第33話
「ふぅ、気持ちかった……」
マッサージ機から降りて着崩れた浴衣を直し体を伸ばす。
色っぽい声が漏れるが周りにはホテルスタッフしかいない。
その人たちも仕事が落ち着いたのか暇そうにしていた。
「結構、遅くなったな」
近くにあった時計を見ると時刻は既に午後10時を回っている。
もう三人は部屋に戻っているに違いない。
久しぶりの温泉でつい長風呂してしまい、目に入ったマッサージ機に一直線に向かったせいでこんな時間になってしまった。
本当にホテルにあるマッサージ機を見つけると座らずにはいられないのは、僕の悪い癖だ。
恐らく明日も座ってしまうんだろうが、自分の気持ちには逆らえない。
体の隅々までほぐしてくれる力強い感触と適度な機械音。
これを知ってしまったら、無視して部屋に戻るなんて出来ない。
気持ち良さのあまりいつの間にか目を閉じてしまっていることもあるが、最終的にはマッサージ機の停止音が現実に戻してくれる。
今もそんな感じで一時間弱癒されていた。
「ベッドの件どうしようかな」
三台しかないベッド。
現時点まだ誰と誰が一緒に寝るかは決まってない。
先に寝られていたら終わりだと思いつつ、少し冷える廊下を早足で駆け抜ける。
少し迷いホテルスタッフの力を借りて何とか部屋の前に到着。
すぐにドアノブを引くが開かない。
「オートロック……」
チェックイン時のフロントの女性の言葉を思い出して頭を抱える。
鍵は雫先輩が持っているし、スマホは部屋の中。
一度フロントに戻って頼むことも出来るが少し遠くて面倒だ。
部屋の前を行ったり来たりしながら困り果てていると部屋の扉が開いた。
「何してるのぉ~?」
「あ、凪姉! 鍵がなくて困ってたんですよ」
「チャイム押せば良かったのにぃ~」
扉の横についていた小さなボタンを指してそう言う。
完全に見落としていたなんて言えず「みんな寝てたら悪いと思いまして」と苦笑を浮かべた。
「やっぱり空ちゃんは優しいねぇ」
「いえ、普通ですよ」
「もぉ~謙遜しちゃってぇ。本当にそういうところ好きぃ!」
「ど、どうも」
不意に言われた好きの二文字に少し照れる。
聞き慣れてないとどうしても反応に困る言葉だ。
それを平気で言う凪姉は恐ろしい。
「あ、今から売店行くんだけどついてくるぅ? というかついてきた方がいいよぉ~」
「何でですか?」
「雫ちゃん酔っ払って甘えん坊になってるしぃ。構われたいならいいけどぉ」
雫先輩の甘えん坊。
そんなパワーワードを聞いて興味は沸いたが、同時に恐怖心が芽生える。
何をされるか分からない以上、興味本位で関わるのは危険だ。
冷静になって凪姉についてくことにした。
「ホテルの売店ってぇ、なんか好きなんだよねぇ~」
そう言いながらかがみ込んでコンドームを手に取る凪姉。
こちらを向くなり笑みを浮かべてくる。
「ヤるぅ?」
「やるわけないでしょ。てか、まだヤったことないのに、よくそんなことが軽々しく言えますね」
「空ちゃんとならいいかなぁ~ってぇ」
「本気で言ってるんですか?」
「うんって言ったらヤってくれるのぉ?」
浴衣の襟元を少し手でずらして谷間をチラリ。
潤んだ瞳の上目遣いで見つめられ、一歩下がって息を呑む。
僕だって男だ。こんなことをされて興奮しないわけがない。
明らかに鼓動が早くなっている分かるし、下半身に血液が集まるのを感じる。
ダメだ、我慢の限界だ。
「えっ、えええっ、ちょ、そらぁ……ちゃん」
眼孔を開き、凪姉の胸元に手を伸ばす。
凪姉は慌てるように目を泳がせているが手を引く気はない。
そしてゆっくりと凪姉の襟元をずらす手を払った。
「はぁ、公共の場で何してるんですか」
「へぇ……」
涙目の凪姉は変な声を出して地面にお尻をつける。
「僕が手を出すとでも思ったんですか?」
「うん、ちょっと思ったぁ」
「そんな性欲に忠実な男じゃないですよ。そもそも怖がるなら冗談言わないでください」
「うぅ、ごめんなさいぃ」
呻く凪姉の頭を軽く撫で、落ち着いたのを見て手を貸す。
それから手に持っていたコンドームを奪い、素早く棚に直した。
「ココア奢りでお願いします」
「それで許してくれるってことぉ?」
「そういうことです」
「分かったぁ。ありがとうぅ」
普通に許しても良かったが、興奮した心はどうにかしたかった。
だから、心を落ち着かせる作用のあるココアを頼んだ。
旅行中は男女同室なので発散は出来ないからな。
「はいぃ、ココアぁ」
「ありがとうございます」
ココアと水二本を購入し、僕たちは部屋に戻る。
無事に部屋に着き、凪姉がドアノブを引くが開かない。
「あっ」
「もしかして鍵って……」
「中だぁ」
まさか二人揃って、しかも連続で同じ目に合うとは思ってもなかった。
チャイムを鳴らすが中からの反応はない。
二人とも寝てしまったようだ。
「僕がフロントに行ってきます」
「ごめんねぇ~」
すぐにフロントスタッフを呼んで部屋を開けてもらい中へ。
予想通り二人はベッドで眠っていた。
雫先輩は布団も被らず、うつ伏せで大の字。顔にパック。手には空のロング缶。
まるで、疲れたOLの酔い潰れた絵のよう。見たことないけど。
一方、十南はしっかり布団を肩まで被り、額には冷却シートを貼っていた。
「凪姉これはどういうことですか?」
「あぁー月ちゃんはねぇ、温泉でのぼせちゃったからぁ、そのまま寝かしたのよぉ」
「そ、そうだったんですね」
冷静を装っているが、心の中では「何でだよ!」と叫ばずにはいられなかった。
ベッドの件が解決してないのに、先に寝るなんて聞いてない。
旅行=夜更かしのイメージがあったから完全に油断していた。
一旦、椅子に三角座りしてココアを飲んで考えることに。
のぼせた十南を誰かと寝かせるわけもいかない。
酔い潰れて大の字で寝る雫先輩と寝ることは不可能。
「……うん、分かってた……」
ぼーっと凪姉が座るベッドを見ながら独り言ボソリ。
現状を受け入れたくなくて足に顔を埋める。
別に何かするつもりはないが、何かされる可能性があるので怖い。
襲ってくることは売店の反応を見ればないと分かるが、密着は避けられないだろう。
「空ちゃん」
「はい、どうかしましたか?」
「わたしぃ、ちょっと散歩してくるねぇ」
「こんな時間にですか? 風邪引きますよ」
「ホテルの中をぶらぶらするだけだから大丈夫ぅ」
「本当ですか?」
「うんうん、大丈夫ぅ。大丈夫だからぁ」
少し早口でそう言うとすぐにベッドから立ち上がる。
浴衣の上にもう一枚羽織り、鍵をポケットに入れた。
「わたし行くねぇ。眠かったらぁ、先に寝ていいからぁ」
「あ、はい」
散歩だというのに急いで出て行ってしまった。
「終わった。完全に終わったよな、これ」
もうベッドの件が解決する気がしない。
二人は夢の中、一人は部屋の外。これでどうすればいいというのだ。
諦めて畳で寝ることも考えたが、折角マッサージ機でほぐれた体をバキバキにするのは明日を考えれば得策ではないだろう。
「雫先輩と人の気も知らないで」
昼間同様に涎を垂らす姿に呆れながらも、風邪を引かないように布団をかける。
少し動いたが起きる気配はなし。
「ナギちんの~おっぱい半分さ、ルナちんにあげなよ~」
一体、どんな夢を見ているやら。
可笑しくて頬が上がってしまった。
「よいしょっと」
かなり冷えて来たので、僕も空いてるベッド中へ。
顔まで布団を被り、お腹の中にいる赤子のような体勢でスマホの画面を見つめる。
ベッドの件に関して、ほぼ諦めているがスマホを弄りつつ考えることにした。
「八件?」
LINEの通知に目が留まり、ロック解除と同時にLINEを開ける。
年末バフでもかかっているのかと思ったが、通知相手は上位表示されている二人――母と水心だった。
うん、何となく分かってた。
そもそもLINEの人数が二十二人(公式アカウントを含む)しかいない時点でバフなんて起きるわけがない。起きたら起きたである意味事件だ。
変わらないトーク一覧を見ながら、母のよく分からない猫のアイコンをタップ。
――あんたやられたわね~
トーク画面が開くと性格の悪い一言とニヤニヤしている兎スタンプが目に入る。
思わず眉間にしわが寄るが黙ってスクロール。
「大晦日が嫌いになりそう……」
夕食の写真。水心とツーショット。最後に母と水心、拓海のスリーショット。
如何にも楽しそうな感じだったので返事せずに既読スルー。
次は水心のアイコンを長押し。
敢えて既読しないで確認する。
通知は三件。
無事に実家に着いた報告。もう一つは水心の父親が拓海を気に入ったという報告が親指を立てる変なキャラのスタンプと共に送られてきていた。
「ったく、どうやったんだよ」
どうなっているのか理解できず、舌打ちしてスマホを投げ捨てる。
別に予想していなかったわけじゃないが、気に入られるなんて上手くいきすぎだ。
一体、水心の父親に何をしたか気になるところではあるが確かめようがない。
面白くないと思いつつ、ため息をついて足を抱える。
コンパクトになった僕は封印されるようにゆっくりと目を閉じた。
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