第57話
太陽は沈み、空は闇色。
欠けた月が笑うようにこちらを見ている。
それを見つめながら僕も口元を三日月に。
「空気が美味いな」
今いるのは山の中。
灯りも少なく車の通りどころか人通りすらほぼない。
そんな誰もいない世界と思える場所を僕は一人歩く。
向かう先は廃工場。
途中まではタクシーを使い、それ以降はこのように徒歩。
タクシー運転手に何か深読みされて通報されても困るからな。
「まるで、心霊スポットだな」
廃工場到着と共に出た言葉がそれ。
山道も十分そっち系の雰囲気はあったものの、廃工場の中は不思議と空気感が違う気がした。
人がいた痕跡があるせいだろうか。
ペットボトルや缶のゴミ、タバコの吸い殻、壁にはスプレーでよく分からない言葉が描かれ、天井には大きな穴が開いており、弱々しい月光が廃工場内を照らして不気味な空間を作り出している。
選ぶ場所を間違えたかもしれない。
人の来ない場所ならどこでも良かったのだが、ここまで恐怖を感じる場所にするつもりはなかった。
これでは花も何か察して来ないのではないかと思ってしまう。
女の子一人でここはハード。
霊的な恐怖心に強くても誘拐的な恐怖心は少なからず感じるはずだ。
とりあえず入口付近に身を隠す。
持ってきていた温かいお茶取り出し、体の中を温める。
季節はまだまだ冬真っ只中。下手すれば自爆する可能性もある。
「はぁ……」
続けて手に白い息をかけ、ポケットから取り出したカイロで手を温める。
スマホの画面は時刻は午後10時43分を示し、右上の電波マークは消え圏外という表示。
そろそろ来てもおかしくはない時間だ。
最終準備としてリュックからGPSが入ったカプセルを取り出す。
GPSが入っていることを確認し、適当に廃工場の奥にカプセルを投げ捨てる。
どこまで精密なGPSか分からない以上、この身に持っておくのは危険だと判断しての行動だ。
それに花を奥へと誘導できるかもしれない。
――ブゥゥゥン……
外から機械音と激しい光が廃工場を照らす。
丁度、ご本人の登場のようだ。
まさか車を運転出来たとは予想してなかったが問題はない。
タクシーで来ると予想をしてたから誤差だ。
扉が閉められる音が聞こえ、足音がこちらに近づいて来る。
――カッ、カッ、カッ、カッ……
――トッ、トッ、トッ、トッ……
一人じゃない。
もう一人誰かいることはすぐに分かった。
警戒して仲間を連れて来たのだろうか。
これは流石に予想していなかった展開。
何があっても一人で行動するだろうと決めつけていたからな。
「空ちゃん、いるんでしょ~」
「……えっ⁉」
必死に口元を抑え、声を押し殺したが心臓は早くなる。
だって、その声の主は……凪姉。
隣にはきょろきょろする花の姿がある。
二人の背丈は同じぐらい。それに少し違和感を感じつつも今はそれどころじゃない。
信じたくはないが凪姉は恐らく敵。
つまり僕は昼間、馬鹿みたいに敵に塩を送っていたのか。
これには頭が痛くなるし、吐き気を感じる。
でも、何で?
凪姉はTCの一人。
十南からの信頼も厚く、密会したお風呂場でも隣のお風呂場にいたぐらいだ。
あの時の全て聞かれてはいないだろうが所々は聞かれていてもおかしくはない。
どちらにしても彼女が十南を狙った犯人なら厄介すぎる。
まだ確定するのには早いとはいえ、限りなく黒いグレーというところか。
「わたしとぉ、そんなにかくれんぼしたいのぉ~」
凪姉の声は廃工場に響き渡る。
いつも優しさ感じる声も今だとただただ恐ろしい声音にしか聞こえない。
楽しんでいるような雰囲気ではあるが、その声から感じ取れるのは圧より強い殺意。
迷いない足取りで廃工場の中心まで歩みを進めた二人。
今ならバレずに逃げることも可能。だが、内心はここで二人を仕留めたい。
逃げてバラされるのが相手にとっては一番嫌なこと。
だからといって、その選択は正しいとは言い切れない。
もしかしたら、バラした瞬間に手段を選ばなくなる可能性だってある。
凪姉に仲間がいると仮定するなら、水心と十南の命が危険にさらされるのは目に見えている。
圏外だからすぐに連絡されないと思うがそれも時間の問題だ。
「あ、あの凪さん、これが落ちてました」
「ハメられたぁってことかなぁ?」
「可能性は低いと思います。GPSを見ていましたが、ここに着いたのはついさっきのことです。まだこの場に滞在していてもおかしくはないかと」
思った以上に高性能なGPSだったようだ。
あのカプセルを拾えたのもGPSのおかげだろう。
屋内だからといって油断せずにカプセルを投げて置いて正解だった。
GPSは屋内にいると電波が届かないのだが、この場は屋内であって屋外でもある。
そのような不思議な状況になった原因は天井に開いた穴。
穴があるおかげでGPSの電波が届き、正確な位置を掴めたのだろう。
ここにいることも半分バレたようなもの。
相手が車で来ていることを考えても逃げるのは難しい。
はっきり言おう。
完全に詰んだ。
というわけで、僕はゆっくりとその場から移動する。
車のライトを遮るように二人の前に姿を現した。
「降参です」
「空ちゃん、みーつけたぁ! そんなところにいるなんてぇ、隙を見て後ろから襲おうとでも思っていたのかなぁ」
花が一人で来ていたら間違いなくそうしていた。
全てお見通しといったところか。
「さぁ。それよりも凪姉は何でここにいるんですか?」
「分かってるくせにぃ」
「敵。そう認識していいってことですか?」
「んー、そうだねぇ」
なぜか凪姉は嬉しそうにニコニコと頬を緩ませている。
いつもはほんわかしていて安心する表情も今では鳥肌が立つレベルで不気味。
昼間に会った人間と同じとは到底思えない。
「僕は敵に全てを話してたってことですか、笑えますね」
「わたしもぉ、さっきはぁ我慢するの大変だったよぉ」
唯一サークル内で僕に対して優しくしてくれていた一人。
接触が多くて最初は嫌だったが、最近それも慣れてきたところだった。
恋バナもしたし、一緒にベッドで一晩を過ごしたし、意図的ではないが裸まで見た相手。
徐々に信用して仲良くやっていけると思っていた。
今日だって昼食を一緒にして安心して夢の仲間で入った。
何で、何で、何でなんだろうな。
「でもぉ、我慢した甲斐あったよぉ! 空ちゃんの初めて顔が見れて嬉しいなぁ」
バカにしたように笑う凪姉。
信じていた人に裏切られるとはこんなにも腹立たしいものだったとは思ってもいなかった。
心臓が大きく振動して頭に血が昇る感覚がする。
体の穴という穴から何かが出そうなぐらい細胞は騒ぎ、体に力を入れないと自分を制御出来なくなりそうだ。
これを俗に言う腸が煮えくり返りそうってやつだろうか。
気持ち悪い、吐き気を覚える感覚だな。
最悪な気分だよ、本当に。
「そっ、それは良かったです。で、目的は僕を消すことですか?」
「なんでわかったのぉ~?」
「消さないと全てバレるじゃないですか。消さないなら凪姉はこの場にわざわざ来てないはずです」
「ふふっ、頭が回る子は嫌いじゃないよぉ。正直ねぇ、殺すのが勿体ないもん」
初めて『殺す』という言葉に殺意を感じたかもしれない。
日常的に使ってはいけないと言われるが遊びやノリで言うこともある言葉。
その意味が本物を知って初めて分かった。
こんな恐ろしい言葉を日常で使うなんてイカれてるよ、人って。
「そ、そそそ……それは褒めてもらってる、って受け取っていいんですかね」
苦笑交じりそう言うと凪姉は「いいよぉ~」と返す。
その手にはサバイバルナイフ。
慣れた手付きでクルクルと回している。
映画でしか見たことないサバイバルナイフの扱いに体中に寒気が走り筋肉が硬直する。
足が重く、体が動かない。
「こ、殺される前に一ついいですか?」
「もちろん」
「僕を殺す理由って――」
「ころぉしたいからぁ!」
――シュッ!
言葉を終える前にそう答え、手に持ったサバイバルナイフを投げる凪姉。
サバイバルナイフは僕の頬を掠れ、地面に落ちるなり滑りながら闇に消える。
その音が聞こえなくなったと共に、僕の足元に赤色の雫が落ちる音が響いた。
「おっとぉ、外れたぁ」
と失敗したみたな反応を見せて服の袖からサバイバルナイフを追加する。
「次はハズないよぉ」
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