第36話

「二人とも遅いよぉ!」

「ごめんごめん、ちょっと話し込んじゃってさ」

「別にいいけどぉ、こっちの気持ちも考えてよぉ~」


 貸切風呂は木材で出来た和風のお風呂。

 そのお風呂の縁に二人は腰を下ろし、両手で体を抱え込んで足を湯船につけていた。

 寒いのが苦手な十南は固まってピクリとも動かない。

 浴衣と下着で約20分、潮風が吹く露天風呂にいたらこうもなる。

 なぜ脱衣所に戻ってこなかったか分からないが、とりあえず生きているか確認しにいく。


「大丈夫か?」

「いえ、だだだ、大丈夫ではありません。ぜ、ぜぜぜ、全身の感覚が無くなりました。いま、今すぐにでも湯船に浸かりたいです」


 顔を上げずガタガタと震えながら、そう言うも今からモデルの仕事だ。

 湯船に浸かるのは撮影の後にすべきだろう。

 今は我慢してもらうしかない。


「気持ちは分からなくもないが浸かるのは後からだ」

「……」

「はぁ、雫先輩ちょっといいですか?」

「なーに?」

「撮影の順番が決まってないなら十南からでもいいですか?」

「うん、いいよ。でも、全て撮影が終わらないと湯船には入れないからね~」


 話が聞こえていたのかそれだけ言い、カメラの最終チェックをする雫先輩。

 隣にいた凪姉もそれを聞くなり、湯船から上がって濡れた足を持ってきていたタオルで拭き始めた。


「話は聞いてたか?」

「は、はい。準備は出来てます」

「どこがだよ。湯船から動く気ないだろ」

「動く気はあります。ただ……動けないのです」


 本当に自分から動く気はないようで、体を動かすどころか顔すら微動だにしない。

 これはダメだと思った僕は呆れながら十南の両脇を持って無理矢理湯船から出す。


「ほら自分で立て」

「足を、足を拭いてください。ははは、早く」

「僕は十南の執事になった覚えはないんだが……」


 小声で文句を言いつつも、ここまで十南を動けなくしたのは長々と喋り込んでいた僕の原因でもあるので仕方なく指示に従う。

 拭き終わった凪姉からタオルを借り、毛一本ないすべすべの足を包むように拭く。

 正直、自分でも何をしているんだろうと内心思っているが日の出まで時間はない。

 まだ太陽は顔を出していないものの、辺りは明るくなり始めていた。


「ソラちん、そろそろいける?」

「はい、大丈夫です」


 そう返事し、最後に十南の浴衣を綺麗に整える。


「見ての通りもう撮影が始まる。寒いと思うが頑張れよ」

「ありがとうございます」


 その言葉を聞くなり素早く離れ、雫先輩の後ろにいる凪姉に並んだ。

 何とか間に合い、ほっとしてため息を漏れる。


「わたしも空ちゃんに足拭いてほしかったなぁ~」

「嫌ですよ」

「なんでぇ。わたしの足は好みじゃないのぉ?」

「そう言うわけじゃないです。まず凪姉はお世話する必要ないでしょ」

「あるよぉ。トイレ一人で行けないもん!」

「何言ってるんですか。今朝も行ってましたよね?」

「今、行けなくなったぁ」

「あ、そうですか。じゃあ漏らしてください」

「空ちゃぁぁぁん!」


 バカなこと言うもんだから冷たくあしらった結果、叫びながら抱きついてきた。

 それを避けるように距離を取り、目を細めると横から眩しい光が差し込む。


「初日の出だよ~!」


 嬉しそうな雫先輩の声が耳に入り、視線を前に向けると海面から太陽が顔を出し始めていた。

 毎日、当たり前のように昇り沈む太陽だが、こうして昇る姿をまじまじと見ることもなかなかない。天気が良ければ、いつでも見れるというのに不思議な話だ。

 でも、この景色は元日という特別な日に見るからいいのかもしれない。


「綺麗……」

「うんうん、とっても綺麗だねぇ~」


 オレンジと白色が混ざり合ったような何とも表現が難しい色している。

 昼に見る太陽とは別物と思うぐらいには神々しく、息を呑み見惚れるのも無理はなかった。

 もちろん景色は綺麗だが、その前に立つ十南の姿も美しい。

 光と薄い湯気が交わることによって、ただ立っているだけなのに神秘的に見える。


「日が完全に出る前に三人終わらせたいからそのつもりでよろしくね~」


 雫先輩は綺麗の一言も口にせず、予定を言うなりカメラを構える。


「ルナちん顔を上向けて、ちょっと体をのけ反る感じで! あーいいね。うん、いいよいいよ!」


 本格的に撮影が始まった。

 さっきまで固まっていた十南もスイッチが入ったのか指示されたポーズを次々にこなしていく。スピーディーに適切なポーズを取る姿はモデルそのもの。

 一方、雫先輩は距離や角度を全身を使って動かし、慣れた手付きでシャッターを押している。

 普段のようなおふざけは一切なく、優しな声音で指示を送りながらポーズを褒め続ける姿はプロのカメラマン。本当にファッション対する本気度が伝わってくる。


「次は手で水をすくって、ウチの合図で真上に目掛けて投げよっか」


 もう撮影が始まって数分経つが、初めて見る撮影の光景に僕は瞬きを忘れていた。

 最初は美しさのあまり見惚れていたのだが、途中から自分も目の前のことをすると思うと、浴衣を美しく見せる動作を見逃してはいけない。そう思ったのだ。

 お金を貰う分、真剣に取り組むのは当たり前。

 それに緊張感のある雰囲気を目の当たりにして軽い気持ちではいられなかった。

 モデルへの意識を改めて光景を見守ること数分、あっという間に十南の撮影が終了。


「次はナギちんお願い!」

「は~い」


 変わらない声音で返事する凪姉は十南と場所を替わる。


「お疲れ」

「ありがとうございます」

「十南ってこういうの慣れてんだな。なんか意外」

「全然慣れてませんよ。モデル経験もあまりないですし」

「その割には無駄無く指示通りにしてたと思うけどな」

「指示されたポーズがそれほど難しくありませんでしたから。それに普段から女性として自分を綺麗に見せる努力はしているので、それが活かされたのだと思います」

「なるほど」


 美にこだわる女性だから自然に出来たということか。

 確かに十南はいつ見ても安定感がある。

 寝顔含めてだらしない姿は一度も見たことがない。


「私は少し水に濡れたので、脱衣所で一度拭いてきます」

「あ、ああ」


 僕の返事を聞く前に扉を開け、素早く脱衣所に駆け込んで行った。


「まずは横からね~」

「了解ぃ」


 すぐに撮影は再開される。

 太陽の昇るスピードを見れば、休憩してる暇などない。

 既に太陽は半分以上顔を出しており、完全に海面から出るまでそう時間はなさそうだ。

 予定通り三人を撮影出来るかは怪しいところである。


「もっと躍動感がほしいかな! そそ、いいね~」


 一番目に撮った十南とは違い、細かい指示が多い。

 それに文句一つ言わずに応える凪姉は流石である。


 凪姉はスタイルはもちろんだが、体の使い方がエロい。

 十分大きな胸やお尻を更に強調したり、手や足、顔の向きを考えて大人の雰囲気を醸し出している。短いながらも髪を活かし、躍動感を付けているのも凄い。

 水を使った演出も髪を濡らし、両手でバサッと散らすという大胆な方法。

 太陽の光が水に反射して薄紫色の髪は黄金に輝いていた。


「次は左肩を出して。えーっと、おっぱいは見せないようにお願いね」


 その指示に抵抗することなく、逆の手で胸を抑えながら肩を出してポーズを取る。

 時代劇の侍がやると色気はないが、女性である凪姉がやると色気ムンムン。

 というか胸が大きいこともあってヌードに近い。

 しかし、それを恥ずかし気もなく堂々とした姿で見せていたので興奮はしなかった。

 むしろカッコよく、普段のゆったりとしたイメージとのギャップが最高だった。


「次で最後! 帯をほどいて浴衣を大きく見せれる?」

「前からぁ? 後ろからぁ?」

「今回は両方ほしいかな。まず前で」

「分かったぁ」


 返事をするなり凪姉は出していた肩を戻して帯をほどいていく。

 その間も雫先輩はカメラのシャッター音を鳴らしていた。

 全ての動作が絵になるのだろう。


「やはりこちらは寒いですね」


 扉が開いたと思ったら険しい顔をして十南が立っていた。


「もう中にいなくていいのか?」

「大丈夫です。それに私もやることがあるので」


 軽く会話すると隣には並ばず、桶を持って湯船の方へ。

 浴衣を着たまま湯船に入り、狂ったように桶で水を掬って真上にバラまき始める。

 寒さのあまり壊れてしまったのかと思ったが、雫先輩は注意しない。

 それどころか「もっともっと」と声をかけていた。

 数秒して何かに満足した雫先輩は頷き、一度カメラを覗くのを止める。


「ナギちん準備オッケー?」

「オッケーだよぉ!」

「よ~し! ナギちん最後バッチリ決めよっか!」

「任せておいてぇ!」


 一度、深呼吸する凪姉。

 帯のない浴衣の襟を持ち、勢い良く両手を斜め上に開く。

 その瞬間、目に入ってきたものは裸体。

 下着も何もない産まれたままの姿。

 ハリのある胸に引き締まったお腹、むっちりとした脚。

 それと胸の大きさにしては小さな突起物と整えられた下の毛。

 これには下半身が熱を帯び始める。


「え、ちょ! な、ななな、何で裸になってるんですか!?」

「び、びっくりした。ソラちん急に叫ばないでよ」

「でも、凪姉が……」

「こんなのAVでよく見るでしょ?」


 否定はできない。

 だとしても、やはり画面越しと生では破壊力が違う。

 それに知り合いのものとなると感じ方も変わってくるものだ。


「あーナギちんはそのままね。ルナちんもう少し湯気を立たせて」

「はい、分かりました」


 風に乗った湯気が胸元と下半身を隠すが、それも一瞬。

 だが、雫先輩はその一瞬を狙っているのかシャッターを止めない。

 それどころか連写している。


「一応言っとくけどね、ちゃんと目的があってこの姿で撮ってるから」

「も、目的って?」

「この浴衣の内側の素材って見て分かる通りもふもふしてるでしょ。ボアっていう素材を使ってるんだけどさ、これを見てほしくてこういう撮り方してるの」

「そうだったんですね。ですが、何で下着を着けてないんですか?」


 その説明はしてもらわないといけない。

 浴衣のボアを目的とした撮影なら下着を着けていても問題はなかった。

 それどころか下着をファッションの一部として見せることも出来たはずだ。


 敢えて裸で撮っているということも考え辛い。

 わざわざ十南を使って濃い湯気を発生させ、デリケートゾーンを隠すように撮影してる時点でないと言える。

 だとすれば、一体何が目的で裸なのか。


「いや、何言ってんの? 普段からナギちんはノーパンノーブラじゃん」

「……え?」


 少し間を開け、何とか言葉を口にする。

 当たり前のようにそう言われたが、動揺せずにはいられなかった。


「だよね? ナギちん」

「うんっ! ブラはサイズ無くて苦しいしぃ、パンツは締め付け嫌いだからねぇ」

「マジで今更って感じ。ブラ付けてるかも分からないとかソラちんは童貞の中の童貞だね~。んー、おけ! じゃあ逆お願い。後、湯気ストップで」


 やっと目の前から裸体が消え、思わず息が漏れる。

 下半身の方はまだ落ち着かない。

 落ち着かないどころか凪姉がノーブラノーパンと知って、血が集まる勢いが増していた。


 でも、そうなるのも無理はない。

 だって、僕はずっと腕に胸――生乳を押し当てられていた上に、今朝は事故とはいえ大胆に胸を揉んだのだから。

 まだ掌には感覚が残っている。

 あの柔らかさが胸。女性の生の胸。

 そう考えると男として興奮を抑えるなんて出来なかった。


「よし! ナギちん終了。ラスト、ソラちん行こうか」

「ちょ、ちょっと無理かもです」

「どうしたの?ってもしかして……」


 僕が腰を曲げてタオルて股間を隠すのを見て頭を抱える。

 撮影が終わった凪姉は浴衣を着直し、帯を巻きながら心配そうに見つめていた。

 その中、十南だけが興味なさそうな表情で気持ち良さそうに肩まで湯船に浸かっていた。


「時間がないの! 分かってる?」

「分かってます。でも……」


 ――パンッ!


 カメラを持ってない手で頬を思いっ切りビンタされた。

 寒さも相まって針で刺されたように痛い。


「雫ちゃん!?」

「ナギちんは黙ってて」


 目の前に立つ雫先輩は眉間にしわを寄せていた。

 こんな顔は見たことがない。

 勧誘の時に胸倉を掴まれた圧力とはまた違う。

 完全な怒りだ。


「ウチ言ったよね? 今朝トイレで抜いていいって! わざわざ気を使って言ってあげたのに何で抜いてないの? 同室で恥ずかしかったの? それとも喘ぎ声が大きいの? 何?」

「こんな撮影するとか知らなかったですし」

「知ってたら抜いてたの?」

「……」


 知っていても抜いてはいない。

 まず家以外で抜く勇気などない。

 バレたら恥ずかしいどころじゃないからな。

 それとも僕のこの考え方が子供なんだろうか。


「そもそもファッションモデルをエロい目で見るな。これは仕事。服を良く見せる仕事なんだよ! 分かってんの?」

「わ、分かってます」

「なら何で服じゃなくて人に目を向けてんだ! それともなんだ? ウチがデザインした浴衣よりナギちんの乳の方が魅力的ってことか?」

「いえ、そんなことは……」

「あるから立ってんだろうがっ! こんなビンビンでよく否定出来たな」

「ご……ごめんなさい」


 何も言い返せないまま会話は終わる。

 ただただ刺激しない返事することしか出来なかった。


 男として女の裸が目の前にあったらどうしようもない。

 特別性欲が強いわけじゃない僕でもこうなるのだ。

 世の中の男はほとんどこうなる。特に童貞は。

 そんなことを言ったところで、女性である雫先輩には理解してもらえないだろう。

 逆に言い訳してると思われ、火に油を注ぐことになるに違いない。


「はぁ、とにかくウチが抜いてあげるから浴衣上げて」

「ちょ、何言ってんですか!?」

「この緊急時にまだ何か? それとも遅漏ちろうなの?」

「そそそ、そんなこと言いませんよ。というかもう萎えてますし」


 視界にあった裸は消え、ビンタを食らって目が覚めた。

 もう隠すものはない。


「ならさっさと撮るよ」

「はい」


 大きく深呼吸して足を進める。

 完全に太陽は顔を出してしまったが、まだまだ昇る途中だ。

 最後に僕を選んでいる時点で許容範囲だろう。


「よろしくお願いします!」

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