第35話

「じゃあ、僕はこっちなんで」

「ソラちん何言ってんの?」

「何言ってるのも何も男はこっちですし」


 用意が出来た僕たちは温泉前に到着。

 後は男女に別れて入るだけというのに、雫先輩に腕を掴まれて引き止められた。


「今から入るのは貸切のお風呂だよ?」

「き、聞いてないんですが」

「言ってないもん! サプラ〜イズ!」


 満面の笑みでピースを向けてくる雫先輩。

 その顔を睨みながら勢い良く手を払う。


「僕は普通の温泉に行きますから」

「それはダメだよ~」

「なぜです?」

「だって、わざわざ貸切のお風呂を借りた意味が無くなるじゃん?」

「三人で入ればいいでしょ」

「四人で入る必要があるから借りたの。分からないかな?」


 また腕を掴まれ、鋭い瞳を向けられる。

 さっきよりも力は強く、少し腕が痛いぐらいだ。

 絶対に離す気はない。絶対に逃がさない。

 そんな強い意志が伝わってくる。

 彼氏を飲み会に行かせないメンヘラ彼女かよと思いつつ、諦めた僕はため息をこぼして雫先輩の元へ。


「それで理由はなんですか?」

「ここでは話せないから先に中に入ろっか」


 そう言うなり雫先輩はホテルスタッフに話しかけ、ファイルに入った紙を見せる。

 すると、すぐに奥から別のベテラン女性ホテルスタッフが現れた。


わたくし、当ホテルの副総支配人をしております小川おがわと申します。本日から二日間、木下様の担当をさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」

「こちらこそよろしくお願いします」


 淡々と挨拶を交わす雫先輩を横目に、僕たち三人も軽く頭を下げる。


「それでは早速行きましょうか」


 日の出が迫ってることを理解しているようで、すぐさま小川さんは案内を始める。

 それに雫先輩が続き、僕を含めた三人も薄暗い廊下を歩き出した。


 それにしてもどうしたものか。

 渋々了承したものの貸切のお風呂ということは混浴に違いない。

 普通、男なら喜ぶところだろうが、今の僕は喜べそうになかった。


 今朝のこともあって溜まりに溜まっている。理性は抑えられるとはいえ体は正直だ。

 下半身に血が回る可能性は大いにある。

 一方で周りにいる女性三人は平気なのか慌てる様子一つない。

 慣れているのか、興味がないのか。それとも冷静を装っているのか。

 何にしろ立つものがないのは羨ましい。


「十南、昨日は大丈夫だったのか?」

「何のことですか?」

「凪姉にのぼせたと聞いたが」


 それを耳にした十南は後ろを歩く凪姉を見つめる。

 無言の圧力を感じたのか凪姉は「ごめんねぇ~」と苦笑していた。


「もしかして知られたのが恥ずかしかったのか?」

「別にそういうわけではありません。ただのぼせた理由も聞いたのかと思いまして」

「いや、理由は知らない。というかのぼせる理由って長風呂しかないだろ」

「確かにその通りですね。変なことを言いました。気にしないでください」


 気にしないでと言われれば気になるものだが、僕と会話を続ける気はないらしく、歩くスピードを落として後ろの凪姉に肩を並べる。

 チラっと見ると何かを話している様子だったが声が小さくて聞こえない。

 盗み聞きする趣味もないので、視線を下に落として重い足を進めた。


「皆さんは本当にお美しいですね」

「いえいえ、ウチはメイクのおかげですよ。それに今日の主役は後ろの三人なので」

「そうでしたか」

「はい、ウチはこっちの担当なんです」

「あーなるほど。水場ですので気を付けてくださいね」


 そんな小川と雫先輩の会話を耳にしながら歩くこと数分。

 目的地に着いたのか前を歩いていた雫先輩の足が止まる。

 いきなりのことでぶつかりかけたが何とか踏み止まった。


「こちらが貸切風呂の潮風の湯でございます」


 顔を上げると目の前には潮風の湯と大きく書かれた扉があり、その下には営業時間や料金、空室と書かれたドアプレートがかかっていた。


「それでこちらの扉なんですが、安全性を考慮してオートロックになっております。今から鍵をお渡ししますが、必ずお帰りになる際は中に忘れないにお願いいたします」


 そこだけ強調するように言うと、小川さんは雫先輩に鍵を渡す。

 恐らく中に忘れていく客が多いのだろう。


「では、私はこれで失礼します。何かありましたら中に設置してあります電話をお使いください」


 最後に小川さんは深々と頭を下げ、速足で来た道を戻っていた。

 それを確認して雫先輩は鍵を使い扉を開けて中へ。

 僕たち三人も続くように中に入り、持って来たものをカゴに入れる。

 脱衣所はそれほど広くないがトイレやドライヤーもあり、必要なものは完備されていた。


「あの……僕、一度トイレにいた方がいいですよね?」

「え、何で?」

「そら一緒に着替えるわけにもいきませんし」

「あー大丈夫大丈夫!」


 全く何が大丈夫か分からない。

 男女が一緒に着替えていいのは小学校低学年までだ。

 体も心も成長している大学生が男女混合で着替えるのは色々とまずい。


「とにかく着替えたら呼んでください」

「うん、着替えた!」

「は? 着替えてませんよね?」

「着替える必要ないからね~」

「いやいや、浴衣のままは流石にダメでしょ。タオルをお湯つけるのすら禁止なんですから」

「もちろんホテル側には許可を取ってあるよ~!」


 冗談かと思ったが他の二人の様子を見る限り本当のようだ。

 凪姉はバスタオルを用意すると、すぐにお風呂場に繋がる扉を開ける。


「ウチはちょっと準備あるからさ、みんなは中で景色でも見といてよ」

「浸かるのはダメなのぉ?」

「足を軽くならいいけど、他は濡らさないでね~」

「分かったぁ。あぁ、靴下ぁ!」


 凪姉は脱ぎ忘れていた白の靴下を脱ぎ、カゴに投げ込むとお風呂場に歩いて行く。

 それを真似て十南も湯気の中へ消えていった。


「ソラちんは行かないの?」

「寒いですし。それに色々と聞きたいことがあります」

「準備しながらでもいいなら答えてあげるよ」

「構いません」


 壁に背中を預け、立て掛けられた時計を一瞥。

 時刻は午前6時32分。日の出予定時刻は午前7時前なので少し時間はある。


「で、何が聞きたいの?」

「わざわざ浴衣を着てまで四人で一緒にお風呂に入る理由です」

「これだよ、こーれ!」


 そう言って自慢気に見せてきたものはカメラ。

 安物ではなく、本格的なカメラである。


「立派なカメラですね」

「でしょでしょ! 一眼レフカメラ! これでみんなを撮るの!」

「どういうことですか?」

「初仕事ってこと!」

「……えっ」


 一瞬、意味が理解できずに固まってしまったが、何となく聞いていた小川さんと雫先輩の会話を思い出して全てを理解した。

 初仕事。雫先輩から受ける仕事なんて一つしかない。

 そう、モデルだ。


「そんな顔しないでよね」

「急すぎて……というか服はどうするんですか?」

「これよ、今着てるじゃん!」

「浴衣ですか?」

「そう、ウチがデザインした浴衣でね。この伊良湖ビューティーフルホテルとのコラボ商品なんだよ~」

「す、凄いですね」


 本当に凄すぎて語彙力が低下しまった。

 最初にファッション関係の仕事をしてるとは聞いていたが、こんな大きなホテルとのコラボ商品をデザインしてるなんて想像以上だ。


「褒めても何も出ないからね!」


 頬を少し赤らめ、髪を手でくるくると回す雫先輩。

 何で急にツンデレみたいな発言と思いつつも、改めて脱衣所の鏡を使いながら浴衣を見てみることに。


 黒色を基調とした浴衣で、背中には大きな桜の木。そこから風に吹かれるように桜の花びらが浴衣全体に散らばっている。桜は様々なピンク色が使われており、何とも幻想的だ。


「ソラちん、ウチがデザインしたって聞いて興味持った感じ?」

「あ、はい。ファッションには興味ないので」

「そっか。もっと頑張らないとな~」

「でも、本当にオシャレだと思いますよ! 黒色だと桜のピンクが目立ちますし、桜の花びらが躍動感あって好きです」

「そ、そう」


 少し感想を言っただけどなのに、雫先輩は手をもじもじして照れている。

 ホテルとコラボする人の反応とは思えない。

 あまり褒められ慣れてないんだろうか。


「そうだ! こっちの白色の浴衣はどう?」


 雫先輩はパッと明るい笑顔を向け、自分の浴衣をくるっと回って見せてくる。

 実は浴衣は二種類ある。

 一つは僕が着ている黒色で桜が散っているもの。

 もう一つは白色を基調とした浴衣で黄色の菊が海の上に浮かんでいる浴衣だ。

 注目すべきは止まった水の上ではなく、波打つ海の上に浮かばせているところである。

 まるで、その光景は浮き輪に座る人間のよう。

 菊がゆったりとしている感じが伝わってきて心が落ち着く。


「白色に菊の花は明るさを感じますね。後は海の波に浮かべているところはいいなと思いました」

「そっかそっか。感想ありがとうね~」


 とても嬉しそうでニッコニコ。

 本当に服をデザインするのが好きなんだと分かる。

 普段もこれぐらい可愛い笑顔をしていればいいのにと心から思うが口には出さない。


「いえいえ。あまりファッションには詳しくないですが、じっくり見てみると意外と面白いですね」

「え!? ソラちんもこの面白さ分かっちゃう感じ?」

「はい、とても面白いです。僕の着ている浴衣は、黒色で落ち着きを表現して桜の動きで元気さや明るさを表現。逆に雫先輩が着ている浴衣は、白色で元気さや明るさを表現して菊を海の波に浮かべることでゆったりとした落ち着きを表現している。この二種類を見比べるだけでも深いと思いましたよ」

「……」


 僕の言葉を聞くなり雫先輩は固まった。

 じーっと僕の顔を口を開けながら見つめている。

 まるで、幽霊でも見るような表情だ。


「どうかしましたか?」

「今の数分でそれを読み取ったの?」

「え、はい。そうですが変でしたか?」


 それを聞いてなぜか下を向き、「ぷっ!」と吹き出して腹を抱えて笑い出す。


「あははははっ! ファッションに興味ないんじゃなかったのかよ~」

「興味ないですけど。てか、なんか笑われること言いました?」

「いや、別に。こっちの話だから気にしないで」

「そ、そうですか」


 よく分からないから気にしないでおく。

 笑い終わって話も落ち着くかと思ったがそんなことはなく、雫先輩は楽しくなったようでファッションの話を本格的にスタート。

 自分がデザインした浴衣について更に詳しく話し出した。


 この伊良湖ビューティーフルホテルのコラボでは、大人には白色と黒色の浴衣。

 子供には赤色、青色、黄色、緑色、桃色。それぞれ小さなアヒルを全身にバラまいたとか。

 色の表現は戦隊モノや少女戦士モノをイメージ。

 アヒルはシンプルにお風呂のイメージと可愛いからという理由で採用したと言っていた。


「そろそろ時間か~」

「ずっと喋っていたので忘れているかと思ってましたよ」

「ウチ、ファッションの話になると止まらないからね。特に自分の作品は熱が入っちゃうの」

「僕は良いと思いますよ。最高に楽しそうでしたし」

「最高に楽しかったし、今も楽しい!」


 太陽のような笑顔を見せ、雫先輩は僕の腕を引っ張る。

 それに逆らうことなく、僕たちはお風呂場に向かった。

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