第2話

『ほら、要』

 父の指、その先を眺める。

『あそこに、お母さんがいるよ』

 赤く燃える瓦礫を見下ろした。観覧車が悲鳴を上げ倒れていく。

 絶望的な世界の中で、ただ一人、白く輝く影があった。

 その大きな背中を、目に焼き付ける。

 その力強い信念を、脳に焼き付ける。

 あれはきっと、あれこそが、英雄ヒーローだ。




「……おはようござい!ます!」

 挨拶、いや、ほぼ寝言と言ってもいいそれを叫びながら、要はがばぁっ、と起き上がった。

「あら、起きたのね」

「んぇ?」

 要はきょろきょろと周囲を見回す。清潔で少し硬いベッド。何かしらの薬品の匂い。

 病院のようなこの場所も、起き抜けの要を出迎えた女性も、要には覚えはない。

 一方の、白衣を纏い赤い口紅を引いた女性は、要の元気そうな様子に、にこりと静かに笑んだ。

「こんにちは要ちゃん。私は秋月響子。怪人対策室の室長、兼ドクターよ。みんなには博士と呼ばれてるわ」

「博士?!かっこいい!」

 博士の自己紹介は一ミリも理解していない要。とにかくかっこいいという部分に食いつく。

 女性の化粧の匂いにすんすんと鼻をすすりながら、立ち上がろうとするが、体に取り付けられたコードや管がそれを邪魔をした。

「外すから、すこし止まって頂戴」

 博士は要が十分健康だと確認できたらしい。体につけられていた検査器具と点滴を外す。

「それで、ここに来るまでに、何があったか、要ちゃん覚えているかしら」

「えっと、確かヒーローショーに怪人が出て、柚希と充がピンチになって、それでそれで……」

 点滴の痕を抑えられ、要ははっとする。

「そうだ!俺!変身したんだ!」

「そこまで覚えているのなら、話は早いわね」

 博士はぎしりと革張りの椅子に腰かける。

「あなたが変身したのは、怪人に対抗できる力を持った英雄。ヒーローよ」

 そして、と博士はごとりと口広瓶を取り出す。

「これが、あなたが変身させた協力者にして、怪人発生の原因でもある、精神生命体『イド』、の四号。もうしっているかしら?」

 赤黒い褐色の塊。

「出せ!若作り!年増!売れ残り!」

 瓶の中で罵詈雑言を叫ぶ丸みのある褐色。

 要は覚えがあった。

 それは感情の爆発と共に、自身の力を解放させたナニカ。

 要の中で、この褐色があの変身の原因であると、ごく自然に理解された。

「お前!あのとき力を貸してくれたやつか!」

「ぎゃっ」

 要に飛びつかれ、急に振られた瓶の中で褐色は悲鳴を上げる。

「もっと丁寧に扱え!しょんべんくさいガキめ!」

「なあ博士、こいつなんで閉じ込めてるんだ?」

 しゃべる謎の生物も、またそこからの悪口も気にかけず、要は博士に褐色の釈放を求めた。

「四号はとても悪い子だからよ。危険で凶悪な子。だから閉じ込めてるの」

 褐色は瓶の中で暴れるが、特殊なつくりなのか瓶はひびが入る様子もなく、びくともしない。

「でも、要ちゃん」

 博士の、マニキュアに飾られた細い指が要を指す。要はつるつるとした赤い光沢に寄り目になった。

「あなたが私たちに協力してくれるというのなら、出してあげてもいいわ」

「協力?」

「ええ、私たちの仲間に、ヒーローになってほしいの」

 博士はその、白魚のような手を差し伸べる。

「ヒーローに……」

 要はその手を見つめ。


「誰がならせるものか!」

 博士の手を取ろうとした瞬間、叫び割り込んできたのは柚希だった。

 顔には先の戦闘による怪我だろうか、ばんそうこうが張られているが、実に健康そうだ。

「柚希!元気そうだな!よかったな!」

「足を閉じろ足を」

「か、要、目が覚めてよかった」

 薄い検査服で動き回る要の足を閉じさせる。

 後からおずおずと入室した充も、ばんそうこうが張られているだけで大きなけがの様子はない。

「あんだけ血が出てたのにすげえな!もう治ってる!」

「変身による、肉体の再構成の副産物よ」

「あ!それは!」

 博士が取り出したのは、充と柚希が変身時に握っていたものと同じガジェットだった。

「これもイドってやつなのか?」

 ええ、と博士は肯定する。

「要ちゃんの四号とは違って、彼ら専用に調節されたものだけどね。ヒーローになるとき、これを利用して肉体と衣服を再構成するの。そうすると強靭な力を使えるようになるんだけれど、ついでにちょっとした怪我も治っちゃうの」

「すっげー!便利!……でもどうして性別変わるんだ?」

「それはね、概念的位置エネルギーが逆転することによって得られる力が強い仕事量に変換できるからよ。これによりヒーローとして強い力を振るうことができるの。例えば性別だけでなく髪色や骨格、筋肉量も変化していいのだけれど、あまり元の姿から隔離すると戻る時の再構成時に遺伝子の複製エラーが起こったりして……」

「は、博士、要が理解できていません」

「あら、まあ簡単に言えば、副作用よ」

 知恵熱を出し始めた要に、博士はくすくすと生白い喉を鳴らす。

「とりあえず、ヒーローというものは特殊な存在で、そうほいほいなれるものではないの。要ちゃん。特にあなたは四号の適合者。強力にひかれあったあなたは、肉体も精神も、健全なままに四号の力を使った。この才能は、これからたくさんの命を救える。ぜひ、協力してほしいの」

「もちろ」

「駄目です」

 要の返答を柚希は遮る。

「博士!私は言いましたよね、要は絶対に巻き込まないと!」

「巻き込んでないわ、彼女本人が飛び込んできただけよ」

 博士はのらりくらりと受け流す。

「結果は同じでしょう?要にヒーローなんてさせません」

「なんで柚希が決めるんだよ」

「そ、そーだそーだ。ヒーローをやるのは本人の自由意思だよ」

 腕を組み、保護者よろしく反対する柚希に、要は反対する。

 充も要の援護射撃をした。

「民主主義、三対一で負けよ、柚希くん」

 博士はストッキングに包んだ脚を組む。

「ヒーローを行うことは本人の意思しだい。ヒーローになることもやめることも、決めるのは本人のみ。その意思決定には保護者も介入できないのよ」

 ヒーローとしての採用は、その人材不足から年齢制限や、保護者の同意などが省かれている。本来ならばありえないことであるが、怪人に対抗できる手段であるヒーローは才能に左右される面もあり、非常に人材が限られる。防衛の観点からそのような手段がとられている。

 もちろん、ヒーローとして登録されればそれだけで給料が出る上に、保険も手厚い。怪人の戦闘で亡くなった場合は遺族が働かなくて生きていけるほどの保険金も出る。

 金銭的な面で見れば断らないはずもないが、それだけ危険も潜んでいる職業だ。

「要ちゃんが望んでいる以上、あなたには何もできないのよ」

「それは要が理解していないだけです。私は、命の危険と多くの責任が絡む場所に、要を受け入れることはできない」


 博士を睨む柚希。その青臭さを嗤う声が響く。

「カッカッカッカッ、乳繰り合いは終わりだ」

 褐色が笑っていた。

「この俺と手を取った欲深き人間、椎名要、お前が望もうと望むまいと、この戦いから逃れることなどできん」

 低い声に奇妙な笑い。

 いつの間にか瓶の蓋を外していた要。ぬるりと飛び出した褐色が四人を下げずむ。

「絶対にな」

 と宣言する褐色を、がしり、と華奢な手が掴んだ。

「おーかわいいなー」

 瓶から解放されたその姿は、まさしく二頭身のマスコットだった。そのような丸いフォルムを要はぎゅっぎゅっと握る。

「かわいい言うな!離せ!」

 かわいい発言に青筋を立て暴れるマスコットだが、要の不埒な手からは逃れられない。

「わーやわらけー。おっぱいみたい。充も触る?」

「え……うん」

「やめろォ!」

 賑やかな様子。

 それを柚希だけが眉間にしわを寄せていた。

「博士、あの時は事故のようなものです。四号の適合者は別を当たってください」

「ムリよ」

 柚希の進言に、博士は断固として拒否する。

「今までどれだけ探しても見つからなかった人材、簡単に手放すなんてできないこと、知っているでしょう?」

 博士は首を横に振る。

「支援は手厚いわよ。ヒーローになって、困るものでもないわ」

「困りますよ。要は女の子なんですから」

「それは関係ねーだろ!」

 食い掛ってきた要。

 着せられていた検査服からいろいろとこぼれそうになっている姿を柚希は目をつぶって視界に入れないようにする。充がさりげなく服を直した。

「おおいに関係ある。あの怪人を見ただろう?あれだけじゃない。怪人は悪意を持った存在なんだ。狡猾で残忍な心を持っている」

 柚希はちらりと充を見て、再び要に視線を戻した。

「十年ほど前も、怪人に多くのヒーローが殺されたこともある。お前みたいなやつは絶対に足を掬われて碌なことにならない」

「そんなの柚希も充も一緒だろ?女の子になってただろ?!」

「か、要そこは指摘しないで」

「なんで俺だけだめなんだよ!怪人倒したとこ見てただろ!」

「あれはまぐれだ。だいたいお前は命を懸けることの危険性をわかっていない。ましてや完全に変身できていなかっただろ。また変身してみろ、猥褻物陳列罪で捕まるのがおちだ!」

「チンチン陳列罪がなんだと!」

「チンチン言うな!」

 言い争う二人、喧嘩は平行線で決着が見えない。


 あわや取っ組み合いにでもなるかと思われたその間に、充が割って入った。

「あ、あの」

 恐る恐ると充は二人を見やる。

「じ、時間、大丈夫……?もう、外、暗かったけど」

 地下施設であるここからは外の様子はわからないが、先ほど良い子の帰りを促す市内放送は聞こえてきた。

「あら、要ちゃんのお家は、もうしばらくお兄さんと二人暮らしなんでしょ?」

 両親不在のため門限の心配はないのでは、と首をかしげる博士。

「そ、そういう問題じゃないです、博士」

 その兄が問題なのだ。

 柚希も迫り来る事実に脂汗をかき始めた。

「要、休廷だ。この話はいったん横に置こう」

「はぁ?まだ決着ついてないだろうが!」

 要に適当なものを羽織らせる。

 要は退く気はないようだが、柚希は無理やり喧嘩を中断した。

「今はそれどころじゃない」

「そ、そうだよ早く帰らないと」

 充と柚希は徐々に顔色を悪くしてゆく。それでもなお帰宅への俊敏性は高まるばかりだ。

 しかし、ピンポンパンポーンと市内放送が響いてしまった。

『警察署から、行方不明者についてお知らせします。 市内にお住まいの十五歳の女の子が、本日、午後二時頃から、行方不明となっています。お心当たりのあるかたは―』

「くそっ、遅かったか」

「で、でも、まだ間に合うよ」

 がしっと要の肩を掴む。

「要帰ろう。今すぐ帰ろう。絶対帰ろう」

「あ?俺は認めてもらえるまで」

「は、早く帰ろうね。博士、失礼しました」

 柚希と充に両脇を挟まれ、捕獲された宇宙人のごとく要は連れていかれた。


 外に出れば、すでに日は落ちていた。夏と異なりすぐ暗くなってしまうこの時期。弱い冷房が効いていた室内から出ると、昼間の熱が残る空気が襲ってくる。

 生き残りの蝉が鳴く中、三人はそそくさと西部動物公園を出てゆく。


「ちょっと、そこの君たち」

 暗い夕方の道。こそこそと帰ろうとする三人を、巡査が呼び止める。

「今この女の子を探して……って、どここにいるかと探したんだぞ?」

「す、すみません山田さん」

「ごめんなさい山田さん」

「その女の子こいつです山田さん」

 三人は巡査、山田太郎に頭を下げる。

 山田は要たちにもなじみのある交番のお巡りさんだ。小学校から三人を知っている山田は、こうして探しに来ることも慣れっこである。

 三人の様子に、こっちはいいんだが、と山田太郎は苦笑いしながらほおを掻く。

「おにいさんが探してたよ。ほら」

 とさししめされた方向には、パトカーから号泣しながらまろび出てくる成人男性が。

 入れ墨だらけの彼は、付き添われている警察官によりまるで逮捕されているようにも見えるが、ただの行方不明者の家族である。

 後からタロも出てくる。

「うっうぅっずぴっかなめっどこにいってしまったんだっ」

「兄貴―!」

「要!」

 兄の元へぴゅんと飛んで行った要を、アゲハはひしっと抱きとめた。

 わかれた時間は半日にも満たないはずが、まるで長い時間を生き別れた兄妹のよう。アゲハは要の胸に縋りおいおいと泣いていた。

「うぅっ心配したよ!要!」

「ごめんなさーい」

「ずびぃっ」

「うわぁぐちょぐちょ」

 服に着いた鼻水と涙は顔の形に熊取がとれていた。

「くそがっ」

 ちょうどその位置にしまわれていた二頭身の褐色は、じめっとした感触にこっそり悪態を吐く。

 検査服で私物ではないとはいえ、鼻水をかまれ、要はさすがに兄を退ける。

 その様子に、山田はのんきに笑った。

「では、とりあえず発見したということで、交番に戻るよ」

「山田さんあざっす!」

「またご飯いただきにいくから」

 と山田太郎は自転車を漕いで去っていった。

「ずびっ、要が見つからなくって、ずずっ、本当に、心臓が止まりそうだった」

 柚希くんと充くんが一緒のようで安心したが、とアゲハ付け足す。

 アゲハの要への過保護ぶりは、厄介なものだ。毎日べったりとしている要は慣れっこであり、半ば塩対応だが。

 しかし、今回はさすがに後ろめたさがあった。

 怪人との戦闘に巻き込んでしまった上に、戦わせてしまった。

 やはり、要はヒーローにさせられない。兄をなだめすかせる要の肩を、柚希は軽くたたく。

「要、ヒーローになるってことは、こうやって家族に心配をかけるってことだ」

「む」

 反論しようとする要を、柚希は首を横に振り黙らせる。

「よく、考えておけ」

 湿り気のある空気の中、蝉が弱弱しく鳴いていた。

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