第2話

 とある日の昼下がり。アランは母親のヴィオラと共に、町の外れにある農村に足を運んでいた。

 馬車の窓から見える景色はとても穏やかで、畑仕事をしてる農家の人々は、汗を垂らしながらにこやかに作業をしていて、子供のアランには彼らはとても輝いて見えた。

 そんな景色を堪能していると、馬車は次第に速度を落とし完全に止まる。

 目的地に着いたのだろう、鎧を着た御者が扉を開けて手を差し伸べて来る。


「さあ、行きましょ。アラン」


 御者の手も借りつつ、ヴィオラと共に馬車を降りると、目の前には先ほどから見ていた変わり映えの無い景色が一面に広がっていた。

 そんな一面畑の田舎な風景の中に、一組の男女がこちらに手を振って近づいて来ているのが見えた。


「久しぶり~」

「久しぶり。元気にしてた?」


 そう言ってヴィオラは、近づいて来た女の人と親しげに手を握り合う。

 ヴィオラの綺麗で透き通るような手と、農家の女性の土に汚れた力強い手とが絡み合う。ヴィオラは自分の手に土が付くことを嫌がるどころか触れることが出来て、さも嬉しそうだった。


「どう? 今年の作物の出来は。」

「いい出来ですよ。今年は害獣の被害も少なかったので」

「それに比較的、気候も安定していたから」

「あら、そうなの。それは楽しみだわ!」


 ヴィオラは元々、この農村の出身で両親と三人で暮らしていた。

 オールソン家は常々直接、各地を回って領民の様子や声を聞いている。その時にデニスはヴィオラと知り合い、お互いに惹かれ合ったのだ。

 因みに、ヴィオラの両親は既に他界していて、当時親しかった親戚の農家の娘に自分の畑を譲り渡したのだ。その土地を譲り渡したのが、今ヴィオラと話している女性で、現在は夫婦で頑張っている。


「けどね、ヴィオラ。最近、近くの森で妙な事が起きてるのよ」

「妙な事?」

「ええ。森にいるはずの動物たちが、全く見当たらないんです。それで一度、俺と数人で様子を見に行ったんですが、不気味な程に静かだったんですよ。鳥の声も聞こえないし、動物のフンも見当たらない。それから……森が臭かった」

「……それは、あんたの脇の臭いじゃないの?」

「違うわ! なんというか……鉄くさい臭いだった気がする。とにかく、森から動物が消えるのは本望じゃない。どうにか出来ませんか?」

「う~ん……デニスに言ってみましょう。私も帰りがけに様子見してくるわ」

「ありがとうございます」

「ありがとう。でも、気を付けてね?」

「ええ。ありがとう」


 その帰り、言葉通りヴィオラはアランを連れて森に向かった。

 森に入るとすぐにその異変に気が付く。


「確かに、静かすぎる」

「お母様……怖い」

「そうね。帰りましょう」


 ヴィオラがアランの手を引き森を出ようとしたその時、奥の方から小枝を踏む音が聞こえる。

 ヴィオラとアランは、森の奥から近づいて来る並々ならぬ気配に、様子を伺いながらもジリジリと後ろに下がる。

 足音が止み、木々の暗がりから何かが姿を現す。


「……クラーブス」


 丸っこい胴体に、大きく裂けた口。人間の様に不気味なほど綺麗に生えそろった歯の間から、長い舌を垂らしながらそれは近づいて来る。

 胴体横から伸びる足は、これも人間の腕のようで、その先には指が生えている。しかし人間とは違い、腕は異様に長く、指は四本しか生えていない。

 大人の半分程の身長のクラーブスと呼ばれる化け物は、絶界から湧き出てる悪魔で、爪を意味する名前の通り、四本の指から鋭く長い爪が伸びている。普段は群れているが、目の前にいるのは一匹だけだ。恐らくこの森にまだ複数いるのだろう。

 一匹のクラーブスはゆっくりとアラン達に歩み寄る。

 ヴィオラはすぐにその場から逃走しようと駆け出すが、恐怖のあまり固まっていたアランが、ヴィオラの手を引く力に負けて倒れる。

 目の前に倒れたアラン、もとい得物をクラーブスが逃すはずも無く、クラーブスは腕のような足を曲げると、一気にアランに襲い掛かる。


「アランッ!」


 ヴィオラはアランを抱きしめるように庇う。その背中にクラーブスの鋭い爪が食い込み、大きな傷を付ける。


「うっうぅ……」

「お母様!」


 アランの悲鳴が森中に響き渡る。

 ヴィオラは激痛に耐えながらも、我が子を離さまいとしっかりと抱きしめる。その母の後ろで爪を振り上げる悪魔を、アランは見つめる事しか出来なかった。

 悪魔が爪を振り下ろそうとした直後、何者かが悪魔との間に割り込み、悪魔を一刀両断する。

 割り込んできた騎士の背中は、勇ましく、力強かった。

 その騎士はこちらに振り向き、顔を見せる。騎士の名前はヨーラン・リンデル。古くからオールソン家に仕えている騎士の一家で、ここに来るときに馬車を引いていた御者だった。


「ヴィオラ様! 立てますか?」

「ええ……。なんとか」

「早くここを離れましょう。手当はその後に―――。アラン様も、立てますね?」

「うん……」


 アランはヨーラン達と森を急いで出るが、まだ惚けていた。それは先程の恐怖やそれを脱した安心感からでは無い。彼の目に映る凛々しい騎士の姿。そして内心に母を守れなかったという無力感と、騎士という存在への憧れが彼の脳裏に焼き付いたからだ。


***


 その後、屋敷に戻るとヴィオラは手当を受けた。傷は残ってしまったが、本人は我が子を守った立派な証だと、気にはしていなかった。

 そして森へは国の調査隊が派遣され、無事残りの悪魔は掃討され、森は本来の姿を戻した。

 この事件を期に、アランは騎士への道を進むことになる。

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