第52話
人とは意外と敏感な生き物である。
背後からでも視線を向けられると感じ取ってしまうぐらいだ。
アレは一体どういう能力なのだろうか。
そう思いながらも今日一日中、僕は視線を感じていた。
要するに僕は尾行されている。
「こう言う時に限って……」
スマホの画面は真っ暗。
昨日、色々とあったせいで充電を忘れて寝てしまい、今朝少ししたものの帰りまでは耐えてくれなかった。
いくら画面を見てもその現実は変わらないのでポケットに仕舞う。
小さな足音が背後からついてきているのを理解しつつも、とある人物との約束の場所へ向かう。場所はここから真っ直ぐ歩いた先にある屋上だ。
屋上に行くのはクリスマス以来。
天候はあの日よりマシではあるが軽く雪が降っているせいであの日が蘇る。
「まだ一ヶ月も経ってないとか信じられないな」
蚊の声ぐらいで呟き、屋上の扉を開いて中へ。
「遅くなって申し訳ないです」
「はぁ、本当に遅かったですね、空君」
不機嫌そうに待っていたのは横川梓。
遥斗の彼女である。
そんな二人はテントリーチルドレンの家族であり血の繋がった兄弟。
今はカップルという名の禁断の関係を築いてはいるが結婚は出来ない関係だ。
と、それはいいとしてご立腹の目の前の方をどうにかしないとな。
「そう怒らなくてもいいのでは?」
「雪降る中、一時間も待たされれば怒りもしますよ!」
「確かにそうですね。まあまあとりあえずこれでも飲んで落ち着いてください」
落ち着いてもらわないと話にならないので、リュックから麦茶と蝶が描かれた箱を取り出して渡した。
「冷たい……」
「……」
元々は僕が家で飲むものだったからな。
こんなことになるなら温かい飲み物を買うべきだった。
「それでこっちは何ですか?」
「コレにプレゼントみたいなものです」
僕は小指を立てながらそう言う。
「箱の柄からして女性向けのように見えますけど」
「箱だけです。中を見たら分かる。そうお伝えください」
「ア……じゃなくて、私だけ先に確認してもよろしいでしょうか?」
「コレと二人の時に頼みます」
その返しに何か怪しく思ったのか目を細められる。
でも、ここで開けられるのは困るので仕舞うように促すとすぐにポケットに入れてくれた。
「はぁ……分かりました。今回はこれで許します」
「あ、ありがとうございます」
「それはいいとして、その畏まった口調は止めてください。コレから空君のことは聞いています」
小指を立てながらそう言う。
遥斗としっかり話したのはあの温泉での裸の付き合いのみ。
一体、何をどこまで話したか。正直言って怖い。
「そうです、そうか。じゃあいつも通り話すよ」
「はい、それでお願いします」
やっと横川さんから笑顔が見え、場の空気が和らぐ。
僕は内心ホッとしながらも雪空の下は寒いと思い、長話する気もないので話を進める。
「早速いいか?」
「もちろん構いません。むしろ早くしてほしいぐらいです」
白い息を赤く色付いた掌にふぅーと吹きかける。
分かりやすく「こっちは一時間前からいるのですよ!」と怒りのアピールされ、根に持たれているなーと思いながらも苦笑い。
再度謝ることを検討したが掘り返すと面倒な気がしたので、咳払いを入れてから気にせず話を始める。
「なら単刀直入に聞くけど、君がフェンスを破損させた犯人だよな?」
「な、何言ってるのですか!? そんなことするわけないじゃないですか!」
「十南家に人生を狂わされたのに?」
「狂わされたって――」
「とぼけなくていい。意図的ではないにしろ好きな人と結婚出来ない関係性にさせられたんだ。恨んで復讐したんだろ?」
僕はゆっくりと近付き、横川さんの瞳を逃さない。
しかし、それは横川さんも一緒で眼鏡越しに鋭い眼差しを向けている。
「それはないです。十南家に産まれなければ、アレとは出会えなかったのですから。むしろ感謝していますよ」
「じゃあ、なぜあんなにも狙ったように十南を救えた?」
「護衛ですから当然のことです。そもそも十南家に恨みがあり、本当にフェンス壊しているなら救いませんよ」
「信頼を得て、これからの作戦に役立てるためだった可能性もある」
「戯言を抜かすのも程々にしてください。それ以上言うならこちらも容赦しません」
我慢の限界がきたのか鬼の形相をし、僕の胸倉を小さな手で掴んできた。
その行為には思わず目を見開き、すぐさま両手をあげた。
いくら何でもやりすぎたようだ。
鎌を掛けるのもなかなか難しい。
「はぁ……悪かった。少し鎌をかけたつもりだったんだがな」
「限度を考えてください」
僕は服装を直しながら扉をの方を一瞥。
その行動に何かを察したのか、横川さんは扉から遠いフェンス側へ。
「このフェンスは大丈夫なのか?」
「次は本気で怒りますよ?」
圧の笑みを向けられ、僕は苦笑交じり「冗談冗談」と呟く。
さっきも本気で怒っていただろ!というツッコミは喉の奥に仕舞い、そのまま流し込むように緑茶を飲んだ。
「それでここに呼び出した本当の理由はなんなのですか?」
「TC出身は頭が回るんだな」
その言葉に肩をビクりとさせたが冷静を装うように白い息を吐く。
そのまま口を閉じてしまったので仕方なく僕から口を開くことに。
「今回ここに呼び出したのは、とある噂を流してほしいからだ」
「噂……ですか?」
「そう、噂だ」
少し遠回りはしたが本題はこれだ。
連絡先も知らないから呼び出すのには苦労した。
同じ情報科学科とはいえ普段関りは無い。
だから、急に喋りかけなどしたら周りからは変に思われる。
冬休み中に付き合ったと勘違いでもされたら、更にそれが遥斗の耳に入ったら最悪な結果を招きかねない。
それを起こさないために使ったのがエアシェア。
エアシェアとは、同じスマホの機種なら連絡先を交換せずに写真やメモなどを送れる機能である。
その機能を使ってメモを送ったわけだが、他の人にも送ってしまう難点もあるので暗号化して送るのに手間がかかった。
暗号化と言ってもちょっとした暗号文字を利用したもの。
横川さんにしか解けない暗号文字。名付けて遥斗文字を使った。
何とか伝わり横川さんだけが来てくれて良かったが、その代償としてスマホの充電を失った。現代社会でスマホがないのは不便ではあるが仕方ない。
唯一の救いは送った後だったことだろう。
「それで何の噂を流せばいいのですか?」
「断らないんだな」
「そうさせるためにTCという名を出したのではないのですか?」
「理解が早くて助かるよ」
同時に頭の回転の速さに恐怖しているけどな。
本当に同じ大学生、否、人間とは思えない。
これがテントリーチルドレンで作り上げられた脳。
一体どうやったらこれほどの……怖くて想像もしたくないな。
「噂の内容だが――」
「ほ、本気で言っているのですか?」
全て聞き終わった横川さんは嫌そうな表情をしている。
予想通りの反応で逆に安心する。
喜んで受けられたら女性は怖い生き物だと痛感しそうだったからな。
「ダメか?」
「拒否権ないことを分かっていて、その返しはせこいと思います」
「確かにそれもそうだな」
「はい」
「まぁバレないように頼むよ」
「分かりました」
横川さんはノリ気ではないようだが能力的には問題はないだろう。
問題なのは噂の拡散されるスピード。
出来れば、ゆっくり広まってほしいがこればかりは読めない。
「話は以上ですか?」
「ああ」
「それでは、この後はアレと帰るのでここらで失礼します」
淡々とそう言い、すぐに屋上の扉に歩き出す横川さん。
僕は慌てて腕を掴んで静かにするように口の前に人差し指を立てる。
「何ですか?」
「まだ外に誰かいる」
そう、ずっと誰かが扉の先にいる。
間違いなく尾行していた人物だ。
当然これは想定済み。
だから、僕はエアシェアの暗号文に横川さんの名前は出さないように忠告していた。
その甲斐あって今日の横川さんの一人称は私。
普段のアズという一人称は封印していた。
「でも、帰り道はあそこ以外ありませんよ?」
「大丈夫だ。もうすぐ――」
コソコソとそんな話をしているとゆっくりと屋上の扉が開く。
その人物を見て横川さんは驚きの表情を見せるなり姿勢を正して頭を下げた。
「そっちは上手くいったか?」
「一応、紙に書かれていたようにはしました。なので、問題ないかと思います」
帰り際に掌に渡した紙通り動いてくれたようだ。
「それよりそちらの方はなぜ頭を下げているのですか?」
「立場上じゃないか?」
「なるほど。気にしないで顔をあげてください」
「あ、はい。お世話になっております、十南様」
「こちらこそ旅行ではお世話になりました。感謝しています」
十南は綺麗に頭を下げ、その行動に目を見開く横川さん。
今の反応でテントリーチルドレンにとって十南とは神的存在なのだと実感する。
彼女たちは同い年で大学の同級生であり腹違いの姉妹だというのに、教育一つでこのような関係になってしまうとは見ていて複雑な気持ちだ。
「それで北宮さん、撮影した動画はどうしますか?」
僕が十南に紙で頼んでいたことは尾行していた人物の撮影。
相手が予想通り動いてくれたおかげで作戦は成功と言える。
「この後時間あるならコンビニで動画に映る人物のスクショを印刷してほしいかな」
「スマホで送るのはダメなのですか?」
「ああ、今後のことも考えて連絡先の交換は誰ともする気はない。あまり情報を残しておくのは良くないからな」
「それもそうですね。では、暗くなる前に済ませてしまいましょうか」
「だな。ってことだから僕たちは失礼する。このことは秘密で頼むぞ」
「もちろん、分かっております。お二人とも気を付けてお帰りくださいね」
丁寧に言葉を言うなり、横川さんは深々と頭を下げる。
僕は軽く手を振って反応し、十南は「それではまた。失礼します」と一言。
横川さんを置いて僕たちは雪が積もり始めた屋上を後にした。
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