第44話

「ま、眩しい……」


 カーテンの隙間から入ってくる光で目が覚めた。

 ぼやけた視界のままスマホを見ると時刻は午前6時51分。

 思った以上に早起きしてしまったようだ。


 昨晩は温泉から部屋に戻ると三人がトランプで遊んでいた。

 僕も加わり、午前1時頃まで遊んだ後、予定通りの形で睡眠。

 あのベッドを独占しての一晩は至福だった。


「ふあぁ」


 大きな欠伸しながら三人を確認。

 雫先輩は頭まで布団を被って丸まっている。

 あの二人はというと、綺麗に布団が畳まれていて姿はない。


 確か凪姉が波音の湯に入るとか言ってたか。

 十南もそれについて行った感じだろう。


 今日の昼で、このホテルともおさらば。

 折角、遠くまで旅行に来たんだから、最後に僕も湯に入るのもありだな。

 波音の湯は使われてしまっているが、昨日入った潮風の湯は空いているはずだ。


 雫先輩を起こさないようにゆっくりと準備してお風呂へ。


「小川さんはおられますか?」

「少々お待ちください」


 ホテルスタッフの言葉から数秒後、奥から小川さんが出てくる。


「おはようございます。私が小川です」

「木下と一緒に泊っているものなんですけど」

「あ、木下様のお連れ様ですね。どうかなされましたか?」

「昨日と同じく潮風の湯を使いたくて」

「承知致しました。では、案内――」

「あ、いいです。鍵だけいただければ」


 わざわざ案内されるのも面倒だ。

 それを察してくれた小川さんは「分かりました」と言い、鍵を僕に渡して「いってらっしゃいませ」と頭を下げた。


 流石、副総支配人。

 真面目でありながらも利用者の気持ちを理解し、柔軟な対応する判断は素晴らしい。

 新人ならマニュアル通りに案内してきただろうな。


「ねむ」


 鍵を回しながら鼻歌を歌っていると潮風の湯に到着。

 ドアプレートを反対にして鍵をあけて中へ。

 半分目を閉じながら服を脱ぎ、タオルで下半身を隠してお風呂に向かう。


 扉を開けた瞬間、潮風が体を襲い、鳥肌が立って股間が縮こんだ。

 男の体は不思議だと思いつつ、桶で湯をすくって体を流し、足からゆっくりと湯船に浸かる。


「あぁ……きもちいい」


 空気の寒さと湯の温かさのせいで湯気が凄い。

 だが、薄っすらと湯気の隙間から晴れ渡った空が見える。

 綺麗ではあるが昨日も見た景色。寝起きで眠いので瞼は下りてしまった。


「あの、死ぬ気ですか?」

「死ぬ勇気はないよ。ただ目を閉じてるだけ」

「そうですか。北宮さん」

「……えっ……」


 数秒、頭がフリーズした後、重い瞼をあけると、お風呂の端の方に人影が見える。

 僕はこの人物を知っている。

 だって、僕のことをと呼ぶのはこの世に一人しかいないのだから。


「な、何でいるんだよ……十南」


 そう、十南月。彼女だけだ。

 僕の声に返事はしないが、彼女は静かに立ち上がってこちらへ寄ってくる。

 そして体を隠していたタオルを躊躇なく外し、僕の横に腰を下ろした。


「何でと言われましても、私は最初からここにいましたので」

「こっちは男風呂――」

「ではないです。貸切のお風呂なんですから」


 そうだった。

 ここは貸切のお風呂。男風呂も女風呂もない。

 でも、こっちには鍵がかかっていた。

 鍵もないのにどうやって入ったというのだ。

 回らない頭で考えていると、彼女がそれを察したように口を開く。


「あなたは、私が隣の波音の湯にいると思っていたのではないでしょうか?」

「あ、ああ、凪姉と一緒に隣にいると思ってた」

「そんな怯えた顔しないでください。驚かしたことは謝ります」


 そう言いながら、こちらを向いて頭を一度下げる。


「て、てか、どうやって入ったんだよ。鍵がかかってたはずだろ?」

「鍵はかかってました。オートロックですからね」

「それは知ってる。どうやって入ったかを聞いてるんだ」

「簡単なことです。波音の湯と潮風の湯の鍵が同じだから入ってこれた。それだけのことですよ」


 確かに簡単な方法ではあるが、知っていないと開けることは不可能だ。

 ずっと誰かと行動を一緒にしていた十南にそれを確認する暇などなかった。

 社長である父の力を借りれば出来なくもないとも思ったが、このためだけに頼むとは考え辛い。


「そんなことよく知ってたな」

「はい。昨日確認しましたから」

「昨日?」

「昨日、最後にこのお風呂を出た人を覚えていないのですか?」


 昨日のお風呂。

 最初に出たのは雫先輩。写真のデータを整理するためだったか。

 二番目は僕と凪姉。セクハラ行為をされたから記憶に残っている。

 言われて気付いたが、最後に出たのは十南だった。


「十南か。もしかして、その時に確認したのか」

「そうです」


 計画的だ。

 僕が来る確証などなかったというのに、昨日からこうなることを狙っていたのか。

 何て恐ろしい。湯船に浸かってるのに寒気がする。


「悪い、僕はもうあがる――」

「待ってください!」


 背中を向けて立ち上がり、その場から逃げようと試みるも、十南に腕を掴まれた。


「離してくれ。カップルでもない男女が一緒にお風呂なんか入るもんじゃない」

「私は構いません」

「僕が構う。それに何がしたいんだよ」

「話です」

「そんなことはどこでも出来るだろ」

「出来ません」

「なんで?」


 十南はその問いに対して一呼吸入れてからゆっくり答える。


「ここであなたにしか出来ない重要な話だからです」


 真面目な声音。

 ここまで計画的に場を作り出し、重要な話を僕にしようとしている。

 それだけで只事じゃないと僕でも分かった。


「はぁ、どうでもいい話だったら出るからな」

「はい、ありがとうございます」


 腕を離され、僕は湯船に戻る。


「それで重要な話って何だ?」

「あなたはいつまで伊東さんを野放しにしておくつもりですか?」

「ど、どういう意味だよ」

「私が気付いていないとでも思っていたのですか?」


 まだ何のことかは分からない。

 だから、失言を防ぐために口を閉じたが、十南は「全て知っています」と言いながら独り言のように話を続ける。


「伊東さんが二股してることなんて、付き合った二週間後には気付いてました」

「じゃあ、何で別れなかったんだ!」

「なぜ私に怒りをぶつけているのです?」

「それは……」


 十南がいるせいで、水心が嫌な思いをするかもしれないじゃないか。

 なんて口が裂けても言えなかった。

 悪いのは彼女ではない。

 拓海だ。


「悪い、つい熱くなった」

「構いません」

「でも、何で別れないんだよ」

「そうですね、シンプルに言うとその必要がなかったからですかね」

「必要がなかった?」

「はい」


 僕の頭の中は?で溢れかえっていた。

 二股されても別れる必要がない理由。

 そんなものは常人の僕に浮かびもしない。


「そう難しい顔をして考えることでもありません。ただ私が伊東さんと好きで付き合ったわけではない。それだけのことなのですよ」

「好きではない?」

「はい。私にとって必要であったから付き合ったと考えてください」


 好きじゃないけど、必要だから付き合った。

 何を言ってるんだ、彼女は。


「分からないな。拓海の何が必要だった?」

「私が必要としたものは二つです。一つは男性と付き合っているというが欲しかったから。もう一つはを男性らしい伊東さんを近くでしたかったから」


 思っていた以上に大した理由ではなかった。

 それなら拓海じゃなくても良かったと思ってしまう、否、実際に拓海じゃなくても良かっただろう。

 こんな理由で付き合って、真剣に付き合っている水心が可哀想で仕方がない。


「その理由なら拓海以外でも務まっただろ……何で拓海なんだよ。男なんか世界に何十億人もいるっていうのにさ」

「あなたが言う通り代わりになる男性は探せばいるでしょう。しかし、タイミングよく互いを求め合ったのが伊東さんだったのです」

「何が求め合っただ。拓海はさっきのこと知ってるのか?」

「知らないでしょうね」

「じゃあ、十南から好かれてるって思ってることか?」

「それはどうでしょうか。伊東さんも私をお金として必要としてましたから」

「な、何ふざけたことを」

「ふざけたことなど一切言っておりません。伊東さんは私ではなく、私のお金を必要としていることは事実です」

「た、拓海がお金を……」

「はい、付き合ったきっかけも伊東さんが私にお金を求め、私がそれに対して付き合ってくれるならと条件を出して成立したのですからね。もちろん当時は西園寺さんの存在は知りませんでしたよ」

「……は?」


 思わず変な声で出た。

 待て待て待て、一旦落ち着こう。

 十南の話をまとめると、十南と拓海は付き合ってるけど好きという感情はないってことだよな。

 拓海は十南のお金を必要とし、十南は拓海との関係及び観察材料が欲しかった。


 そんなふざけた関係があるなんて信じられない。

 いや、信じたくない。

 でも、水心は拓海からドレスを買ってもらったり、水族館やイルミネーションなどに連れて行ってもらっている。それは恐らく、いや、間違いなく十南が渡しているお金だ。


 バンドしている大学生が、彼女にデートの度にお金を払うなんて不可能。

 大学生は嫌でもお金がかかる。バイトしていたとしても金銭的余裕を持つのは簡単ではない。

 もしかしたら拓海は水心のために、こんな関係になってしまったのかもしれない。

 だとしても、許せるわけではないが。


「今の話は本当なのか?」

「はい、本当です。嘘と思うなら、軽くイチャイチャを演じ合ったLINEの履歴、それでも信じられないなら伊東さんの口座に入金するところを見せてあげますよ」

「あーもういい。分かったからそんなものは見せないでくれ」

「信じてくれるのですね」

「信じないけど見ない」

「では、信じてもらうために見せます」

「わ、分かった。信じるから」


 とりあえずそう言い、十南を落ち着かせる。

 自然とため息が漏れ、どっと疲れが襲ってきた。

 信じ難い話をこうも連続で聞かされたら、誰だって今の僕のように三歳は老けるもんだ。


「何で疲れているのですか?」

「十南のせいだ!」


 私、何にも分からな~い!みたいに首を傾げる十南。

 一発叩きたい。本当にデコピンでもいいから叩きたい。

 そんな気持ちも知らないで、彼女は小さな口を開けて白い息を吐いている。


 少し冷静すぎる姿にイラッとしたが何とか我慢。

 一度、僕は頭を冷やすために顔を湯船に突っ込み、冷静な頭で話を整理する。


「それで結局のところ、僕に何を言いたい?」

「最初に言ったではありませんか」

「拓海をいつまで野放しにしてるだっけか。なぜ僕にそんなことを聞く?」

「それはあなたの好きな人のためですよ」

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