第46話

「……は?」

「もう一度、言いましょうか?」

「いや、聞こえたから」


 目的が……男にしてほしい。

 どうなってこんなことになった。


 本当に男性にしてほしいのか。

 それとも……隠語?

 隠語なら恐ろしい頼みだぞ、これ。


 でも、ネットに見たことがある。

 特殊な腐女子が男のケツに棒を突っ込むことによって、存在しない心の棒を立たせて童貞を卒業しようとすることを。

 僕は童貞より先に処女を失うというのか。

 おいおい、流石に勘弁だぞ。


「何をそんなに怯えているのです?」

「い、いや、別に。それより男にしてほしいってどういう意味?」

「そのままの意味です」


 どのままだよ。

 いっぱいあるから聞いてるっていうのに。


「そのまま?」

「はい。わざわざお風呂場に話し合っている時点で察してほしいものです」

「お風呂……場」


 お、お風呂場か。

 そうか、ここはお風呂場だ。

 僕たちは裸。それを意味するのはいつでも男にする状況が整っているということ。

 どこかに棒状のものを隠し持っているのか。

 湯船の中は透明じゃない。隠すのにはうってつけの場所。


 僕は息を呑み、真剣な眼差しでこちらを見つめる十南から少し距離を取る。


「なぜ距離を取るのです?」

「気にするな。それで何で僕なんだ?」

「伊東さんより男っぽいとと思ったからですよ」

「そ、そそそ、そんなことないんじゃないか?」


 まさか拓海とそういう関係でもあったとは……。

 付き合っている今が欲しかったというのはよく理解できないが、男らしい拓海を観察したかったというのは、拓海が棒に屈する姿を観察したかったという意味だったに違いない。

 なんて変態。プレイが高度すぎる。

 童貞の僕にはレベルが一個、否、六個ぐらい上。

 やられてしまった時にはトラウマになること間違いない。


「動揺するのも仕方ないですよね。いきなり男にしてほしいと言われれば、誰だってそうなるはずです。しかし、こんなことは北宮さん。あなたにしか頼めません」

「拓海に頼んだんじゃなかったのか?」

「言えませんよ。伊東さんでは満足する結果になりそうにないですからね」


 拓海に男にしてほしいまでは言えなかったってことか。

 拓海より僕の方が満足できそうだから乗り換えようとしてるってことだな。

 そのためにここまで準備してきたと思うと、その特殊性癖がますます怖くなってきた。

 水心の件を言ってきたのも、助ける手助けをする代わり男にしてほしいってことだろう。

 僕が断れないと分かっての頼み。

 頼みというより脅しに近い。


「断ったらどうする?」

「それは西園寺さんを見て見ぬふりをするということですか?」

「例えばの話だ」

「そのイフに何の意味があるのです? あなたは断れないのですからね」


 もし、なんてないんだ。

 全ての逃げ道を潰しに来られている。

 なんて恐ろしい。

 いや、じゃないとこんな特殊性癖を暴露出来ないもんな。

 当然と言えば当然なのかもしれない。

 だが、こちらとしては最悪の状況と言える。

 一体どうしたものか。


「僕より男っぽい人はこの世に山ほどいるだろ?」

「でも、今私の目の前にいるのはあなたです。こんなお願いが出来るのもあなただけです」

「痛いのは得意じゃない」

「それは皆そうでしょう」

「お、お尻の穴も弱い方だ。絶対に心に傷を負う……」

「……お尻の穴が弱い?」


 オーム返ししながら不思議そうな瞳で首を傾ける十南。


「ここまで来て知らないフリは無理だぞ?」

「どういうことでしょう?」

「はぁ? 十南は僕に男にしてほしいんだろ?」

「そうです」

「つまり、僕のお尻の穴に棒を突っ込んで、僕の処女を奪いたいってことだろ?」

「……」


 十南は目を丸くし、ゆっくり湯船に顔を沈ませていく。

 真っ赤になった顔からは湯気が立ち上げ、目が上下左右に怖いぐらい泳いでいる。

 こんな十南はあのパンツ事件以来だ。


「……え? なんだよ、その反応……」

「私、そういう意味で言ったわけじゃないです。シンプルに……男性になりたいという意味で言いました」

「……うそ、だろ……」


 盛大な勘違い。

 鳥肌が立ち、鼓動が大きく跳ねる。

 感じたこともない羞恥心に一度、湯船に潜って落ち着く。

 何度も「死にたい」と呟きながらも、本当に死にそうになって顔をあげた。


「悪い。さっきから色々と予想外のことが多すぎて深読みしすぎた」


 目を逸らしながらも、早口でそう言うと、十南は「私も言い方が悪かったです。ごめんなさい」と震える声で謝る。

 数分の沈黙の後、僕は凍り付いた空気を変えるため口を開いた。


「それで男になりたいのか」

「は、はい」

「わざわざ僕に頼む必要あったか? 今の時代、男性が女性に、女性が男性になるなんて珍しくない」

「知っています。ですが、私はテントリーの一人娘。そうはいきません。私が男性になることを望もうが、父にバレれば反対されます。女性で産まれたい以上、十南の血を途絶えさせないために子供を産まなければなりませんからね」

「なるほどな」


 男になりたいが、父が許してはくれない。

 そうだとしても男になりたいから、僕に頼んで来たと。


「伊東さんを彼氏にしたのも、私が男性になりたいとバレないため。同時に男性になるために男性はどういう生き物か近くで観察するためでした」

「そういうことだったのかよ」


 やっと理解した。

 十南は男になる目的のために付き合っていたってわけだ。

 バレないようにしながらも至近距離で学ぶというのはよく考えられた作戦と言える。


「てか、血を途絶えさせないなら、テントリーチルドレンを利用すればいくらでもどうにかならないか?」

「それは絶対にダメです。テントリーチルドレンのメイド内に大きな格差が生まれることになります。十南がトップにいて、下にメイドという形だからこそ今の形を保てているのであって、それが崩れれば全てが崩壊することになるでしょう」

「それもそうか」

「はい。加えて、表では私が一人娘ということになっています。なので、他のテントリーチルドレンを後継者として選ぶことは不可能なのです。いきなり出て来た若者が大企業の社長を受け継ぐなんて、誰がどう見ても不可解ですからね」

「言われてみればそうだな」


 恐らく十南もある程度の抜け道は考えた後だろう。

 大企業の一人娘である以上、自分勝手な行動も出来ない。

 メイドやテントリーチルドレン、働く社員にも人生がある。

 それを理解しているからこそ、十南は悩みに悩んでいる。

 結果、血迷ったのか僕に頼んできているのだが。

 相当、追い込まれているといった感じだろう。

 家族や友達を含め、こんな相談は出来たもんじゃないからな。


「けど、やっぱり分からないな」

「何がです?」

「僕に頼んだ理由だよ。僕が十南の父親を黙らせるほどの力がないことは分かり切ってるだろ?」

「そうでしょうか?」

「そうだろ」


 一体、僕を何だと思っているのだろうか。

 特出した才能も、権力も、財力もない。

 だから、そんなに期待されても困る。


「あなたは気付いていないのですね」

「気付いてないも何も気付くものがないからな」

「いいえ、あなたの目の前にあるではないですか」


 僕の目の前。

 つまり、力とは……十南月。


「あなたは私という武器を持つことが出来る。それもそれも大きな大きな武器です」

「十南を使って脅せとでも? 僕に自殺しろと言っているようなものだぞ」

「脅せなど言ってません。私という武器があるのですから、あなたの素晴らしい頭を使って父から逃がしてほしい。そう言っているのですよ」

「僕の頭が素晴らしい? ふんっ、何バカなことを」


 勉強には自信がある。だからといって、権力と財力を持つ人間に敵うかは別。

 野球でプロになっても、サッカーでは素人なのと一緒。

 能力は使う場所によって、必要なものが変わってくる。

 学生時代の勉強と社会に出てからの勉強は全くの別物。

 その別物のトップに君臨するような人間に、僕がどうこう出来るわけがない。


「十南が思っているほど十南社長は弱くない」

「でも、あなたが思っている以上に、父はお金と権力に依存していますよ」

「それを逆手に取ってどうにかしろと?」

「それは私が考えることではありません。あなたが考えることです」


 全て僕に丸投げかよ。


「はぁ……そもそも僕に命懸けで自分を男にしてほしいって言ってることを理解してるのか?」

「理解していますが、あなたはそもそも西園寺さんを命懸けで助けなければいけない状況じゃないですか。そこに私の頼みが入ろうと変わりないでしょう」


 どうせ命を懸けるのだから一緒と言いたいのか。

 確かに一理あるが、命懸ける量を二倍にはしたくない。

 命は一個だというのに、二回死ぬ可能性があるとか意味不明すぎるだろ。


 とはいえ、まだ慌てる場面じゃない。

 完全に十南のペースだが、まだ僕にも考えがある。

 こんな滅茶苦茶な話を受けてたまるものか。


「十南、何か勘違いしてないか?」

「勘違いですか?」

「ああ。僕が水心を救うために命を懸ける必要なんてどこにもないだろ。水心を救うには拓海と別れさせれば済む話だ。そう難しいことじゃない」


 本当に難しいことではない。

 もちろん二股の件を知って水心を傷付けることにはなる。

 だがしかし、水心を失うよりかはよっぽどマシだ。


「アレだけ西園寺さんを傷付けることを躊躇っていた人の言葉とは思えませんね」

「あの時とは全く状況が違う。加えて時間がないからな」

「そうですね。ですが、本当に別れさせただけで救われるのでしょうか?」

「どういう意味だ?」

「犯人の目的が伊東さんと付き合った女性を全てこの世から消すという可能性だってあるということですよ」

「そこまでやる必要が考えられないな」

「私も可能性としては低いと思います。しかし、私――テントリーの一人娘を躊躇なく殺そうとする犯人です。何があるか分からないと思うのが普通だと思いますけど」


 その一言で如何に僕が未熟だったのか思い知らされた。

 犯人像を僕の中の普通を軸に考えていた。

 犯人の考えが分からない以上、どこまでの人間が殺害リスト範囲なのか分からないというのに。


 十南の言う通り拓海と付き合った女性が対象なのかもしれないし、僕が思うように現時点で拓海と付き合っている女性が対象かもしれない。もしくはもっと他のラインで考えられている可能性だって無きにしも非ずだ。


 一つ明確である十南という存在を平気で殺そうとした人物という点。

 ここを一つの軸として警戒心を強めるべきなのは間違いないと言える。

 本当に勘違いしていたのは僕の方だったのかもしれない。


「では、こうしましょう。頼みを受け入れてくれるのであれば、西園寺さんの件、私たちも協力を約束しましょう。私たちの協力があれば最愛の人を救える可能性は上がると言えますよ」

「……」


 少し圧のある声音に唇を強く結び。


 断れば、協力を望めないから水心が命を落とす可能性は上がるが、十南の父親を敵に回さないので僕が命を落とす可能性は下がる。

 受け入れれば、協力してもらえるから水心が命を落とす可能性は下がるが、十南の父親を敵に回すことになるので僕が命を落とす可能性は上がる。

 一見、究極の選択に見えるが、今の僕にはどう見ても一択にしか見えなかった。


「協力だけでは弱すぎる。もう一つ条件付き足してくれるなら受けてもいい」

「何でしょう?」

「絶対に水心を死なせないこと」

「そのような条件でいいなら構いません」

「じゃあ決まりだな」

「はい。よろしくお願いします」


 そうして決まった契約。

 僕たちは目を合わせて、力強い握手を交わす。


「分かっていると思うが死なせた時は、十南を含めて十南の関係者を全員殺すことも頭に入れておけよ」

「そのようなことはないので大丈夫です。その代わりあなたもしっかり頼んだこと、お願いしますよ」


 その時の十南の瞳は、少し普段よりも輝きを増しているような気がした。

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