第34話
息苦しさで目が覚めた。
「し、死ぬ……」
大きな何かが顔を覆っている。
柔らかくて懐かしさを感じるような不思議な感触。
ゆっくりと瞼を開けると近すぎて何も見えない。
息をするためにも、顔をその物体から離す。
「すぅ! はぁ、はぁ……」
一度しっかりと空気を吸って呼吸を整える。
数秒して少し落ち着いたので、目の前にあるものを確認するも真っ暗で何も見えない。
寝起きということもあって、視界もかなりぼやけている。
目が冴えるまで待つのも良かったが、頭が回っていない僕は触って確認することにした。
体の下敷きになっていない右手を顔の位置まで持っていき、目の前の物体をゆっくりと触る。軽く力を入れると指は沈んだ。
「柔らかい」
そんな言葉をこぼし、大きく柔らかな触り心地の良い物体を揉む。
何度も何度も何度も。
癖になるような感触に手を止めれずにはいられなかった。
「んっ……」
急に柔らかな物体が動き、頭上からは女性の声が聞こえる。
驚きのあまり手を光の速さで離し、口を抑えて息を止めた。
そして逃げるように物体から離れようとするが背中を何かに押され、物体に吸い寄せられる。
「マ、ママ行かないでぇ……」
「……凪姉……んっ!?」
思わず小声が漏れたが、また物体に顔を覆われる。
さっきほどのように顔を離そうとするもビクとも動かない。
このままでは死ぬと思い、パニックになりながらも何とか上を向く。
やっと空気を体に取り込み、とりあえず現状を頭で整理する。
今、僕がいるのホテル。
確か昨夜はベッドの上でLINEを確認。それからの記憶はない。
恐らく寝落ちしたんだと思う。
その時、凪姉は散歩で外出していた。
もし帰ってきてベッドが埋まっていたら、どの場所を選ぶかと考えれば間違いなく僕がいるベッドだろう。そうなると僕と凪姉は、今一緒に寝てることになる。
「えっ……」
急に頭が本格的に動き出し、情報が一気にまとまり出す。
聞き間違いじゃなければ、頭上から凪姉の声がした。
引き寄せた背中の感触は人の手。足に絡まっているもちもちした感触は人の足。
だとすれば、今僕に抱きついている正体は凪姉になる。
そこからもう一つ分かることは、顔の前にある柔らかな物体の正体だ。
――む、むむむ、むむむむむむ、胸ッ!?
息ができなくなるほど顔に引っ付いていた正体が胸。
手で確かめるとか思って触り、気持ち良さのあまりバカみたいに揉みまくった正体が胸。
ついに僕は女性の胸を触ってしまったのか。
それも好きでもない人の胸を勝手に。
信じたくない現実だが手にこびりついた感触が離れない。
――バレたら死ぬ、バレたら社会的に死ぬ。
恐怖とパニックで興奮どころではない。
初乳揉みがこんな地獄になるなんて思ってもなかった。
とにかくこの状況をどうにかしないと。
「ふわぁ……」
ヤバい、ヤバい、ヤバい。
動いた、凪姉が動いた。
欠伸した。起きた。死んだ。
「おはようぅ~、空ちゃん」
「あ、はい。おはようございます」
自然に挨拶を交わすも心臓はバクバク。
「寒いねぇ~」
「そうですね」
「空ちゃん苦しくなかったぁ? わたし抱き付いちゃう癖があるんだぁ」
「苦しいです。現在進行形で」
「あらぁ、そうだったのぉ」
「はい」
「でもぉ、離さな~いぃ」
嬉しそうにそう言って凪姉は優しい笑みを浮かべる。
正直、離すように強く言いたいが、胸を揉んだこともあって抵抗しにくい。
満足して離してくれるのを待つしかないが、心臓が持つかどうか。
罪悪感とバレてたらどうしようという気持ち、胸が顔に当たる感触が襲ってきていて死にそうだ。
「そろそろ起きろ~って、何してんの二人……」
少し低い雫先輩の声と共に布団が宙を舞う。
部屋は暗い。だが、目は闇に慣れたようで眼鏡をかけた女性が視界に入る。
「もぉ~雫ちゃん!」
「抱きついて寝てたのか」
「いいでしょ~」
「全然良くない」
呆れたような表情で腰に手を当てる眼鏡の女性。
凪姉曰く、雫先輩らしいが全く面影はない。
「おい、ソラちん。その目は何かな?」
「え、えーっと、何のことですか?」
「誰?みたいな目してたからさ」
「……」
図星で何も言い返せない。
でも、本当に誰か分からないぐらい普段と違う。
眼鏡に薄い唇、髪型も束ねておらず、前髪はピンで留めている。
「やっぱりね」
「いや――」
「ウチのすっぴん見た男はみんなそんな反応するもん。女が化粧なしで可愛いと思ったら大間違いだよ」
「別にそんなことは思ってないです。それに僕はすっぴんの方が可愛いと思いますけど」
「それはそれで嫌。化粧してる努力が無駄みたいじゃん」
フォローしたつもりだったが、逆に機嫌を損ねてしまった。
女性とは難しい。改めてそう思う。
「とにかく二人とも準備してよね」
「準備……何の準備ですか?」
「元旦と言えば、初日の出でしょ。みんなで見に行くの!」
そう言えば、今日は年が明けて1月1日。元日。
僕は新年一発目を胸で窒息死しそうになりながら起きたのか。
人によっては幸せな起床なんだろうが、僕にとって災難だった。
「見に行くってどこにですか? ここから見ればいいと思うんですが」
「分かってないな。温泉に入りながら見た方が絶対に綺麗じゃん」
「わたしもそう思うぅ! よ~しっ! 空ちゃん成分補給出来たから用意するぞぉ~」
元気にそう言うと凪姉は離れ、トコトコと洗面所の方へ。
それを見届け、やっと解放を感じられて体から力が抜ける。
「ソラちん大丈夫?」
「大丈夫に見えますか?」
「んー見える。チンチン立ってないし」
「なっ!? なんてこと言うんですか!」
「いや、ウチはムラムラしてないかの心配したし」
「そんな心配しないでください」
「あ、それともイった後? パンツは履き替えてよね~」
「バっ、バカなこと言うのは止めてください」
「そう怒らないでよ。まぁムラムラしたらトイレで抜いていいから」
平然とそう言い、化粧台に座る凪姉。
もうツッコミを入れるのも面倒なので、ため息をついてスマホの画面を一瞥。
時刻は6時すぎ。
健康的な時間と思いつつ、スマホをポケットに入れてベッドから降りる。
雫先輩がニヤケ面が鏡越しで見えたが、何も言わず睨んでトイレへと向かった。
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