第24話

 頬を引っ張るのに満足したようで、雫先輩は横の席に腰を下ろす。

 流れるように足を組み、左手にフラペチーノを飲んで一息ついた。


「皆さん何を話されていたのですか?」

「んー、大人の話かな~」


 純粋な十南の質問に少し間を開けてそう返す雫先輩。

 かなり含みがあったと思うが、十南には何一つ伝わっていない。

 小さく首を傾けているのがその証拠だ。


「具体的にはどのようなお話を?」

「耳を塞いでる時点で知らない方いいって分からないかな~?」

「分かりません」

「はぁ、マジで知らない方がいいと思うけど」

「なぜ隠すのですか?」

「だって、ナギちんがエロいって話だし」

「えぇ!? 雫ちゃんっ! 変なこと言わないでよぉ~」


 急に矛先を向けられて慌てる凪姉。その瞳は少し潤んでいる。

 まださっきのことから立ち直れてないようで縮こまったままだ。

 そんな状態でこの追い打ちは流石に可哀想ではあるが、こちらに視線を向け弁明してほしそうにされても困る。嘘は言っていないので否定できない。

 とりあえず優しい笑みで首を横に振っておいた。


「ソラちん間違ってないよね?」

「まぁ、はい」

「うぅ……」


 凪姉は頬を膨らませ、僕と雫先輩を睨む。

 その表情は体と違い、幼くて可愛らしい。


「お話の内容は理解しました。これ以上の詮索は止めておきます」

「うんうん、ナギちんのためにもそうしてあげてね」

「勝手に解釈しないでぇ。本当にエロくないもん」


 その叫びには誰も反応しない。

 ただ静かに見守るだけ。

 それものそのはず、凪姉は存在自体がエロい。エロくないは無理がある。


「むぅ〜、こんなの酷いよぉ」


 完全に拗ねてしまった。

 明らかなとばっちりなので、こうなるのも仕方ない。しかし、さっきの話を十南に聞かせるよりかはよっぽどマシだったと言える。

 十南は朝チュンすら知らなかったぐらいのピュアな女性。

 あのような生々しい話にはついて行けないどころか、頭にクエスチョンマークが増殖してパンクするに違いない。

 だから、雫先輩が耳を塞いでいたのは優しさということになるのだが、結果的には犠牲者を出すことになってしまった。


「それじゃそろそろ今日の会議の本題にいくとしますか~」

「はっ!? うんうん、いこいこぉ~!」


 本題と聞いた途端、凪姉は大きさを取り戻して笑顔を見せる。

 数秒前まで涙目だった凪姉はどこへ消えたのやら。ドロドロの車を洗車した後ぐらいの変わりようだ。


「ナギちん復活はや〜」

「めっちゃ楽しみにしてたからねぇ〜」

「それにしてもでしょ。テンションの変わり方よ」

「テンション上がっただけでぇ、さっきのことは忘れてないからぁ」

「いや、こわっ」

「怖くないよぉ〜。ねぇ~空ちゃん」

「は、はい」

「空ちゃん成分補給ぅ! ぎゅー!!!」


 縮めていた体も元に戻し、僕の腕に胸の感触が再臨。全く油断も隙もない。

 若干、本題を恨みはしたが、状態としては数分前に戻っただけの話。数分間、安心を得ていたことがラッキーだったと言える。

 それに温泉サークルに入ったからには、このスキンシップを避けては通れない。早い段階で慣れることが今後のためになるだろう。


 それより今は本題である。

 あの凪姉を一瞬にして笑顔にしてしまうなんて、なかなか出来ることではない。

 二人の表情を見る限り内容は悪いものでは無さそうだが、僕にとってどうかは不明。

 こればかりは聞いてみないと分からない。


「えーごほん。温泉サークル! 設立して約二ヶ月にして何と! 初の……温泉旅行が決定しました!」

「いぇーいぃ!」

「え? 温泉旅行!?」

「温泉旅行……ですか?」


 知っていたであろう雫先輩と凪姉の二人は拍手して盛り上がる。

 一方、初耳の僕と十南は耳に入ってきた言葉をオウム返しして固まっていた。


「はいはい、落ち着いて~。みんな興奮するのは分かるけどさ……って、興奮してるのはウチとナギちんだけか!」

「そうみたいだねぇ~」

「普通は喜ぶところなのに~」

「ねぇ~」


 二人は満面の笑みでそう言い合い、可笑しそうに笑い声をあげる。

 確かに温泉旅行と聞けば普通は喜ぶものかもしれない。しかし、出会って一週間も経たない人と行くのは、ノリ気になれないというか複雑な気持ちだ。

 いくら何でも早すぎる。まだ温泉旅行に一緒に行って楽しいと思える関係性でない。

 もちろん温泉サークルだからいずれは温泉へ行くとは思っていた。

 思っていたがこんなに早いとは思っていなかった。

 斜めにいる十南もそんな感じの表情だ。


「二人とも大丈夫そ?」

「いや、急すぎて理解が追い付いていないというか」

「それもそうだよね~。まぁこれからちゃんと話すから安心して」


 一旦、落ち着くためにフラペチーノを飲むが、ズズズッという音を立てる。


「あ……」

「ジュースあるけどいるぅ?」

「いや」

「遠慮しなくていいのよぉ。ここからは楽しい話だしぃ、ジュースとお菓子でも食べながら話そうよぉ~」

「いいね~! そーしよそーしよ!」


 凪姉は「お菓子ぃ~お菓子ぃ~」と呟きながら立ち上がり、鞄から飲み物やお菓子を持ってくる。

 そのまま部屋にあったコップにジュースを注ぎ、お菓子の袋をパーティ開け。

 この手慣れた感じを見る限り、よくこうしてお菓子を食べているのが分かる。

 あっという間に机の上は軽いお菓子パーティ状態。

 そして自然と凪姉は僕の腕に戻って来た。


「空ちゃん、喉乾いてるでしょ? 飲んで飲んでぇ」

「あ、はい」


 僕はそう促されるままコップに唇を付ける。ついでにお菓子もつまんでおいた。

 その姿を見るなり周りのみんなも食べ始める。


「それで温泉旅行の話に戻るんだけどさ、やっぱり行き先が気になるでしょ?」

「そうですね。遠いと大変ですし」

「も~折角の旅行なのに大変とか言う? 行き先どこだろうってワクワクしなよ〜」


 言いたいことは分かるが大変なものは大変。ワクワクなんてしていられない。

 関係が薄いだけで気を遣って大変なのに、行き先が遠いと一緒にいる時間が増えて更に大変になる。

 そういうわけで近場がいい。

 ちなみに僕たちの大学は京都にある。だから、旅行先としては京都や兵庫、滋賀あたりが理想的だ。


「まぁいいけどさ~。で、気になる旅行先はというとね……伊良湖岬いらごみさき!」

「い、伊良湖岬? どこですか?」

「愛知県の下の方だね。もう先っぽも先っぽって感じのところ~」

「へ~、あんまり温泉で聞いたことないです」

「わたしも雫ちゃんに聞くまでは知らなかったよぉ~」

「私もです。全く有名ではない場所なのでしょうね」

「あはははは……ルナちん伊良湖岬の人に怒られるよ? でも、確かに有名どころに比べるとインパクトは弱いよね~」


 伊良湖岬。愛知県の下の先っぽと言われてもピンと来ない。

 まず愛知の人には悪いが愛知に温泉があるとは思ってなかった。

 愛知のイメージは名古屋城や味噌、車、後は武将ぐらい。

 名古屋という大都市があるのに不思議な話だ。

 僕の勉強不足でもあるので、この機会に調べよう思う。


「その伊良湖岬ってここから片道何時間ぐらいですか?」

「えっとね、車で三時間半ぐらいかな? 新幹線と電車使っても三時間はかかると思うよ」

「どっちにしてもなかなかですね」

「講義二回分って考えれば大したことないって。それに今回はナギちんの車で行くし」

「凪姉、運転出来るんですか?」

「そだよぉ~。そのせいでよく雫ちゃんの足にされてるけどねぇ~」


 苦笑交じりにそう言うも、雫先輩は気にする様子はない。

 何とも言えない空気になり、僕も無言で苦笑いをこぼす。


「今回は一人で片道三時間半の運転……きついよぉ」

「ですよね。なんか申し訳ないです」

「いいよいいよぉ。空ちゃんのためなら足でも何でもなる覚悟は出来てるからさぁ~」

「よく言うよ。最初はめっちゃ嫌がってたくせに!」

「往復七時間はねぇ。それにお酒も飲めないしぃ~」

「まだ言うか~。七時間、隣にソラちん置くことで納得したでしょうが!」

「え、僕助手席なんですか?」

「当たり前。そうじゃなかったら何のためのソラちんってなるし! ナギちんは常に癒しを求めてるからね~」


 その言葉に凪姉が凄い頷いていて怖い。

 瞳も輝いているし、物凄い圧を感じる。


「別に助手席は構いませんけど、僕の後ろは十南でお願いしますよ」

「えー、ルナちん嫌だよね?」

「私はどこでもいいです」

「ほら、ソラちんの後ろ嫌だって」

「どこでもって言ったの聞こえてなかったんですか。十南が後ろじゃないと助手席に座るの止めますから」

「雫ちゃん! お願い! 雫ちゃん!! お願い!! 雫ちゃん!!! お願い!!!」

「はいはい、分かった分かった」


 凪姉の圧に負け、雫先輩は面白くなさそうにジュースを飲む。

 僕的には後ろからの嫌がらせ行為を防げて大満足だ。

 雫先輩は何かしらしないと気が済まない人だからな。

 後ろで隣同士になった十南に矛先がいきそうだが、以前の光景を見る限り軽く流すに違いない。

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