第17話

「長かったですね」

「ちょっとな」


 特に変わりない十南の表情に安心しつつ席につく。

 いきなり本題に入るのも不自然なので薄っすら湯気が立つ紅茶を一口。一度カップから唇を離して、ゆっくりとまた口に運んで二回、三回と喉を鳴らす。

 半分ほど余してコースターに戻し、ポケットのスマホに手をかけた。


「はい、スマホ。助かったよ」

「それは良かったです。長々と何を話していたのですか?」

「ひたすらワンピースの文句をな」

「非常にお似合いでしたのに嫌だったのですか?」

「当たり前だ。僕は男だぞ?」

「ファッションに性別は関係ないと思いますが」

「だとしても僕の意思を尊重してほしいね」


 スマホを机の端に置き、紅茶を口にする十南。

 ゆっくりと二度喉を動かし、唇を離して小さく息を吐く。

 コースターに戻したカップの中は空っぽ。この短時間で熱い紅茶を飲み干すなんて少し異常にも感じた。


「本題に戻りましょうか」

「そうだな。昨日の続きだったか」

「ちゃんと話す気になったのですね」

「約束は守る主義だからな。全て話すよ」


 正確には話せるようになっただが、そんなことはどうでもいい。

 雫先輩に教えてもらったように話す。それだけだ。


 今回の件。納得させるために乗り越えるべき問題は三つ。


 1.頑なに話さなかったことについて

 2.必要とする理由について

 3.発言を信用させる方法について


 どれも大変そうな問題ではあるが、雫先輩曰く大したことはないらしい。難しく考えるのではなく、素直に向き合うことが大切とか。向き合えば乗り越えられない壁はないと言っていた。

 自分で作った壁を自分で乗り越えるのも変な話と思いながらも、やるしかないので早速話を切り出す。


「僕が十南を必要とする理由は、十南に常識を教えたいと思ったからだ」

「えっと……何を言っているのですか? どこにも必要とする要素がないじゃないですか」


 最初の問題は、頑なに話そうとしなかったことについてである。

 僕が答えを出せず沈黙を貫いた結果作ってしまった問題だ。

 一見、非常に面倒な問題ではあるものの、使い方次第では話の信憑性を格段に上げる武器になるとのこと。


 雫先輩には問題を逆手さかてに取るようにと言われた。

 具体的には十南の『頑なに理由を話さなかった』という認識を『敢えて理由を話していなかった』と再認識させろと。

 これだけで話の信憑性が上がるとは思えないが試さない手はない。


「はぁ、そう思われると分かってたから言いたくなかったんだよな。でも、十南がそう言いたくなる気持ちも分かるよ。僕に何のメリットもないし」

「はい、そうです。私に常識を教えてもあなたに得はありません」

「だが、僕の友達にメリットがあるとしら?」

「友達に、ですか?」

「ああ、友達に、だ」


 二つ目の問題は、必要とする理由についてである。

 ここが一番の鬼門。乗り越えるためには二個の作戦を使わなければならない。


 一個目は十南に疑問を持たせることだ。

 これに関しては既に手を打っている。

 最初に口にした必要とする理由。内容を理解出来ないぐらい明確にしなかった。

 結果、十南の中には疑問が生まれた。正確には僕が意図的に生ませたわけだが、この作戦では疑問というものをより多く生み、答えることが大切になってくる。


 雫先輩曰く、人は疑問に対して正しく回答されればされるほど信じやすい(納得しやすい)脳になっていく。逆に言えば、自然と疑問を生みにくい脳に変化させることが出来る。

 この原理を利用して、最終的に少し強引な必要する理由を納得させるとのこと。


「そうだとしても必要とする理由にはならないと思います」

「必要か必要じゃないか決めるのは僕だ」

「確かにそうですが幾ら何でも筋が通りません」


 二個目は十南を必要とする理由を、僕にメリットがあるものにしないことだ。

 その理由は疑われて深掘りされる可能を減らすためらしい。欲望に溢れた理由でない限り、どうしても説得力に欠けてしまうと言っていた。

 だから、十南を必要とする理由を友達のメリットに変更。地味な変更に見えるがそうでもない。

 重要なのは変更された友達が誰かということで、それが十南の大切な人なら話は変わってくるとのこと。


「友達が拓海だとしてもそう言えるか?」

「伊東さん……伊東さんだとしても同じことです」

「本当にそうか?」

「何が言いたいのです? 私に常識を教えることで伊東さんに何か得があるとでも言うのですか?」

「ああ、あるぞ」

「ならその得というものを教えてもらえませんか?」


 相変わらず拓海が絡むと圧が凄い。

 瞬き一つせずに僕の瞳をずっと貫いてくる。加えて止まらない否定と疑問の嵐。

 いつもなら怯むところだが今回に限っては予定通りである。話の進みは順調だ。


 そんなことより今から僕は嘘を吐く。それも大噓を。

 内容が内容なだけにあまり乗り気ではない。普段なら顔を歪めてしまうだろうが、今回ばかりはそれは許されないだろう。

 嘘だとバレれば終わりだからな。


「教えるも何も答えは一つしかないだろ? 拓海の幸せを保つことができる。それだけだよ」

「つまり、私があなたを必要とする理由と同じということですか」

「似てるが少し違う。十南の場合は二人が幸せになるため。一方、僕は拓海が幸せになるためだ。あくまでも僕が願ってるのは拓海の幸せであって、十南の幸せではない」


 あー最悪、最悪、最悪。

 これを言うしかないとは分かっているものの虫唾が走る。復讐する相手に幸せになってほしいなどと死んでも言いたくなかった。

 平然と言っている自分を殴りたいぐらいだが我慢するしかない。


「ちなみに拓海のことは出会ってきた人間の中で一番良い奴だと思ってる。だからこそ、幸せになってほしいと願ってるってわけだ」

「そう言うわりには、最近あまり一緒にいなかったじゃないですか。幸せにしたいなら少しでも一緒にいるものですよね? 言動の矛盾をどう説明しますか?」

「別に矛盾も何もないよ。そもそも一緒にいることが幸せという考えが間違ってるし」

「伊東さんは私に一緒いるだけで幸せと言ってくれましたよ?」


 拓海もベタなセリフ言ってるんだなと思い、思わず鼻で笑ってしまった。


「いやいや、それは十南が彼女だからだよ。普通に考えて彼女がいるのに友達と一緒にいる方が幸せなわけないだろ。僕から離れていったのも彼女と過ごす幸せな時間を優先したかったからだろうし」

「なるほど。あなたと一緒に過ごさなくなって幸せな日々を送っているということですね」

「言い方はどうかと思うがそういうことだな」

「幸せな日々を送っているなら、あなたが手を加えることはないと思いますが」

「最近までは僕もそう思っていたが気が変わった。十南のような常識のない彼女がいると知った以上、いつ拓海に迷惑をかけ不快な気持ちにするか分からない。このままでは拓海の幸せが続かなくなってしまう。そう思ったわけさ」


 最後の問題は、発言を信用させる方法についてである。

 口ではいくらでも言える。実行しなければ信用は得られないとのこと。

 今後、僕は十南に常識を教えていくしか道はない。この場を乗り越える代償といったところだ。


「私、そんなに常識ないでしょうか?」

「正直、昨日だけでは判断できなかった。そういう理由もあって、昨日の時点では言うのを躊躇ってたのもある。けど、さっきのお風呂で確信したよ。十南には常識がないってな」

「そうですか。自分では分からないことなので、こればっかりはあなたの意見を信じるしかありませんね」

「はぁ、やっと僕が十南を必要とする理由を理解してくれたみたいだな」

「話下手ということも理解しましたよ」


 十南にだけは言われたくない。

 それに僕は作戦として話下手に話していたのだ。

 徐々に必要とする理由の内容を開示していき、最後には十南を納得までさせた。ある意味、話は上手いと言っていいだろう。


「伊東さんに迷惑をかける可能性があると分かった以上、大人しく必要とされるしかないですね。ですが、教えると言ったからには責任を持ってください。間違ったことを教えたら承知しません」

「ああ、もちろんだ」


 教えてもらう立場なのに、なぜ上からなのか分からないが話はまとまったのでツッコまないでおく。納得してくれたところに水を差したくはないからな。


 これにて無事解決というわけだが、雫先輩には流石の一言に尽きる。多少アドリブを入れた部分もあったが、ほとんど雫先輩の言った通りに話は進んだ。

 ヒヤリとする部分もなく、最初から最後まで主導権を持ち続けて話をしていたことぐらい僕でも分かる。改めて隙が無い人だと実感させられたと同時に、毎回こんなことを考えて会話してると思うと恐怖を感じた。

 今回に関しては、そのおかけで助かったので心の中で感謝しておく。


「あなたって意外と優しい方だったのですね。正直、伊東さんのことをあれほど思い、熱く語るとは思ってもいませんでした」

「それは、その……あんまりそう言うのを口にするのは恥ずかしいだろ」

「私は素敵だと思いますよ」

「そうかよ」


 十南の口角が小さくだが弧を描く。

 初めて見る小さな笑顔が、僕の嘘によって生まれたものだと思うと心が痛む。罪悪感に苛まれ、目を逸らすしかなかった。


「はぁ……」


 話が一段落したこともあり、一気に疲れが襲ってきた。

 体はダルく、頭が重い。軽く寒気と熱っぽさも感じる。

 ここに来て湯冷めとはお風呂を満喫したことを後悔しつつ、とりあえず心だけでも落ち着かせるために残っていた紅茶を飲み干す。


「今から朝食にしますが食べれそうですか?」

「いや、やめとくよ。食欲ないし」

「お粥だけでも食べて薬を飲まないと風邪は治りませんよ?」

「か、風邪? 誰が?」

「あなたがです」


 ――僕が風邪?


 慌ててテーブルにあった体温計で脇に挟む。数秒でピピっと音が鳴り、すぐに体温を確認する。


「37.8度……」

「昨晩は38.4度でしたので、熱は少し下がったみたいですね」

「マジか。てか、何で熱あるのにお風呂なんかに入れたの?」

「お風呂に入るか提案して入ると即答したのはあなたですよ」

「それはそうだが、先に風邪のことを言ってくれても良かっただろ」

「てっきり気付いているものだと。枕の横には畳まれたタオルもありましたし」

「タオル……タオルってそういうことか」


 やっと今朝のタオルの真相が分かったが、天井を見上げたことを思い出して顔の熱が上がる。寝起きの上に熱だと知らなかったとはいえ流石にあれはない。

 十南に見られなかったから良かったものの、見られていれば確実に黒歴史だ。隣で看病してなくて本当に助かった。


「また顔が赤くなってきましたね」

「き、気のせいじゃないか?」

「そんなことはありません。耳まで真っ赤です」

「へ~。自分では分かんないや~」

「分からないのは当然です。それよりお粥を食べて薬を飲み、水分を取って寝てください」

「僕は今すぐにでも寝たいんだが」

「それでは治るものも治りません。寝ているところにスプーンでお粥を入れられたくなければ、大人しく従うことです」

「……勝手にしろ」


 逃げられないことを悟り、背もたれに体を預けて窓へ視線を向ける。

 十南はその行動を見るやいなや丁寧にカップを重ね始め、それが終わるとゆっくり椅子を引いて立ち上がりエプロンを装着。お盆にカップを乗せてキッチンへ歩いて行った。


 その後、お粥を食べるところを監視され、残すことも出来ずに完食。出された市販の薬を水で流し込み、ふらつきながら何とかベッドへ。

 濡れタオルを額に置かれ、十南に見守られながら夢の中へ落ちていった。

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