第42話
卓球の後はゲームセンターで遊び尽くした僕たちは、二日目の夕食を終えて今から温泉に行こうとしていた。
「雫ちゃん、わたしたちは先に温泉言っておくからねぇ~」
「分かった。すぐ行く~」
「鍵は持っていっておくよぉ?」
「おけおけ」
それを聞いた二人は必要なものを持って部屋を後にする。
残った雫先輩はというと現在はパソコンで作業中。
カメラのデータチェックの続きをしているらしい。
わざわざ旅行中にやらなくてもいいと思うが、何かと忙しそうなので口出しはしない。
「はぁ、つっかれた……」
重いため息が聞こえ、続けて『んっ~』という伸びをする声、ボキボキと背骨や間接が室内に響く。
誰もいないと思っているのか気の抜けた声だ。
油断とは珍しいが、一人でゆっくりしたい時もあるだろう。
ずっと気を張っていたら、想像以上にしんどいからな。
そんなリラックスタイムに申し訳ないが、僕はまだ部屋にいる。
かれこれ一時間近くトイレにいるなんて思ってもいないはずだから、雫先輩の脳内では温泉に行っていることになっているはずだ。
作戦通りではあるが、雫先輩がすぐに温泉へ行かなかったのは想定外。
予定では今頃、溜まっていたものを出して賢者になっているはずだったのに。
もう少しの辛抱である。
「あ、時間か」
お、行くのか。
そう思ったが、誰かに電話をかけ始めた。
長引く状況になることが決定し、思わず肩を落とす。
「やっほやほ、そっちはどう?」
「こっちは無事に今日の尾行が終わったところ」
「そう、お疲れ様」
「お姉ちゃんもお疲れ」
スピーカーにしているらしく、電話の音がしっかり聞こえる。
相手は雫先輩の妹のようだ。
低めの声で少し冷たさを感じ声音。聞き覚えはない。
「それで
名前は翠と言うようだ。
どこかで聞いたことある名だが今は思い出せそうにない。
「今日は昼から初詣で行ってたよ、あの二人、いや、五人かな」
「五人って?」
「昨日いたメンバーと同じ。西園寺とその父と母、拓海君、北宮の母の五人」
「……は?……」
思わず声を出さずにはいられなかった。
恐らくベッド近くにいる雫先輩には聞こえてない。
だが、動揺は収まらない。
だって、そうだろ?
翠は言った、尾行してると。
その尾行相手が、まさか僕の知る人たちとは思いしなかったのだから当然だ。
「折角の初詣デートなのに、家族連れとは意外だね~」
「それはうちも思った。普通は二人で行きたいもんね」
「もう家族と仲良くなったとか?」
「どうかな。拓海君はまだ緊張気味だったけど」
「ふーん」
今の話を聞く限り、本当にガッツリ尾行していることが分かる。
嘘をついている可能性もなくもないが、この状況で嘘をつく意味もない。
だとすれば、僕は今凄いことを聞いていることになるわけだが、バレればどうなるかは分からない。
偶然居合わせたとしても、間違いなく雫先輩は他人には聞かせなくない話のはずだからな。
「拓海とあの女の進展はどうなの?」
「特にない。手も繋いでないし、スキンシップもゼロに近い。車の中までは見てないけど、家族がいる前でイチャイチャはしないと思う」
「そう。ならいいけどさ、もしウチの拓海に何かあれば、どんな手を使っても止めるのよ」
「分かってる。だから、尾行してるし」
どういうことだ?
雫先輩の拓海?
意味が分からない。
昼間、雫先輩には彼氏がいるとも言っていた。
拓海が三股という可能性は無きにしも非ずだが、雫先輩は拓海の二股を知っているわけだがら有り得ない。復讐に動いている線もあるが、僕に手を出させなかった。
自分の手を汚さずに復讐出来るチャンスを使わなかったと考えれば、復讐する気はないはずだし、そもそも復讐の二文字も無さそうだ。
でも、手を出されるのは嫌がっているみたい。
そうなってくると何が目的か。
ウチの拓海という言葉の意味も気になるところである。
「で、お姉ちゃんの方はどうだったの?」
「失敗だよ。邪魔が入ってね」
「へー、一人消すチャンスだったのに」
「そう上手くいかないもんよ。お金持ちのお嬢様だと尚更」
「そういうものかな」
「そういうもんよ」
お金持ちのお嬢様って十南のことだよな。
一人消すチャンスって……まさか、あの事故を仕掛けたのは。
いや、考えすぎか。決定的な発言が一言もない以上は決めつけはよくない。
だけど、もし僕が想像している通りだったら……ダメだ、考えれば考えるほどその方向に行ってしまう。
もう深く考えるのは止めた方が良さそうだ。
「あ、そう言えばさ、何かいい情報はないの?」
「何いい情報って?」
「前言ってたでしょ? 頼まれたって」
「あー、北宮君だっけ?」
「そうそう」
いきなり僕の名前があがり、体を小さくだが跳ねる。
一体、何の話題だろうか。
とても気になるが、これまでの話を聞いて怖くもある。
「拓海君の情報か。あるにはあるけど、大したものはないかな」
「とりあえず教えて、ウチも気になるし」
この子が雫先輩が情報を得ていた『とある人』だったか。
情報屋の正体がこのような形で分かるとは思ってもいなかったが、こちらとしては嬉しい誤算である。
少しでも謎の多い雫先輩の情報を得るに越したことはないからな。
「お姉ちゃんは知ってると思うけどさ、拓海君って爪を噛むじゃん?」
「だね。翠、前に噛むの止めたって言ってなかった?」
「それがここ最近また再発したみたいで」
「へー」
「西園寺が以前みたいに注意してるみたいだけど、やっぱり厳しいみたいだね」
初めて聞く話だ。
あの爽やかな拓海が爪を噛むなんて想像がつかない。
加えて、水心に注意されてるとかダサすぎる。
僕が知っている拓海は美化された姿だったようだ。
「つまり、最近は拓海の中で人生は上手くいってないと」
「そうなるね。不安や緊張、他にも色々あるのかも。だいぶストレス溜まってる感じだった」
「ウチからすれば好都合だけどね、ふふっ」
二人が言うには、拓海が爪を噛むのはストレス。
やはり二股をするのは精神的に辛い部分があるのだろうか。
それならさっさと別れればいい話なのだが、別れないということは、もしかしたらストレスの原因は他のものなのかもしれない。
「何だか嬉しそうだね」
「そらいいこと聞けたし」
「これをいいことと思うのはお姉ちゃんぐらいでしょ」
「そう? 多分、ソラちんも聞けば喜びそうだけど」
「そ。別に興味ないし、聞かせるなら聞かせたら」
「はいはーい。じゃ、そろそろ切るね」
「うん、また」
「またね~」
電話を切り、雫先輩は声を出して伸びをする。
鼻歌を奏で立ち上がると、温泉に行く準備を始めた。
「あっちはいい感じに進んでるし、こっちも動こうかな~」
とても楽しそうな独り言が聞こえ、足音がこちらへ近づいていく。
トイレの前を通り抜け、玄関で靴を履くなり部屋を後にした。
「はぁ……」
それを確認して大きなため息を一つ。
ずっと息をしていたはずなのに、やっと体に酸素が入った感じがしてほっとする。
体の力も抜け、ゆっくりと立ち上がりトイレの外へ。
数分前まではムラムラしてたのに、今はそれどころじゃない。
あの話を聞けば、誰でも性欲なんて飛んでいくだろう。
頭にあった七割のピンクは今はもう一割ほど。
完全に萎えた。
「とりあえず潮風で頭を冷やしに行く、か」
数分、ダラダラと部屋で過ごし、予めまとめておいた着替えを持つ。
怪しまれないように隠しておいた靴を履き、周りを警戒しながら温泉に向かった。
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