三章 伊良湖

第26話

 12月31日。大晦日

 午前11時20分。家を出発。


 ――ガチャ


「「あ……」」


 僕が家を出たと同時に隣の扉が開き、お互いの顔を見合う。


「今から帰るのか?」

「京都駅に拓海を迎えに行ってからね」

「へー、一緒に帰るんだな」

「ま、まぁね」


 マフラーで顔を隠す仕草を横目に無言で家の鍵を閉める。

 何も言ってこないと思い、一瞥するとスマホを使って髪型を確認していた。


「先行くから」

「うん、すぐ行くね」


 集合時間に間に合わないと困るので、とりあえず最寄り駅に向かって歩き出す。

 僕から少し遅れること数秒、水心は小走りで寄ってくるなり慣れた感じで横に並んだ。


「空、実家に帰らないって本当なの?」

「誰から聞いたんだ?」

星夜さやおばさん。昨日いきなり電話かかってきて何かあったんじゃないかって色々聞かれたわよ」

「それは災難だったな」


 星夜おばさんとは僕の母。

 昔から娘が欲しかった母は、水心のことを実の娘のように可愛がっており、実の息子である僕より連絡を取っている。


「星夜おばさん寂しそうにしてたけどいいの?」

「ああ、またそのうち帰るよ」

「でも、夏も帰ってないって」


 今年の夏は水心に彼氏が出来た直後で病んでいた。

 そんな姿を母に見せれるわけもなく、大学に慣れるのに必死などと適当な理由で実家には帰らなかった。だから、年末は帰る予定だったんだが、水心が拓海と帰省すると聞いて断念。来年の夏には必ず帰ろうと思う。


「あの時は大学生活が忙しかったし」

「じゃあ年末年始は会えたんじゃないの?」

「そのつもりだったが予定が入ったから止めた」

「普段より大きいリュック持ってどこ行くのよ」

「旅行」


 前を見ながら淡々とそう答える。

 あまり温泉サークルについては話したくはないが、嘘をついてバレない間柄でもない。

 幼馴染として長い時間を一緒にいたせいで、色々とお互いの変化には敏感なのだ。

 風邪を引いた時も一瞬でバレたからな。


「誰と? どこに?」

「母さんかよ」

「星夜おばさんに空をよろしくと言われてるから聞いてるだけだし。で、誰とどこ行くの?」

「友達と温泉旅行にな」

「えっ、友達できたの!?」

「失礼すぎないか?」


 横で目を輝かせているが、そんなに嬉しいことなんだろうか。

 それより友達いないと思われていたことがシンプルにショック。

 確かに友達はいなかったが、あの三人も友達と言えるか怪しいが、その反応は刺さるものがある。本当のことだからこそ尚更だ。


「だって、ずっと勉強しかしてなかったし」

「それはそうだが」

「まさか友達が出来て、しかも温泉旅行に行く仲になるなんて……」


 なぜか指の甲で涙を拭く仕草を見せる水心。

 感動されても困る。追い打ちだ。

 数十年間、引きこもっていた人が働き出したみたいな反応するのは止めてほしい。

 こっちが悲しくなる。

 温泉旅行に行く仲ではないことに関してはツッコまないでおく。

 色々と詮索されるのは御免だ。


「本当に良かったね!」

「実家でゆっくりしたかったけどな」

「とか言いつつ楽しみなくせに~! うりうり~」

「や、やめろ。やめろよ」


 嬉しそうに横腹を人差し指でぐりぐりしてくるが、くすぐったいので手で払う。

 それを気にすることなく止めないあたり昔と変わってない。

 やられっぱなしでは終わりが見えないので、僕もキツツキのように横腹を突き返す。


「ちょ、ちょっと! だめ、ダメだって!」

「先にやってきたのはどっちだ?」

「あぁ、アタシ! あ、謝るから、お、お願い止めて! し、死ぬ」

「ほら謝らないと――」

「んっ……」


 暴れ回るものだから手が滑り胸を二度指で突き刺してしまった。

 事故とはいえ気まずい。

 中学生ぐらいまでは胸に触れようが笑って流していたのだが、高校生になったあたりから今のような何とも言えない雰囲気になるようになった。

 原因は水心が声にならない声を出すようになったから。この声が突き合いの終わる合図でもあるが、気まずくなる合図でもある。


「空のエッチ……」

「ごめん。でも、わざとじゃないから」

「別にいいけど。昔から触られてるし」

「言い方。僕が水心の胸をよく触ってるみたいに言うなよ」

「実際そうでしょ?」

「そ、そうだが。そもそもいつも仕掛けてくるのはそっちだろ」

「……バカ」


 罵倒すると同時にお尻に回し蹴りを入れられた。

 胸を触ったお返しといったところだろう。

 勢いはなかったものの、当たり所が悪かったのか股間に激痛が走る。

 僕は「あぁぁ」と呻き声をあげるが水心はそっぽ向いて気にする様子はない。

 たまたまとはいえ玉に当たったからには謝罪の一つぐらいあっていいと思うが、男の気持ちを分からないのか痛む声を聞いて満足気に鼻歌を歌っていた。


 そのまま会話なく、歩くこと数分。最寄り駅に到着。

 年末ということもあってか人が多い。

 切符を買うのも一苦労だろうが、普段通り交通系電子マネーで改札を通る。

 大学に入ってから使うようになったが、もうこれなしでは電車には乗れない。

 切符を買って電車に乗るのと交通系電子マネーを使うのでは改札を通る時間に雲泥の差があるからな。


「トイレ行ってくるから」

「アタシも」


 お互い少し列を作るトイレに並び中に入る。

 僕は玉の無事を確認。さっさと出すもの出し、トイレ近くの壁に寄りかかる。

 数分後、ハンカチで手を拭く水心が女子トイレから出て来た。


「お待たせ」

「ハンカチで手を拭くなんて珍しいな」

「アタシも女子なので。後、服濡らしたくないし」

「そか」


 半年見ない間に女として成長している。

 これも彼氏が出来た効果だろうか。


「そろそろ電車の時間だから急ぐぞ」

「分かってるって」


 返事をするなりハンカチをポケットにしまい、はぐれないように僕の服の袖を掴んでくる。子供かよと思いつつ、幼げのある笑顔に懐かしさを感じた。


「ほら先に階段上って」

「あ、ありがとう」


 僕は階段を譲り、水心の後ろついていく。

 電車通学を始めてから続けている僕なりの痴漢対策だ。

 それも大学に入って数ヶ月間しか出来なかったが、一緒に登校してない半年間痴漢された報告もないので、あまりしてもしなくても変わらないのかもしれない。

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