第50話

 昨晩の一件が解決しないまま翌日を迎えた。

 今朝も会うことなく、満員電車でも見かけず、同じ講義でやっと姿を見つけたが当たり前のように拓海が隣にいるので喋りかけるチャンスはない。


 そうこうしているうちに午後になり今日の講義は全て終了。

 サークル活動に行くであろう水心と拓海の背中を見届け、僕は今一人で自動販売機で買ったお茶を片手に椅子に座っている。


「何しているのですか?」

「見ての通り何もしてない」


 気配を消した状態で喋りかけてきたのは十南。

 手にはペットボトルの紅茶と講義に使うノートパソコン。


「自動販売機使えるようになったんだな」

「これは木下先輩から貰ったものです」

「やっぱりまだ使えないのか」

「いえ、使えます。ですが、使う時がないだけです」

「じゃあ、このお金で麦茶買ってよ」


 ポケットから取り出した二百円を差し出すが、それを受け取らずに十南は凝視。


「ん」

「あなた、手にお茶を持っているではありませんか」

「これは緑茶。今急に麦茶が飲みたくなった」

「自分で買えばよろしいのでは?」

「それもいいがちょうど十南がいるし。試しに買えるかやってみてよ」


 雑に二百円を親指で弾いて渡すと十南は水を掬うように両手で受け取る。

 けど、なかなか自動販売機には近付こうとはせずに、僕を睨むように視線を向けている。

 仕方なく「やっぱり出来ないのか?」と煽るように言うと無言で背中を向け、少し早足で自動販売機へ。


 ゆっくりと百円を一枚入れ、もう一枚を入れるとチャリンと釣銭口に戻ってくる。

 初めての経験だったのか首を傾げながら再度その百円入れるも……。

 三回ほど繰り返し、十南は振り返って僕に百円玉を見せるなり「偽物ですか?」と尋ねてきたので服で拭くようにジェスチャー。

 それを真似て百円を入れるとしっかり入った。


 驚いてこちらを見て来たが苦笑しながら頷いておいた。

 自動販売機に小銭入らない時は、今みたいに服で拭くとか逆向きに入れるとか息を吹きかけるとかが一般的なんだけどな。

 というか自然とやってしまうもの。ゲームカセットとかの読み込み悪い時の癖みたいなもので大体の人がやってしまう。


 そんな誰もがやることをしないとはある意味育ちがいいのか。


「これでいいですか?」

「お釣りは?」

「……」


 何もなかったように自動販売機の釣銭口からお釣りを取り出し、少し強めに僕の掌に置いてきた。

 どこからどう見ても不機嫌だが特に謝る気はない。

 彼女が出来ると言ったのが悪いのだからな。


「ありがとうな」

「いえ」

「もう講義はないのか?」

「はい、今から部室に行こうかと思っています」

「同じ、く……ん?」


 何か視線を感じて振り返るも誰もいない。


「どうかしましたか?」

「いや、気のせいみたいだ」

「そうですか」


 僕たちはペットボトルを仕舞って部室へと向かった。


          ⚀


「今日は雫先輩いないのですか?」

「雫ちゃんはねぇ、今日から数日仕事で大分おおいただよぉ」

「大分!?」

「そそ、温泉関係の仕事が殺到中とか言ってたぁ」


 聞いての通り雫先輩はこの場にはいない。

 いるのは僕と目の前に凪姉、隣に十南。

 部室に入った時に凪姉一人だったからある程度予想は出来てたけど、まさか大分に行っているとは思いもしなかった。

 こないだの伊良湖の時も温泉関係だったが今は温泉界にファッションブームでも来ているのか。雫先輩が巻き起こしているという可能性もあるが。

 何にしろ、あの人がいないと気分的には楽だ。


「ねぇ、何でお茶を二本も持ってるのぉ?」

「緑茶を飲んだら麦茶も飲みたくなったので」

「変なのぉ。ジュースにすれば良かったのにぃ~」


 そう言いながら凪姉は目の前にあるお菓子を口に運ぶ。

 確かに傍から見ればお茶を二本買う行為は異質だ。

 でも、考えてみてほしい。

 別にお茶じゃなくても異質なことに。

 そこで僕は二本目は家で飲むようとして考えた。


 まず家でジュースを飲む習慣がない。

 水なんかには金かけたくないし、缶系は空けると飲み干さないといけない。

 結果、消去法で麦茶となった。


「十南はお菓子食べないのか?」

「はい、勉強中に手が汚れるのが嫌なので」

「そか」


 冬休み明けてから数週間後には後期テスト。

 これが普通の姿かもしれないが、僕と凪姉はお菓子を食べながらダラダラと過ごしている。

 冬休み遊び倒してた分、テストに余裕はない。

 だが、昨日までレポートに追われていたのだから今日ぐらいはゆっくりしてもいいだろう。


「凪姉はテスト大丈夫なんですか?」

「単位落とさない程度の点数は取れるから問題ないねぇ」

「本当にそれって大丈夫なんですか? 赤点ギリギリって冷や冷やしません?」


 大学の赤点は高校と違ってかなり高く設定されている。

 もちろん大学よって違うが高校時代の倍ぐらいが基準だ。

 正直、厳しいとは思うが大学側からすれば勉強していれば取れるだろって感じに違いない。

 実際、勉強すれば取れるし、遊んで赤点取って留年するのは自業自得だからな。


「んー、冷や冷やすることはないよぉ。講義を聞いてれば80点ぐらいは取れるしねぇ」

「つまり、テスト勉強はしないと」

「人生でしたことないかなぁ。その理由は月ちゃんから聞いてるんじゃないぃ?」

「十南から?」


 そんなことを聞いた覚えはない。

 そもそも十南から凪姉の話題が出ることが少ない。


「TCについて聞いたでしょ~?」

「木下先輩。あまりその言葉は――」

「分かってるってぇ」


 手を止めて凪姉に視線を向ける十南。

 続けて十南は僕に視線を向けて「頭文字を取った略語です」と一言。

 5秒ほど理解するのに時間がかかったものの、やっとTCの意味にたどり着いた。


 TC――テントリーチルドレンの略。

 テントリーチルドレン関係者の中では、外でその話題を上げる時に使っているっぽい。

 確かに直接的に言葉にするのはなかなか危ないからな。


「分かりましたけど、それと勉強にどういう関係があるんですか?」

「えっとねぇ~」

「ちょっと木下先輩、もう少し考えて発言してください。あなたも以前の説明で色々と察しなさい」


 最後に「はぁ……」とため息をつき、ノートに何か書いて僕と凪姉に見せてくる。

 内容は『監視カメラや盗聴器だってあるかもしれない』というものだった。


 横にいる十南が命を狙われていることを忘れていたわけではない。

 あの日の出来事、話した内容を信じてないわけではない。

 それでも僕の中ではまだ少しあやふやなところがある。

 頭に入ってきてないと言うか現実味がないというか。

 夢だったのではないかとか思ってしまう。


「とにかく二人とも――」


 言葉の後にノートで『警戒心を持ってください』と注意された。


「えへへぇ、怒られちゃったねぇ~」

「怒られた人の態度とは思えませんけど」

「いいのいいのぉ。重い空気は嫌だしねぇ~」


 普段通りニコニコと笑みを浮かべている凪姉だが珍しくそのこめかみからは汗が流れている。

 平静を装ってはいるが全てを知っている僕からすれば十南に恐怖を感じているようにしか見えない。暖房もそこまで暑くないしな。

 この反応を見るにテントリーチルドレンが事実なんだと改めて感じる。


「それにしても、凪姉は勉強しなくて羨ましいですよ」

「勉強は講義でしてるからしてないわけじゃないもん~」

「確かにそうなんですが、僕なんか講義以外でもかなりしないといけませんし」

「人と自分を比べても仕方ないよぉ。空ちゃんはぁ、今自分は勉強しないと勉強に追い付けないと理解しているだけでぇ、わたしは偉いと思うなぁ~」


 皮肉で言った言葉を褒めて返され、次の言葉が出ない。

 こういう時、凄く自分が惨めに感じる。

 本当は凪姉がテントリーチルドレン時代に恐ろしいほど勉強をさせられたことは分かっていた。十南を支える存在として育てられたのだから、それはそれは厳しい教育を受けて来たのだろう。


 なのに、生まれ持った才能みたいに扱って。

 人の努力をなかったようにして。

 僕は酷い人間だ。


「な、凪姉が今こうやって勉強が出来るのは今までの努力の賜物なんですよね。なんか羨ましいとか言ってごめんな――」

「えっ、違うよぉ」

「ち、違う?」

「うん、産まれてからずっと一回聞けば理解出来たしぃ、一回見れば忘れることないしねぇ」

「……」

「ど、どうしたのぉ? な、なんか空ちゃん怖いよぉ?」


 僕の罪悪感を返してほしい。

 全然努力してなかった。

 完全に生まれ持っての才能だった。

 これだから天才は……。


「いえ、別に気にしないでください」

「ホントにぃ?」

「はい」

「わ、わかったぁ」


 僕は一旦、頭を冷やしにトイレへ向かった。

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