈折させているようにも見える。家族も母親以外が同じ淡青色である為、遺伝である。

 しかしデニスやハンスなどは、アランほど綺麗に輝いてはいなかった。この輝きは恐らく、母であるヴィオラの遺伝だろうと周囲に言われていた。


「とても綺麗だ。もしかして『勇者の眼』かい?」

「い、いや! 違いますよ! 『勇者の眼』どころか神眼ですら無い、普通の眼ですよ」


『勇者の眼』とは、歴代の勇者が持つとされる特殊な神眼だ。その瞳の色は清らかで、光り輝くとされる。

 勇者と呼ばれる者たちはこの神眼と、聖剣ゲーノルドに選ばれた者だけが勇者の称号を得る。


「そうかい。そりゃあ残念だ。新しい勇者が生まれたのかと思ったが、違うのか。でも、本当に綺麗な眼をしているね。大切にするんだよ?」


 そう言って店主の老婆は店の奥へと戻って行った。



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