第38話
朝食を食べ終わり、現在は部屋でリラックス中。
ベッドでダラダラしたり荷物を片付けるなど、みんな自由に過ごしている。
さっきまでは今日の予定を軽く話し合っていたが、それもまとまって今は外出の準備中ってところだ。
「雫先輩って香水とか付けるんですね」
「そんな意外でもないでしょ」
「まぁ付けることに関しては」
「どういう意味かな?」
「思ったより控えめな匂いだなと思っただけです」
「あーそういうこと。この香水はね、彼氏から貰ったもの」
「え!?」
唐突な発表に声をあげてしまった。
その反応に雫先輩は少し睨み、不満そうな表情を見せる。
「ウチがいつ彼氏いないって言った?」
「い、言ってないです。ごめんなさい」
「ぷっ、怒ってないって! ソラちん信じやすすぎでしょ~」
「も~、焦りましたよ」
「ごめんごめん。それよりそろそろ出発しよっか」
現時刻は午前10時半すぎ。
四人とも準備完了。
鍵を忘れずに部屋を後にし、ホテル内を回り始める。
具体的な目的地は二つ。
屋外のチャペルと展望台のある屋上だ。
先に向かうのはチャペル。
エレベーターで客室エリアからそこそこ人がいる一階へ。
「あっ、卓球台だぁ!」
「こっちにはゲームセンターがありますよ!」
「二人とも今はやらないからね~」
優しい声音で雫先輩にそう言われ、僕と凪姉は肩を落とす。
「ソラちんがテンション上げるなんて珍しいね。ゲームとか好きなの?」
「いや、僕は好きじゃないです。水心が好きだったので、つい……」
「あーそういうこと」
「はい」
旅行でホテルに泊まった時は水心とゲームセンターで遊ぶのが定番だった。
だから、今も自然に水心を誘うような感じでゲームセンターを指差してしまったのだ。
無意識で水心を誘おうとしたのはなかなか重症な気もしなくもない。
でも、逆に言えば、それほど楽しかったイメージがあるということなんだろう。
後はホテルという非日常で、唯一ゲームセンターだけが二人っきりになれる時間だったことも思い出深い理由の一つに違いない。
本当に思い出すだけで心がドキドキする。
「何にニヤケてるの?」
「いや、別にニヤケてないです」
「流石に無理があるよ」
知らない間に頬が緩んでいたようだ。
全くこれだから水心との記憶は恐ろしい。
「雫ちゃん卓球やらないのぉ?」
「今はダーメ。やるとしても午後に時間余ったらね~」
「むぅ、分かったぁ」
「ソラちんもゲームセンターは後からね」
「べ、別に僕はしたいなんて一言も言ってませんよ」
「あっそ」
軽く一階を見回ること数分、軽い階段を上り、ホテル用スリッパから外靴に履き替える。
もう外はすっかり明るい。
天気にも恵まれて、青空に浮く雲の隙間から太陽が輝いていた。
とはいえ季節が冬であることに変わりはない。
近くに海があることもあって寒い風が体を襲ってくる。
「寒いです」
「ルナちんには防寒対策バッチリさせたでしょ~」
「それでも寒いのです」
誰もが思っていることをずっと静かだった十南が口にする。
一番暖かい恰好をしているのに何を言っているんだという感じだ。
十南も撮影予定だったが、見ての通り見学者へ変更となっている。
防寒対策させてくれないなら外には絶対に行きませんと駄々をこねたので、雫先輩が唸りながら頭を悩ませ、色々と取引をするも実らず、首を縦に振ってこうなった。
「ここ海近いのにプールもあるんですね」
「そそ、小さな子供がいる家族連れにはこっちの方が安全だし。ほら見て、深さも大したことないでしょ?」
「確かに浅いです。滑り台が付いてるキッズ用プールもありますね」
大学生には物足りなそうだが、冬はやってないようで少し汚れている。
屋外に設置されているから手入れも大変なんだろう。
「冬も使えたら良かったのにぃ!」
「それはショタをおっぱいで釣れなくて残念ってこと?」
「もぉ~違うよ、雫ちゃん! 後ぉ、ショタじゃなくて少年だからぁ!」
「はいはい、分かったから叩かないでよ~」
「むぅ~」
何やかや仲良しだと思いつつ、一歩下がって十南の隣に並ぶ。
元気な先輩たちと違い、こちらはブルブルと震えている。見慣れた光景だ。
特に喋ることもなく、プールを通り抜けて目的地に到着した。
「これがチャペルかぁ。真っ白で夢の国の世界みたいぃ~」
「綺麗だよね。でも、ナギちんが一生使うことがない場所だよ~」
「ちょ、雫ちゃん酷いよぉ! 絶対に使えるもん!」
「あはははは……冗談冗談。それに今日は特別に中入れるから安心して」
そう言うとポケットから鍵を取り出し、ゆっくりとチャペルの扉を開く。
「うわぁ~、天井たかーいぃ! 椅子が結婚式のやつだぁ! 景色も凄いよぉ!」
「騒ぎすぎでしょ」
「だってぇ、だってぇ、だってぇ! 結婚式場は女の子の憧れの場所だもん!」
「……ショタコンが女の子って……」
「雫ちゃん何か言ったぁ?」
「いや、何も~」
圧のある凪姉の声音を軽く流し、近くの椅子に座る雫先輩。
カメラを覗きながら撮影の準備を始める。
その間、僕たちはチャペル内を歩き眺めて堪能することに。
初めてチャペルに入ったが、別世界に来たかと思うぐらい雰囲気が独特。
一歩踏み入れた瞬間、日常を非日常に生まれ変わった。
壁や天井、椅子など全て純白に包まれており、それらをオレンジの明かりが照らしている。
天井は高く、一番上には鐘。
牧師が立つ場所である
そこからは静かな海と薄っすらと島が見える。
とても幻想的でロマンティックな景色だ。
「はぁ、暖かくないです」
「チャペルに物理的な熱を求めるなよ」
「屋内だからと期待したのが間違いでした」
「間違いはそこじゃないと思うぞ。というか十南はこういうの興味ないのか?」
「興味ないです。結婚出来るとは思ってないので」
体を震えさせながらも十南はハッキリそう言った。
拓海という彼氏がいるのにも関わらず、この発言は予想外である。
どういうつもりで言ったか分からない。
でも、声音を聞く限りそれ確信していることだけは間違いなさそうだ。
「そ、それはないだろ。十南は可愛いし」
「お世辞ありがとうございます」
「別にお世辞じゃないけど」
「そうですか」
それだけ言って、椅子に座るなりダンゴムシのように丸まる。
一体、何をしにきたんだと思うが、親のようにあーだこーだ言うつもりはない。
「そろそろ撮ろっか」
「はーいぃ!」
完全に雫先輩は撮影モード。
今朝と同じ真剣な表情をしている。
正直、この顔見ると嫌な思い出がフラッシュバックしてくるが気にしても仕方ない。
切り替えてモデルした方がいいだろう。
「それでどんな感じに撮るんですか?」
「今回はね、折角チャペルを使用出来るから二人には結婚式の新郎新婦を演じてもらおうと思うの!」
「いやぁ~ん! わたしが空ちゃんのお嫁さんかぁ~」
「……」
撮影内容を耳にし、言葉を失う。
いくらモデルの撮影とはいえ、好意のない相手と結婚式するのはノリ気にはなれない。
やはり最初で最後の結婚式は好きな人としたいものだ。
もちろん人によっては二回、三回する人もいるが、僕が結婚式を行う相手はもう決まっている。そしてそれは凪姉ではない。
「ソラちんは嫌?」
「そ、そうですね。まぁ何と言いますか……」
今までならすぐに嫌と言えただろう。
だが、今朝のことが頭を過り、口には出来なかった。
結局、断れないのは知っている。
なら抵抗しない方が賢い。
あくまでも演技と考えれば、乗り切れなくもないはずだ。
「その顔は相当だね。まぁ今回は休んでてもいいよ」
「えっ?」
「今朝と違って、あっさり受け入れるんだーって思った?」
「は、はい」
その返事を聞いて、苦笑する雫先輩。
ゆっくりと足を組んで口を開く。
「さっきのはウチのブランドのホームページに載せる用とか色々と重要な撮影だったの。でも、今回はホテル用の軽い撮影だからナギちん一人でも大丈夫って感じ」
「なるほど。仕事内容で分けてるんですね」
「そそ。それに元々この撮影はナギちん単体予定だったし」
「そうなんですか?」
「チャペルの場はジェンダーレスを世界に見せつける絶好の機会だしね〜」
そういうことならお言葉に甘えさせてもらうが、相変わらずのプロ意識は尊敬する。
ジェンダーレス問題に対してファッションを使い、向き合う姿はカッコいい。
にしても、世界に見せつけるは大きく出過ぎだ。
日本で有名と言えるほどじゃないホテルで、ジェンダーレスを見せつけても効果は大したことないだろう。
「えぇ~、わたしと空ちゃんの結婚式じゃなくなるのぉ! ヤダぁヤダぁヤダぁ!」
「最初からそんなものは存在しなかった」
「存在したもん! まずわたし一人で新郎新婦出来ないよぉ〜」
確かにその通り。
と、昨日の僕なら言っていたに違いない。
でも、今朝の撮影を見てしまったら、一人で新郎新婦を出来ないとは思えなかった。
凪姉は自分を色々な顔で表現する力に長けている。
おっとりしたお姉さん、色気のある大人の女性、カッコイイ系の女性。
顔と体、服装も同じなのに、この三つの顔を使い分けるなんて普通は出来ない。
それを難なくこなしてしまうのだ。
新郎新婦すら一人で表現してしまうだろう。
「そこはナギちんのモデルとしての腕の見せどころでしょ!」
「おっぱいどうするのぉ!」
「おっぱいは問題ない!」
「むぅ〜、何かご褒美がほしいぃ!」
「給料+ご褒美って……贅沢なやつめ」
「あっ、明日の朝風呂は一人で波音の湯に浸かりたいなぁ~」
「はぁ、はいはい。小川さんに言っとくね」
交渉成立ということで、凪姉は満足気にニコニコしている。
一方、雫先輩はスマホで時間を確認するなりカメラを構えた。
「じゃあ始めるよぉ、ナギちんの最初で最後のチャペル撮影!」
「もぉ~最初で最後じゃないもん!」
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