第14話

「アタシね、空のこと……好きなんだけど」


 ――なっ、何言ってんだよ! 水心!


 そう叫んだはずなのに、言葉が声になってくれなかった。

 現状を全く理解できず、再度試してみるが残念ながら声が出る様子はない。

 声どころか視界も変えれない上、体を動かすことすら出来ない。自分の体が制御不能というのは非常に気持ち悪い感覚だ。


 まずここはどこなのか。それすらも不明。

 視界の九割はぼやけたような真っ白で、目の前にいる水心だけがはっきりと目に映っている。


「僕も水心のことが好きだよ」


 勝手に喋り出す自分に驚きつつも、心のモヤがスッキリするような気持ち良さを感じる。恐らく本人にずっと伝えたかった言葉を言えたからだろう。

 でも、自分で言った感覚はなく、満足感は無かった。


「え、本当!?」

「うん、ずっとずっと好きだった。だから、今とても幸せだよ」

「アタシも幸せ。こんな気持ち二回目!」

「に、二回目……?」

「そうだよ! だから、拓海がいない時に相手してくれる彼氏になってくれないかな?」

「……は?」


 僕の瞼はゆっくり開き、視界に知らない天井が入ってくる。


「最悪な夢だな」


 現状を理解するのに十秒もかからなかった。

 夢とは残酷だと思いながらも、さっきの光景が頭から離れずにいる。別に水心が『好きなんだけど』と言ってくれたことに浸っているわけじゃない。

 僕自身が水心の二番目になったことを自覚していることが許せなかったのだ。


「てか、ここもどこだよ……」


 今、僕がいるのはふわふわベッドの上。昨日食べたショートケーキのスポンジ部分ぐらい柔らかさを感じる。布団はもふもふしていて肌触りが良く、断熱性に優れているのか非常に温かい。枕は首へのフィット感が恐ろしいほど心地良く、目を閉じれば夢の中だろう。

 全て知らない感覚。永眠させる気かと思うぐらいには快適な睡眠空間だ。


 二度寝を回避するため、とりあえず体を起こしてみると、上からバサッと畳まれたタオルが布団に落ちて来た。

 天井を見ていた時はなかったと思いながらも、もう一度天井を見上げるが何もない。不思議に思いつつ、一旦タオルを横へやる。


「……あれ? こんな服、着てたっけ?」


 見るからにもふもふで触ってももふもふな服。羊の毛みたいな素材で明らかににパーカーの素材ではない。なんなら買ったことも身に付けたこともないタイプの服である。

 何となく下半身が少しスース―すると思い、布団を上げて確認してみると……ズボンを履いていなかった。


「なっ、どうなってんだよ!?」

「あ、起きていたのですね。おはようございます」


 扉が開き入ってきたのはエプロン姿の十南。その瞬間、慌てて上げていた布団を下ろす。

 今は下半身を見せるわけにはいかない。死んでも見せたくない。


 今、僕が着ているのは……ワンピース。

 あの上下が繋がっているスカートの服である。

 もちろん僕に女装趣味などない。まず着た記憶すらないし、こんな服は持っていない。


「お、おはようじゃなくて、何でここにいるんだ?」

「ここは私の家です」

「は? 十南の家? 何で僕がいるの?」

「あなたはファミレスで倒れたのです。だから、ここまで運びました」


 確かにファミレスからの記憶はない。


「なぜ家に入れた? 倒れたなら救急車を呼ぶとか、ホテルに泊めるとか、マンガ喫茶に泊めるとか色々あっただろ?」

「どこに連れて行ってもクリスマスの夜だと、かなり迷惑がかかってしまいます。ですので、私の家が最適だと判断しました」

「いやいや、わけが分からない。まず僕を運ぶなんて無理だと思うんだが」


 あの時ギリギリ引っ張ていた十南が僕を運ぶなんて想像できない。いくら何でも無理がある。


「ファミレスからタクシーまではファミレス店員さんに手伝ってもらい、タクシーからこの部屋まではマンションの管理人さんに手伝ってもらいました。皆さん心優しかったのですが、口をそろえて『なんか悪いことしてる気分だね』と言われていたことだけは理解できなかったです」

「そんな雑に運んだのか?」

「いえ、丁寧に運びましたよ。ファミレスで借りた布をグルグル巻きにして、顔にマフラーを巻いて全身を温める工夫までしました」

「そのせいだろ!」

「え? 何か問題がありましたか?」

「いや、その光景はどこからどう見ても僕が死体みたいになってるから」


 あまりその意味を理解出来なかったのか十南は首を傾げている。

 十南なりに考えた行動だったからピンと来ないのかもしれない。

 しかし、よく警察を呼ばれなかったものだ。

 悪いことは一切してないが、見た目の怪しさは半端なかったに違いない。


「分からないならまぁいいや。それよりも僕の服はどうしたの?」

「濡れていたので洗濯しています」

「つまり、着替えさせたと」

「はい。パンツは脱がしていませんよ?」

「当たり前だ!」


 風邪を引かないために着替えさせてくれたことは有難いが、同年代の異性を着替えさせるのに抵抗はなかったのだろうか。

 ある意味、パンツ以外の裸は見たわけだし、もう少し僕と顔を合わせて恥ずかしがっても良いと思う。むしろ恥ずかしがってほしい。

 こっちが意識してるのがバカみたいだからな。


「それでこの服は何? 他になかったのか?」

「他にもありましたよ。でも、他人の服を選ぶ習慣がないため、何を着させたらいいのか分からず上野先輩に電話したのです」

「結果、この服が選ばれたのか」

「そういうことです。そちらの服は以前、上野先輩に貰い、まだ着ていなかったという理由で採用されました」


 絶対にそんな理由じゃない。雫先輩がそんな理由で選ぶわけがない。

 これだけは断言できる。あの人は敢えてこの服を選んだ。


「後で雫先輩に電話できるか?」

「もちろん。今も出来ますがよろしいのですか?」

「いや、先に着替えたい。今すぐ着替えたい」

「残念ながら服はまだ乾燥中です。恐らく後40分はかかると思います」


 正直、後40分もこの服でいるのには耐えられない。見られなかったらいいとかの問題じゃないのだ。

 僕のプライドが許さないという何と言うか。とにかく嫌である。


「一応、お風呂が沸いていますがどうしますか?」

「入る!」

「分かりました。では、ついてきてください」


 すぐに背を向けて歩き出す十南。

 僕は急いで布団を体に巻き、足元に注意して立ち上がる。

 着替えさせられた時に、この姿を見られているからといって意識のある状態では絶対に見られたくはない。恥ずかしくて死ぬ。

 

 それにしても、間髪入れずに『入る!』と答えてしまったが、人の家のお風呂に入るというのはいかがなものか。それも女性の家のお風呂だ。

 幼馴染の水心は家族ぐるみの付き合いだから気にならないが、十南は全然違う。昨日出会ったばかりの彼氏持ちの女性。なかなかギリギリのラインな気もする。


「本当にお風呂いいのか?」

「構いません」

「ならいいが、嫌だったら言ってくれていいからな」

におう方が嫌です」

「そ、それはそうだな……」


 僕ってくさいのかと心配になり、思わず顔を歪めて言葉を詰まらせる。軽くクンクンと体を匂ってみたが、服が良い匂いということしか分からなかった。


「そんなに寒いですか?」


 お風呂場に着いたらしく、振り返ってこちらを見るなりそう聞いてきたので「ああ」とだけ答える。嘘ではないのでいいだろう。


「でしたら、ゆっくりと温まってください」

「お言葉に甘えて、そうさせてもらうよ」

「はい。何かあればお風呂の呼び出しボタンで呼んでくださいね」


 それだけ言うと落ち着いた足取りでこの場を後にした。

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