第60話

 凪姉がサバイバルナイフを刺そうとした相手は横川さんだった。

 それを庇う形で遥斗が凪姉に刺されたという感じだ。

 別に横川さんが油断していたわけではない。

 完全にハメられた。そういうべきだろう。


 あえて攻撃を食らって追い込まれたフリをしていた。

 そしてタイミングを見計らって決定的な一撃をねじ込んだ。

 確実に一人を仕留めて一対一に持ち込むために。

 冷静判断と絶対に逃さない技術力。

 圧倒的な戦闘力の差を目の当たりにした。


「ばかだねぇ。そんなに彼女を守りたかったのぉ?」


 嘲笑うように放たれた言葉。

 勝ち誇った笑み。

 その場の空気が変わった。


「はる、はると、はるとくん……」

「梓ちゃんのせいでこうなっちゃったねぇ」

「ち、ちちち、違う。違います。アズのせいじゃ――」

「せいだよぉ。目の前の現実が受け入れられないのぉ?」


 サバイバルナイフが刺さった遥斗からは血がポツポツと落ち、逞しかった背中は猫のように丸まっている。

 飛び出して刺された以降、遥斗の反応はない。


「ねぇ遥斗君。遥斗君、起きてください!」

「負傷者にまだ戦わせる気なのぉ? 鬼畜にもほどがあるよぉ~」

「ちがっ……そんなことは一言も言ってません。ただアズは……アズは遥斗君の安否を確認したいだけです」

「ならこっちに来ればぁ?」


 口角を上へ歪ます凪姉は刺さったサバイバルナイフを持つ手と逆の手で挑発する。

 でも、それが罠なことは冷静さを失った横川さんでも分かっているようで、右足を一歩出したところで拳を握って踏み止まる。


「来ないのぉ? 大事な彼氏じゃないのぉ?」


 と挑発を繰り返す凪姉。

 それに横川さんは苦虫を嚙み潰したような表情で自分を制御することしか出来ない。


 そうこうしているうちに段々と凪姉の表情には余裕が見え始め、さっきまで上がっていた肩は下がっている。荒々しかった呼吸も整い、二人の猛攻は完全に無となってしまった。


「もういいよぉ。わたしからそっちにいってあげ――」


 言葉を言い終える前に凪姉は意識を失う。

 そしてそのまま遥斗に倒れ掛かった。


「はぁはぁ……終わった。アズ反応出来なくて悪かった」


 首だけ振り返った遥斗は辛そうな声音だが笑みを浮かべてそう言う。

 それを見た横川さんは言葉より先に飛び出していった。

 凪姉を地面に倒し、抱き合う二人。

 横川さんの瞳には雫が見える。


 それにしても一体何が起こったのか。

 ずっと凝視していた僕でも理解するのに数秒を要した。

 なぜなら、それは目が追い付かないレベルの早業だったから。

 一瞬だけ遥斗の手が凪姉の背後に回ったのは間違いない。

 しかし、どんな攻撃をしたまでは見えなかった。

 凪姉が意識を失ったことから手刀の可能性が高いと考えているが真相は不明だ。


 まあ何はともあれ凪姉が戦闘不能になったのは大きい。

 遥斗は大きな仕事をやってのけた。それだけは言える。


 とりあえず僕も遅れて二人の元へ。


「遥斗、大丈夫なのか?」

「大丈夫じゃ――」

「遥斗君は喋らないでください。空君、早く車を出してください」

「……わ、悪いが僕は運転出来ない。救急車を――」

「ダメです。こんな山奥だと救急車では間に合いません」

「でもな、運転出来る凪姉が……いや、ちょっと待ってろ。とにかく先に遥斗を車の中に連れて行ってくれ」

「分かりました」


 横川さんの肩を借りながら遥斗は車へ。

 一方、僕は未だに廃工場の真ん中で立ち尽くす女の子に駆け寄る。


「花」

「な、ななな、何ですか、これ。私こんなことになるなんて聞いてないです……」


 怯えた表情でそう言った花は生まれたての小鹿のように体が震えている。

 誰だってアレを見ればこうなる。

 僕はサバイバルナイフが顔の横を通過した時に一番の恐怖を感じたから今はまだ大丈夫なものの、それがなかった今頃同じように震えて動けなかっただろう。


「気持ちは分かるが落ち着け」


 震えてる体を止めるためにも、僕は花の両肩を強く掴む。

 すると、ビクッと一瞬体を跳ねた後、ゆっくりと震えは収まっていく。

 だが、まだ呼吸は乱れたまま。どうにかするため深呼吸するように促す。

 二人で「すーはー」と数回繰り返し、呼吸を会話出来るまで呼吸を整えた。


「もう大丈夫です」

「なら早速質問だ。車は運転出来るか?」

「一応、免許は持っています。ですが、いわゆるペーパードライバーというやつであまり運転には自信がありません」

「そうか。じゃあ運転してくれ」

「えっ……」


 思ってもいなかった返しだったのか目を見開く花。

 続けて「いやいや、無理です無理です」と両手を左右に振る。


「人の命がかかってるんだ。別にスピードを出せとは言わない。安全運転でいいから頼む」

「いやでも……」

「それにこうなった張本人を連れて来たのは花、君だ。責任ぐらいは取ったらどうだ?」

「……」


 流石に強く言い過ぎてしまったのか花は押し黙ってしまう。

 動きもしないし、反応もしない。

 ただ下を向いているだけ。

 数秒待ったがこれでは埒が明かないと思い、無理矢理腕を掴んで車の方へ引っ張る。


「ちょ……いっ、痛いですっ!」

「もっと痛い奴があっちにいるんだよ」

「わ、分かりましたから離してください」

「分かったなら離さなくていいだろ。早くついてこいっ!」


 もう構ってられる時間もないので抵抗するのを無視して車に連れて行く。

 そのまま強引に運転席に座らせた。

 逃がさないように僕は助手席へ。

 後部座席では横川さんが遥斗を手当てし、一番後ろの席では手錠を手首と足首にされた凪姉が意識を失ったまま倒されていた。


「出発だ」

「わ、分かってます」


 刺さったままの鍵を回してエンジンをかける。

 続けて姿勢を正して深呼吸。

 そして覚悟を決めてアクセルを踏んだ。

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