第51話

 部室を出るとおどおどした女性が立ち尽くしていた。

 今日は活動をしているサークルも少ないため、この部室が多いこの場所にいるのは気になる。

 迷子とも思えないし、サークルメンバーを待っている様子もない。


「あ、あの……トイレってどこですか?」

「え、トイレ?」

「も、ももも、漏れそうで」


 急に話しかけて来たと思えば、か細い声音でトイレの場所を聞いてくるとは限界が近いのだろう。


「僕もトイレ行くところなので一緒に行きますか?」

「は、はい」


 まさか知らない女の子と連れションすることになるとは。

 男女別々だから連れションではないのか。

 とにかく女の子がヤバそうだからそこらへんはどうでもいいか。


 僕が歩き出すと彼女も股を閉めるように歩き出す。

 どれほど我慢すればそのような感じになるか想像も出来ない。

 もうなんか歩き方がキ、キモいもん。

 僕と出会ってなかったどうなっていたことか。

 もっとキモくなっていたかもな。


 それにしても同じ大学生のはずなのにトイレの場所も知らないとはおかしな話だ。

 入学して一ヶ月目の一年生ならまだしも、ここにいるということは最低でも入学して八ヶ月以上経っているということ。

 普段はあまりこのあたりは来ないのだろうか。


「何のサークルに入ってるの?」

「え、えっと……」


 凄い、マグロのように目が右往左往に泳いでいる。


「急ぎます?」

「お願いします」


 走ると逆に漏れるかと思ったが、もう走らないと間に合わないレベルらしい。

 尿意を紛らわせる作戦だったんだけどな。

 とりあえず僕たちはトイレまで走ったのだった。


 出すものを出して手を洗い、ハンドドライヤーで水滴を落とす。

 走って乱れた髪の毛とフードを整え、男子トイレから出るとさっきの女の子が壁に背中を預けて待っていた。


「待ってたの?」

「あ、はい。お礼を言いたかったので」

「そ、そっか」


 待ってたことより女の方がトイレするの早いことに驚きを隠せない。

 女子トイレはよく渋滞してるイメージがあるから、てっきり女子はトイレに時間がかかるものだと思っていた。


「先程はありがとうございました」

「そんな頭を下げるほどじゃないよ」

「いえいえ、漏れるところだったので」

「とにかく漏れなくて良かったよ。それより君はどこかのサークルに入ってるの?」

「写真サークルです」

「へー今日はそれでここに?」


 僕は足を進めながら質問すると彼女は小走りで並んで「はい」と肯定。


「友達が部室の鍵を取りに行ったのですが、なかなか戻ってこなくて」

「それで漏れそうに」

「恥ずかしいですがその通りです」


 写真サークルというだけあって基本は野外活動が多いのかもしれない。

 だから、部室近くのトイレの位置を知らなかったのかもな。


「そう言えば、名前は?」

「花です」

「花か。可愛らしい名前だね」

「あ、ありがとうございます。え、えっと、あなたは?」

「僕は空」

「空さん、空さん……空さん」

「何で三回も?」

「ご、ごめんなさい。良いな名前だと思いまして」


 顔を赤らめ、両手をフリフリしながらそう言う。

 別に恥ずかしがることでもないのに。

 あまり人と話し慣れてない感じか。


「僕はこの部室だから」

「はい、ありがとうございまし……あっ――」

「おっと、大丈夫?」


 何もないところで躓き、派手に僕に抱きついてきた。

 不思議と心配になる子だ。

 身長も低いし、顔も幼い。胸も控えめで髪は肩ぐらいでボサボサ。

 外見的要素は十南と近しいものがある。しかし、中身は全くの真逆でダメダメ。


「ほ、本当にごめんなさい。私どんくさくて、いつもこんな感じで」

「気にしなくていいよ。でも、もう少し気を付けなよ」

「はい」

「じゃあ」

「はい、ありがとうございました」


 適当に手を振り、僕は部室へと戻った。


          ⚀


「空ちゃんって男だよねぇ」

「なんですか、急に」


 温泉サークルは基本的に暇。

 旅行に行かない時の活動方法も雫先輩がいないので分からない。

 だから、今日はずっと凪姉とこうやってだべってる。


「温泉行った時にぃ、わたしの体見て大きくなってたしぃ~」

「ゴッ、ゴホッゴホッ……」

「大丈夫ぅ?」

「き、気にしないでください」


 予想もしてなかった話をされ、飲んでいたお茶を吹き出しかけた。

 一番掘り返してほしくないところわざわざ。

 もう終わった話でいいだろ、それは。


「でさぁ、やっぱり空ちゃんは大きなおっぱいが好きなのぉ?」

「何でそうなるんですか」

「だってぇ、わたしの体見て興奮してたからぁ」

「別に大きさ関係なく、女性の体には……そ、その……」

「そのぉ~?」

「……興奮するというかなんというか……」


 小さな声でそう言うと隣からシャー芯が折れる音がする。

 なんか凄い圧を十南から感じるが怖いので見ないようにしておこう。


「空ちゃんは可愛いねぇ」

「かっ、可愛くないですよ!」

「えぇ~可愛いよぉ。女性の裸を目の前にすると興奮するとか童貞さんじゃんかぁ~」

「童貞ですけど何か文句でも?」

「何強がってるのぉ~可愛いねぇ~」


 完全に遊ばれてる。

 これが女の特権なのか。

 男が女に男の裸見て興奮してるとか可愛いとか言って見ろ。

 絶対に捕まる。速攻で牢屋だ。


「おっぱい触るぅ?」

「何言ってんですか!? バカなこと言わないでください」

「わたしは本気だよぉ。ほらこんな機会ないよぉ?」


 凪姉は自分の胸を両腕で持ち上げてアピール。

 一瞬その姿が目に入ったがすぐに閉じて目に力を入れる。


「ねぇ、触らないのぉ?」

「ふぇ!?」


 不意に耳元でそう囁かれ、変な声が口から漏れる。

 声が聞こえた方に視線を向けると凪姉がニヤニヤと両腕で胸を寄せて前かがみになっていた。

 そのせいで目の前にはおっぱい。

 深い深い谷間が視線を奪って離してくれない。


「興味深々じゃないぃ」

「そ、そんなことは……」

「我慢しなくていいのぉ。わたしは空ちゃんならおっぱい揉まれても何も言わないからぁ」

「……」


 無言で耐えていると凪姉は僕の右腕を掴み、自分の胸に寄せていく。

 10センチ、7センチ、5センチ、3センチ、1センチ……そしてついに右手が――。


「あなたも性に支配された男なのですね」


 そんな言葉が背中から聞こえ、揉み始めようとしていた手が止まった。

 不思議とその言葉が刺さったというか、性に支配されるというフレーズが嫌だった。


「凪姉が変態なのはいいですけど、僕を使って性欲を満たすのは止めてください」

「えっ、そんなつもりはぁ……ってぇ、触らないのぉ?」

「触りませんよ。僕は凪姉の性を満たす道具ではありませんから」

「別にそんな風には思ってないよぉ」

「その割には息遣いが荒いですし、一度トイレに行った方がいいんじゃないですか?」


 何かを感じたのか、いきなり股を閉める凪姉。

 そして耳を真っ赤にして部室を出て行った。


「どうにかならないのか、アレは」

「あなたも私が声をかけるまではノリ気だったじゃないですか」

「別に分からせてやろうと思っただけだ」

「とか言いつつ、あなたの下半身は大丈夫なのですか?」

「み、見るな。十南こそ手が止まってるじゃないか」

「うるさいですよ」


 やはり大学生という思春期にこの手の話題は刺激が強い。

 この歳になって知識がない人間はあまりいない。

 そのようなシーンになれば誰しもが耳を傾ける。

 人間的な本能なんだろうな。


 数分後、凪姉は何食わぬ顔で帰ってきた。

 ズボンのシミを隠すためか、手は丁寧に股のあたりに置いている。


「今日はここらのサークル休みみたいねぇ~」

「そうなんですか?」

「どこも電気付いてなかったよぉ」


 さっき写真サークルはあるみたいだったが何か都合が悪くなって今日は無くなったのだろうか。

 どちらにしろ、もう会うこともないだろうから気にすることもない。

 寒い中、待たなくてよくなったのだからホッとしてるに違いない。


「皆さん勉強しているのだと思います。二人と違って」

「そうかもねぇ~」

「僕たちもそろそろ活動終わりますか?」


 時刻は午後四時過ぎ。

 まだ絶賛冬なので日の入りは早い。

 遅くなりすぎると女性である二人が危ないからな。


「わたしはぁ、この後近くで予定あるからぁもう少しいるよぉ」

「私も木下先輩が帰る時に帰ります」

「そっか。じゃあ僕はお先に失礼するよ」


 僕はコートを羽織り、水心から貰ったマフラーを巻いてリュックを背負う。


「空ちゃんまた明日ぁ~」

「はい、また明日。十南もまたな」


 無視されたので掌を握り締めてもう一度言う。


「はぁ……早く行ってください」


 それを聞いて部室を後にした。

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