第19話
熱は37.0度まで下がったが、頭痛と倦怠感は無くなっていない。
それでも十南にこれ以上の迷惑はかけられないと思い、家に帰ることにした。
雪景色を見ながら電車に揺られること約一時間。最寄り駅に到着。
もう外は真っ暗。雪は降っていないが薄着なのでかなり寒い。
「十南に挨拶した方が良かったかな……」
手に持ったカイロを頬につけて独り言をポツリ。
今朝以来、十南とは会っていない。
目が覚めた時には十南の姿はなく、一枚のメモが机の上に置かれていた。
メモには『私は諸事情のため外出します。もし体調が良くなり帰れそうでしたら気にせず帰ってください。鍵はオートロックなので安心してもらって大丈夫です』とだけ書いてあり、特に僕を心配するような文はなし。
別に構わないと思いながらリビングに行けば、財布とスマホ、カイロ、水が入ったペットボトル二本が丁寧に置かれていた。
そういうこともあって感謝をした方が良かったじゃないかと思っている。だが、これが親切心ではなく、早く帰ってくださいという意味の可能も無きにしも非ず。
どちらにしても次会った時は感謝するつもりだ。
「ん?」
もう家に着くところでポケットのスマホが震える。
画面を確認すると水心の文字が表示されていた。
何ヶ月ぶりかと思いながらも、とりあえず電話に出る。
「もしもし。久しぶ――」
『ちょ、どこいるの⁉』
いきなりの大きな声にスマホを数センチ顔から離す。
心配するような声というよりかは怒る母のような声音。
少しうるさいと思いつつも懐かしくて頬が緩む。
「急にどうした?」
『もう2日も家に帰ってないでしょ!』
「え、何で分かったの?」
『24日の夜にドアノブにかけたクリスマスプレゼントがまだあったからよ』
「なるほど」
僕と水心は同じアパートに住んでいる。部屋は隣同士だ。
それが理由でカップルが乱れ合う二日間は家に帰らなかったのだが、まさかこんな形でバレるとは思っていなかった。まぁバレたところで何もないけど。
『どこで何してたわけ?』
「クリスマスに予定あったらおかしいか?」
『別におかしくはないけど……』
――いや、友達いない僕に予定あるのはおかしいだろ!
と自分でツッコんでおく。
別に悲しくはない。
この世にはクリスマスに予定がない同士が山ほどいる。
そう信じているから。
「もう家の近くまで来てるから暖かいところで喋らないか?」
『え、どこどこ?』
やっとアパートが目に入り、部屋の前に立つ水心が確認できる。
水心は気付いていないようで、こちらをきょろきょろと見ながら探していた。
『あーいた! で、どっちの家で喋る?』
「僕の家でいいよ」
『はーい』
その一言で電話は切れ、水心が自分の家に入っていくのが見えた。
僕も無事に帰宅。かじかんだ手で鍵を取り出して扉を開ける。
見慣れた景色の中に入り、暖房とコタツをON。少し濡れたので部屋着に着替え、マスクを付けてコーヒーを淹れる。
数分後、家のチャイムがなり水心が「お邪魔するよ」と一言。宿主の返事を聞くこともなく勝手に入ってきた。我が家のように素早くコタツの亀になる。
「マスクなんか付けてどうしたの?」
「風邪」
「え、大丈夫なの⁉」
「心配ない。少しだるいぐらいだし」
そう言ったものの本当はかなりしんどい。
やはり薬を飲んで寝ただけではダメだったようだ。
水心はその異変に気付いたのかコタツを抜け出してこちらに寄ってくる。
「寝る?」
「ああ、悪いな」
「別にいいよ」
僕はコーヒーを任せてベッドにダイブ。
感触は微妙だが安心感はある。
そのまま夢に落ちるまで一分もかからなかった。
⚀
「……ん? 水心?」
「起きた? 体調どう?」
「まだだるい」
「とにかく水分取って」
ゆっくりと体を起こして水を口に含んで喉を動かす。
熱のせいか体内に冷たい水が流れて行くのが分かる。
「これ買ってきてくれたのか?」
「うん、他にも色々とね」
「何から何まで悪いな」
「幼馴染の仲なんだから気にしなくていいよ。それよりうどん食べれそう?」
「多分」
「なら用意するから座ってて」
長く伸びた髪をゴムで結び、早足でキッチンへ。
僕は座って体温計を挟む。
「37.8度……」
今朝と同じぐらいまで熱は上がっていた。
時刻は午後10時22分。
最寄り駅に着いたのが午後6時半頃だったから三時間ほど寝ていたらしい。
ぼーっと待つこと数分、お盆を持った水心がゆっくりとうどんを運んでくる。
「はい、うどん」
「ありがとうな」
シンプルなきつねうどん。
ネギが大量に乗っているのは優しさだろう。
僕は「いただきます」と言って箸でうどんを口に運ぶ。
それに続くように水心も食べ始めた。
「それで2日間もどこに行ってたわけ?」
「大学」
正確には昼は大学の図書館。夜は大学の屋上。
閉門後は近くのネカフェ。
クリスマスは十南の家で過ごすことになったが予定ではネカフェだった。
「そう。彼女でも出来たのかと思ったわ」
「それはない」
「何で?」
「僕を好きになる人なんていないし」
「そんなことないって! 絶対にいるよ。空めっちゃ優しいもん」
――なら、付き合ってくれよ
と思いながらも、うどんをすする。
別に悪意があって言っているわけじゃないことは分かっているが、やっていることは心臓にナイフを刺しているのと変わらない。
好きな人とはいえ恐ろしい女だ。
「それはどうも。で、水心はどうだった?」
「……どうとは?」
少し間を開けて、こちらを見ずにそう口にする。
明らかに何かあった様子。
頬も薄っすらと染まっている。
「24日の夜から帰ってないんだろ?」
「まぁね」
昨日帰っているなら昨日電話しているはずだ。
そう考えれば、24日、25日と二泊していることはすぐに分かった。
「二日とも拓海か?」
「ううん。24日は
水心の女友達の
「クリスマスイブに彼女の誘いを断る予定なんて珍しいな」
「拓海は友達多いから仕方ないって」
「それもそうか」
「てか、聞いて! 二人ともめっちゃ面白くて――」
本当に楽しかったらしく満面の笑みでお泊まり会であった話を始める。
水心が楽しめたなら良かったと思いつつも、真実を知るせいか心が痛む。
でも、決して本当のことは口には出来ない。
表情も意識して笑みを作り、うどんを食べながら相槌を打ち続けた。
「それは良かったな」
「うん、最高だった! で、25日はお昼から拓海とデートだったんだけど、まずどこ行ったと思う?」
「水族館とか?」
「残念! それは先月だよ。正解はショッピング! オシャレなベージュのドレスを買ってもらって、後このピアス見て! 超可愛いでしょ!」
「よ、よく似合ってるな」
「だよね〜」
ついに拓海の話が始まり、水心のギアはアップ。とろけるような笑みを浮かべ、食事の手を止めて上機嫌で惚気話を話している。
僕が風邪だということは完全に忘れているに違いない。体調不良を訴えたい気持ちはあるが、今更この語りを止めるのは無理だ。
勝手に止まるのを待つしかない。
「夜は夜景が綺麗に見える高級レストランに連れていってもらったの! コース料理でね、なんか知らない料理ばっかりだったけど凄く美味しかった! あ、サプライズでクリスマスケーキも出て来てそれが最高にキュンキュンしちゃったな〜」
ふと思ったことがある。
意外と惚気話が嫌ではない。
なんか水心の幸せな姿を見れるなら悪くないと思った。
「その後は有名なイルミネーションを見たり、一緒に写真撮ったり! でも、途中で雪が強くなってきちゃったから予約してたホテ……あ、何でもない」
そこまで言い、何かに気付いたのだろう。
顔を茹でダコのように真っ赤にして、うどんの汁を飲んで顔を皿で隠す。
最初から覚悟はしていたことだ。
そのおかげか思ったほど驚きも傷付きもしてない。
ドレスやレストラン、イルミネーションの話を詳しく話せないぐらいには、その後の記憶でいっぱいなんだろう。
当たり前と言えば当たり前か。初めてだったとしたら尚更だ。
それよりも自分が思った以上に冷静で怖い。
正直、悲しいとかムカつくとか、そういう感情が湧いてくると思っていた。
なのに、唯一感じたのは……
――気持ち悪い
ただそれだけ。変な感じだ。
「アタシ、お皿片付けるね」
コタツから立ち上がり、素早く皿を持ってキッチンへ。
その顔はどっちが風邪なのか分からないぐらい赤く、耳の先までしっかりと染めていた。
僕は「はぁ……」とため息をつき、水を飲んで額に手を当てて熱があることを確認。冷蔵庫に冷却シートを取りに行く。
「皿割るなよ」
「そんな心配いらないもん」
「へー、拓海との話はあれで終わりか?」
「ま、まだあるけど、空が風邪だからやめてあげたの!」
「そうか。まぁ別に続きは興味ないけど」
「興味なくて結構です!」
「何怒ってるの? 興味持ってほしかったのか?」
「ち、違うし! もうその話をしないでほしいの!」
「何で?」
「何でも! もっ、空は……」
少しからかいすぎたかもしれない。今にも頭から湯気が出そうになっている。
これは落ち着くまで話さない方が良さそうだ。
「……何で口滑らしちゃったかな……」
そんな独り言を背中で受けながらコタツに戻る。
前髪を上げて冷却シートを額に貼り、水心が買ってきてくれた薬を飲んで寝る準備は完了。ついさっき三時間寝たというのに不思議と瞼が重い。
眠気に逆らう理由もないので、ゆっくりとベッドの中へ。
見慣れた天井を見上げること数秒、パチっと音と共に電気が消える。
水心が洗い物を終わらせて気を利かせてくれたようだ。
「寝れそう?」
心配する声音は足音がこちらに近寄ってくる。
「ああ。それより帰らなくていいのか?」
「うん、今日はここにいる」
「拓海に怒られないのか?」
「ただの看病だから問題ない。まず拓海はそんなことで怒らないと思うし」
「そか」
僕がゆっくりと重い瞼を閉じ、そう言うと水心が手を握ってきた。
意識が
不思議と安心する手。徐々に握る力は抜けて行く。
そして小さく耳元で聞こえた「懐かしいね」という優しい声を最後に意識は夢へと呑み込まれていった。
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