四章 掌の上
第49話
伊良湖旅行から数日が経ち、ついに明日から学校が再開する。
冬休みとは夏休みと違い早いもので、大学生は一月の六日から。
年が明けてからまだ一週間も経っていないというのに、講義を受けろ!というのはなかなか優しくない。教授たちも嫌だろうに。
「はぁ……レポート終了」
冬休み期間は何かと忙しかったせいで、レポートに全く手を付けてなかった。
結果、今日の今までかかってしまった。
その間、初詣も行けず、どこも行けず、家で引きこもり生活。
買い物しにコンビニには行ったが、それを外出と言っていいものなのか。
時刻は午後7時前。
夕食を買いにコンビニへ行きたいところだが外はシンシンと雪が降っている。
コタツからその景色を見てると正直動く気はしない。
出前でも取ろうと考えたが新年早々やっているところも多くないはずだ。
――ピーンポーン!
家のチャイムが鳴る。
もちろん出前は取っていない。ネットで何か頼んだわけでもない。
友達が来る予定もないし、まず僕の家を知っている友達はほぼいない。
一体、誰だろうか。
「はーい」
動かずに適当に返事する。
すると、静かに扉が開いて知った顔の女が家に入ってきた。
「空、あけおめ」
「あー新年の挨拶がまだだったな。あけおめ。今年もよろしく」
「よろしくね……じゃないわよ! 客人が来てるっていうのに、その態勢のままってどうなの?」
「コタツから抜けられなくてな」
「全く新年早々ダラダラしすぎよ」
水心は呆れた表情でそう言うなり手に持っていた荷物を冷蔵庫に入れ、自然にコタツに足を入れる。
「やっぱりコタツはいいわね」
「そっちは出してないのか?」
「うん。出すとこんな感じになっちゃうしね」
僕の方を見てそう言い、スマホを弄り出す。
不思議と高校時代に戻った感じがする。
いつも冬になるとこうしてダラダラと過ごしていたのが懐かしい。
「実家はどうだった?」
「夏ぶりだったけど、やっぱり我が家は安心するって感じ」
「母さんがうるさかっただろ」
「それはいつものことよ。星夜おばさんには散々拓海のことで弄られたわ」
僕と一緒に帰ったとしても母は弄ってくるだろうからな。
満面の笑みで『一人暮らしとか言いながら半同棲みたいになってるんじゃないの?』とか言ってきそう。いや、絶対に言ってくる。
想像するだけでウザい。しつこいと思うと更にウザい。
脳内がウザいで溢れたのでそのウザい顔を殴って追いやる。
拓海も母には手を焼いたに違いない。
それでも嫌な顔一つしないだろうが。
「あ、LINEの件は本当なのか?」
「LINEの件?」
「拓海が水心の父さんから気に入られたってやつだよ」
「え、うん」
「正直言って一ミリも想像が出来ないんだが」
「アタシも最初は驚いたよ。いつの間にか二人で喋る仲にまでなってて。でも、パパは拓海と二人と喋りたいのかアタシが近付くと会話止めちゃうのよね」
「悪口でも言われてるんじゃないか?」
「ないでしょ! パパがアタシの悪口言うとか想像出来る?」
「出来ない。拓海が言おうものなら激怒どころか半殺しにしそうだし」
ということは本当に仲良くなったってことなのか。
水心の言葉に嘘がないことは分かってはいるが、ここまで聞いても信じられない。
僕は何年あの口数の少ない水心の父親と関わってきていると思っているんだ。
物心付く前だぞ。
なのに、未だに二人で喋ったことはない。
飲み物がいるかい?とか聞かれたことはあるが会話なんてその程度だ。
「でも、良かったな。これで親公認ってことだろ?」
「そうね」
「にしては嬉しそうにないな」
「え、そんなことないよ! 嬉しい、めっちゃ嬉しい!」
スマホを触る手を止めて、わざわざこちらに綺麗な笑みを向けてくる。
何をそこまで必死になることがあるのか。
軽くツッコんだだけだというのに。
「そか」
「うん。あ、それよりお腹空かない?」
「朝から何も食べてない」
「何で!?」
「レポートしてたらいつの間にか19時前になってた」
「新しく出来た友達と遊んでいるからよ」
「その通り。自分でも反省したよ」
そう、反省した。
何でもかんでも言うことを聞かないようにしないといけないと。
特に雫先輩の強引な誘いはどうにか対策を立てたいところだ。
「まぁ終わって良かったわね。で、お腹空いているのよね?」
「ああ、ペコペコ」
「じゃあ、おせち持って来たから一緒に食べない?」
「食べる」
「動く気はないのね……」
目を細めてこちらを見るなり、大きなため息をついて立ち上がる。
以前来た時に食器類の場所は把握したのか、すぐに食器と持参した箸を取り出してテーブルに置く。
それを見ながら僕はゆっくりと床にへばりついた体を起こして姿勢を正す。
「それは母さんのか?」
「違う違う。アタシが作ったのよ」
冷蔵庫から取り出した重箱を慎重に運びながらそう言う水心。
僕の記憶上、水心におせち料理を作るほどの料理能力はなかった。
前回、風邪の看病をしてくれた時もお粥ではなくうどんだった。
そう比較的簡単なうどんだったのだ。
なのに、おせち料理を作ったとは何事。明日は吹雪にでもなるのか。
あ、もう既に吹雪に近いか。
「何でそんな驚いた表情してるの!?」
「いや、水心がおせち作ったとか言うから」
「し、失礼過ぎない!? アタシだって料理するわよ」
そんな姿は高校時代一切見せなかったのだから信用できない。
カップ麵ぐらしか作ってるところ見たことない。
後はバレンタインのチョコか。
この程度の料理経験(カップ麵は料理なのか微妙)しかないのに、いきなりおせち料理は背伸びもいいところだ。
「その目は何よ。そんなに信用できない?」
「高校時代を思い出してくれ」
「一人暮らし始めてから変わったの!」
自信満々に胸を張る水心。
その堂々たる態度に思わず呆れてしまった。
だって、人がこういう態度を取る時って大抵大したことないじゃん。
それに大学生になり一人暮らしを始めてまだ一年も経っていない。
毎日のように料理していたとしても、それまでは一切してこなかったのだからあまり期待は出来ない。
むしろ期待しない方がいいだろう。
「もーおせち見たらびっくりするんだからね!」
と言うなり少し苛立ちを見せながら持って来た三段の重箱をゆっくり分ける。
一段目、二段目、そして三段目が視界に現れ、僕は目を疑った。
一段目から三段目までびっしりと料理が入っている。
栗きんとん、伊達巻き、かまぼこ、黒豆、海老、数の子、ハムなど。
筑前煮に関しては一段丸々使われいる。
大量に小さなおにぎりもあり、ご飯を炊いていないことを見越してわざわざ入れてくれたのだろう。
「お店で買ったんだよな?」
「だから、アタシが作ったんだって! ふふっ、それだけ驚いてくれると少し嬉しいわね」
機嫌良さそうにニヤニヤしつつ、おせち料理を箸で皿に分けていく。
毎年一緒に食べてることもあって僕の好きなものは分かってるらしく、皿には筑前煮が半分以上を占めている。
「他に何かいる?」
「とりあえずこれだけでいいよ」
「そう。次からはセルフでお願いね」
圧のある笑みを向けると、ささっと自分の皿におせちを乗せていく。
「いただきます」
「いただき」
水心の声に続いてそう言い、僕はゆっくり筑前煮を口に運ぶ。
「う、美味い……」
「でしょ~」
箸を持たずにニマニマとこちらに視線を向けてくる水心。
非常に食べにくいがもう一口筑前煮を口へ。
「実家に帰った時に星夜おばさんに教えてもらったんだ」
「何で母さんに?」
「え、それは……ほら、あれよ!」
「あれって?」
「星夜おばさんに空が帰ってこないから筑前煮だけでも食べさせてあげてーって」
「なるほど。わざわざ教えてもらわなくても母さんに作らして持って来れば良かったのに」
「これから毎年そうなったら大変でしょ。だから、この際教えてもらう流れになったのよ」
「へー」
何はともあれ母の味付けの筑前煮が食べれるのは嬉しい。
今年は食べれないと思っていたからな。
筑前煮どころかおせち自体食べる予定すらなかった。
一人暮らしの正月ってあんまり普段と代わり映えしないし。
わざわざ買うのも高いからな。
「おかわり」
「セルフって言ったでしょ!」
「まだ自分の分に手付けてないぐらい暇なんだからいいだろ?」
「ち、違うし! これは空が食べてるところ見てたら食べる忘れてたっていうか」
「あーはいはい。つまり、暇と。筑前煮はさっきぐらいで」
「もー分かったわよ」
言い方は少し怒った感じだが水心の顔は凄く笑顔。
そんなに何が嬉しいのだろうか。
機嫌がいいことはいいことだ。
このまま調子に乗らせて楽させてもらおう。
⚀
「ふぅ……」
「そんなに美味しかった?」
「うん。珍しく食べ過ぎた」
「ふーん♪」
食べたものを運びながら水心は鼻歌を奏でている。
こんなにも上機嫌の水心は久しぶりだ。
というかなかなか見ない。
気味が悪いレベルだが特にツッコまないでおく。
「アタシが料理出来るって分かってくれた?」
「分かった分かった。正直驚いてる」
「えへへ」
「これぐらい出来るなら毎日作ってもってきてほしいぐらいだよ」
「……えっ……」
「でも、拓海いるから無理な話よな」
「別に余った分だけならいいけど」
「冗談冗談。拓海に心配させることは止めといた方がいい。親からも認められたんだからな」
笑いながらそう言うとキッチンにいる水心は苦笑交じり「うん」と一言。
勢い良く水を出して汚れた食器を洗い出す。
何から何まで本当に有難い。
「あ、そうだ!」
いきなり水を止め、大きな声を出す水心に少し体が跳ねるが何もなかったように首を傾げる。
「星夜おばさんに新年の挨拶した?」
「まだ」
「電話でいいからしてほしいって言ってたよ」
「分かった」
軽く返事だけしてコタツに潜ろうと態勢を崩す。
「どうせ忘れるんだから今しなよ」
「……母さんかよ……」
「なんか言った?」
「いや、今からする」
口うるさく言われるのも面倒なので仕方なく母に電話をかける。
時間的にドラマを見てる時間だが年末年始にドラマは基本ない。
間違いなく暇してるだろうな。
――プル!
『もしもし、空! あけましておめでとう~! 今年もよろしくね!』
「あ、うん。あけおめ」
ワンコールしないうちに出てハイテンションで挨拶してくる母に頬が引きつる。
もういい歳なんだから落ち着いてほしいものだ。
『新年あけたのに私にLINEも電話もなしってどういうわけ?』
「だから、今してるじゃんか」
『何日経ってると思ってんの?』
「五日」
『正解! じゃなくて遅すぎ! どーせ水心ちゃんに言われてしてたんでしょ?』
「うっ……」
『はぁ、図星かい』
呆れるようなため息が耳に重く入ってきたが気にしない。
こんなことは毎度のこと。
母からは言われ慣れている。
『夏も冬も帰省しないで彼女でも出来た?』
「彼女、彼女ね……」
『空に出来るわけないか! あはははっ!』
「……」
相変わらず失礼な母である。
でも、彼女がいない以上は何も言えない。
まぁ彼女が出来たら出来たで色々聞いてくると思うから面倒なんだけど。
いつか胸を張って自慢気に紹介してやろうとは思う。
『あ、水心ちゃんとは出会った?』
「うん、ついさっき」
『おせちどうだった?』
「美味かったよ。筑前煮も母さんの味だったし」
『そーれーはー良かったわね!』
「なんか怒ってる?」
『別に~。これで! 私の筑前煮を食べに来なくてもいいわね。水心ちゃんがいるもんね、水心ちゃんが!』
なんか拗ねてる。
母が子供みたいに拗ねてる。
別に母の筑前煮はいらないとは一言も言ってないんだがな。
母的に水心の筑前煮はまだまだと言ってほしかったのだろう。
そしてやっぱり母のが一番と言わせたかったに違いない。
「水心のおせち料理は確かに美味かったが、母さんのに比べたらまだまだだよ」
『本当に?』
「ああ、母さんのには遠く及ばないよ」
こう言っておけばすぐに機嫌もよくなるだろう。
母との付き合いは僕が一番長い。
だから、一番母のことを分かっている。
扱いもお手の物だ。
「まだまだで悪かったわね!」
「み、水心……」
『水心ちゃんいるの!?』
「母さん、悪い。切る」
『え、なん――』
何でと言われてもそれは僕にしか分からない。
そう、この状況を目の前にしている僕にしか分からないことなのだ。
「星夜おばさんに比べればアタシなんかまだまだだよね~」
「あ、あれは母さんを落ち着かせるための言葉で――」
「いいの! そんなフォローは。言われなくても、アタシが一番アタシの今の実力を分かってるから」
「……」
「アタシ帰るね」
冷たい声音でそう言うと荷物を持つなり小走りで家を出て行った。
「はぁ……新年早々やらかした」
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