旅の始まり
第1話
少年は瞼を開ける。
体は無重力に近い状態で浮いており、周囲は暖かく体を包み込む。息は出来なかったので、堪らず上へと浮上する。
「ぷはッ!」
盛大に息を吸って水面に顔を出す。周囲は、立ち昇った水蒸気で良く見通せない。
しかし、少年は迷うこと無く、真っすぐに何処かに向かって泳ぎ始める。すると、蒸気の向こうに人影を見つける。
少年は、その人影に思いっきり抱きついた。顔に当たる大きく柔らかい感触、白く透き通るような肌。それらに包み込まれた少年は、お湯とは違う温もりを感じる。
「こら! お風呂で泳いじゃダメでしょ! アラン」
アランと呼ばれた少年は、女性の声に反応して顔を上げる。
「ごめんなさーい」
浴場で楽し気に話す親子。
だがしかし、世界は誰も知らない所で狂いを直そうと動き出していた。
***
この世は五つの世界に分かれている。
まず、神々の住まう神聖な牢獄<神界>。最も存在している種族の多い<地界>。地界と対立し、魔王が存在している永遠の黄昏<魔界>。生きとし生けるものが、最終的に行き着くとされる死後の世界<冥界>。そして、すべての生物共通の敵、それを生み出し、地界・魔界・冥界のすべてに一方通行で通じている<絶界>。
神々の加護と魔術が存在し、魔王と勇者が戦う。よくある中世ヨーロッパ風で、よくあるファンタジーらしいファンタジーな世界。
これはそんな在り来りな世界に生まれた、一人の少年の旅路を綴った在り来りじゃ無い物語。
***
母親と一緒に風呂を出たアランは、一人で心地よさげな表情を浮かべたまま、屋敷の廊下を歩いていた。
もうじき日が沈む頃合いで、薄暗かった廊下は明かりが点いて奥まで見通すことが出来た。その廊下の先に、こちらに歩いて来る人物を見つける。
「兄上ー!」
アランが声を掛けた人物は、実の兄で、唯一の兄弟のハンスだ。
ハンスは、積み上げた本を両手に抱えながら、向かってくる弟にため息をつく。
「アラン、まだお母様と一緒に風呂に入ってるのか?」
「駄目なの? 兄上も一緒に入れば良いのに……」
「俺はもう十才だ。一人で入れる。アランも、もう七つだろ? いい加減、一人で入れよ」
そう言ってハンスは自室に入って行った。一方のアランは、兄の素っ気無い態度に頬を膨らませつつ、自室へと向かった。
「何だよー。兄上も恥ずかしがらずに一緒に入れば良いのに……」
アランはぶつくさ言いながら自室の扉を開ける。そして一直線に本棚の前に移動し、一冊の本を手に取りベットに寝転がる。
アランは暇になると、こうしてお気に入りの本を読むのが大好きだった。特に今、手にしている大英雄の昔話は、今まで読んできた本の中で一番のお気に入りだった。
「大英雄かぁ……、かっこいいなぁ~」
アランは今日も、本の中の大英雄に憧れるのであった。
***
家族みんなで夕食を済ませた後、先程まで寝ていたアランは、重い瞼を擦りながら父親の書斎に足を運んだ。
「どうしたんだ? こんな時間に」
扉を開けた先、机に向かって何かを書いていた男性が顔を上げる。
男性の名前はデニス・オールソン。デニスは、この地域を治める貴族で、伯爵の爵位を有する男だ。
因みに、オールソン家が治める領地は、ヘレーリア王国という国に属しており、その王国の最南部に位置している。
「何だか眠れなくて……」
「ヴィオラと一緒じゃ無かったのか?」
デニスの言うヴィオラという人物は、アランの母親で、その母親とアランは毎晩一緒に寝ているのだ。
「お母様は先に寝ちゃった」
「子供より自分が先に寝るのか……。余程、疲れていたんだな」
そう言うとデニスは席を立ち、近くのソファーに腰掛けると、自らの膝を叩いて見せる。
「アラン。おいで」
アランは実に嬉しそうに父親の膝に座る。デニスは、息子を優しく抱きしめて話を始める。
「英雄カロタリウスの話は知ってるかい?」
「うん! よく本を読んでるよ!」
「そうかそうか。実はね、あの本には続きがあるんだ」
「続き?」
アランの読んでいる大英雄の昔話は、カロタリウスという人物が、七匹の邪悪な魔獣を討伐し、その後に起きる大きな戦争を終わらせるという英雄譚だ。
「ああ。英雄カロタリウスは、神間戦争を終わらせる為に自らの命を犠牲にするんだ。ここまでは知ってるね?」
「うん」
「その後、彼の事を見ていたある神が、彼の功績を称えて天へと上げたんだ。そうして、空にカロタリウス座という星座が出来たんだ。」
「へぇ! そうだったんだ!」
目を爛々と輝かせていたアランは、ふと疑問を抱く。
「お父様。カロタリウスを空に上げた神様って、なんて言う神様なの?」
「ん? ああ。その神様の名前はね、ヒーメンって言うんだ。」
「ヒーメン?」
「そう。このヘレーリア王国の主な宗教が、このヒーメンを祭っているんだよ。」
「そうなんだ。じゃあ、いつもの教会でお祈りをしているのは、そのヒーメンっていう神様にしてたの?」
「いいや、
「その……モルゼ……ホークって……神様………」
そんな話をしている内に、アランは次第に睡魔に襲われ始める。眠くなるのも無理はない。もう振り子時計は9時を指している。普段ならとっくに寝ている時間だ。
そんな、白目を剥きながら必死に睡魔と戦っている息子を見て、デニスは幸せを感じていた。
「まだ仕事も残っているし、今日は息子と一緒にソファーで寝ることになりそうだな……」
アランをソファーに寝かしたデニスは、そう独り言を言う。
普段は貴族の業務で家族との時間が少ないデニス。そんな父親に愛想を尽かす事無く傍に居てくれる妻と息子達。デニスにとって、アラン達の存在はとても大きいだろう。
デニスは息子の寝顔を横目に、大きく背伸びをして再び机に向かう。
「もう少し、頑張るか」
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