第9話

「はぁ……」


 数分後、僕の大きく重々しいため息が静寂を切り裂いた。

 長々と黙っていたのは意地悪ではない。シンプルに頭を整理する時間が欲しかった。それだけだ。

 決して雫先輩に無駄な時間を過ごさせてやろうなどとは思ってない。

 むしろ痺れを切らして帰ってしまうことを恐れていたぐらいだ。

 あっさりと椅子に腰を下ろした後、スマホを取り出したので、その心配も特になかったが。


 このまま帰ったところで多くの不安が残る。本人もそれを理解しての行動だろう。

 温泉サークルという本題を出した以上は最後まで話し合うしかない。

 今のシナリオが計画通りにしろ、計画にはなかったにしろ。どちらにしても、やっと一方的な会話ではなく、まともな会話が出来そうだ。


「活動費のために何であそこまでしたんですか?」

「やっと喋った〜と思ったら、いきなり質問って」

「何か文句ありますか? 答えないなら黙りますよ?」

「あー、はいはい」


 待ちに待ったと言わんばかりの表情を見せ、スマホから僕の顔に視線を移す。


「大した理由じゃないよ。シンプルに予定が狂った結果ああなっただけで」

「予定が狂ったとしてもあそこまでやるとは思えませんけどね」


 冷静で余裕のある雫先輩だ。予定が思い通りに行かなかっただけで、暴行に近しいことをするとは到底思えない。何かしら裏があると考えるのが妥当だろう。


「ウチも最初はあそこまでするつもりはなかったよ。さっきのナギちんの反応見てれば分かるでしょ?」

「まぁ、はい」

「普通に考えて初対面で印象悪くするなんて損しかないしね」


 胸倉を掴まれる前から印象は良くないですよ、という言葉は胸の奥にしまっておくことにする。


「それでも、活動費のためにはあーするしかなかったと言ったら?」

「雫先輩ほどの人間の判断としては理解に苦しみますね。そもそも活動費のためなら他を当たれば良かった話ですし」


 あくまでも温泉サークルが求めているのは、この大学に通う人。その条件さえ満たせば、正直言ってメンバーは誰でもいいだろう。決して僕である必要なんてない。むしろ僕だと都合が悪いまである。


 温泉サークル。その名の通り温泉に行くに違いない。だが、温泉という場で女性の中に一人男性がいると扱いが難しくなる。多くの場合で行動を別々にせざるを得なくなるからだ。

 そう考えた時、メンバーとして適しているのは女性。男性である僕がメンバーに入るのは論外と言える。


「そうだね、ウチの大学の生徒数は数千人。代えなんていくらでもいるわけだし、わざわざあんな真似するぐらいなら、他の生徒を当たった方が賢明な判断だね~」


 全て理解した上でのあの判断と行動。


「つまり、活動費のためではなく、他の理由があるってことですよね?」

「そういうこと!」

「じゃあ、その理由って何ですか?」


 質問を耳にした雫先輩が少しだけ口角を上げた。

 嫌な予感と悪寒が体中を走るが、聞かないという選択肢はないので言葉を止めることはできない。覚悟を決め、息を呑み言葉を待つ。


「ここにいる三人がソラちんを必要としたからだよ」

「……ぼ、僕を? 必要に?」


 予想外の言葉に思わず自分で自分を指差すと、目の前にいる雫先輩も「そうそう、僕だよ僕」と指差してきた。

 信じられない回答に戸惑いながら、信用ならない雫先輩以外の二人に視線を向ける。凪姉は柔らかい笑みを浮かべ首を二度縦に振り、十南は変わらぬ表情で一度頷いた。


「ウチらもサークル活動をしたいからって、流石によく分からない人間をメンバーにしたいとは思わないよ~」

「それを初対面で言われも説得力の欠片もないというか……」

「ぷっ、それもそうだね。でも、ウチらからすれば、ソラちんは初対面であり初対面じゃない存在なんだよ。本気で必要にしたいと思えるぐらいにはね」


 サークルメンバーどころか友達でもない初対面の人から、本気で必要とされているというのは何とも複雑な気持ちだ。ぶっちゃけ言えば気持ち悪い。


「もしかして困らせちゃった?」

「今更そのセリフはないですよ」

「他に困らせた記憶ないもん~」

「はぁ、まったくこの人は……」


 お得意のとぼけ面を見せるので、僕は首を軽く傾けて肩をすくめた。


 会話は順調に進んでいるとはいえ、内容の方はイマイチ進みが良くない。

 端的に言ってくれない雫先輩が原因なのだが、それも計画の一つだと考えている。

 実際に会ってみてどういう人間か改めて探りを入れていたと考えれば、ある程度は納得がいく。だが、それも本題を話し始めているということは満足したに違いない。

 お互いの特徴を把握し始め、距離は少なからず近付いた。もう一歩踏み込んだ話をしても良い頃合いだろう。


「それで必要にする理由ってなんですか?」

「え~言いたくない」

「金づるやパシリとして使うからですか?」

「あーそれはルナちんだから安心して~」

「え?」


 とんでもないことを平然と言うもんだから眉をひそめる。

 横目で軽く十南の様子を伺うが、気にした様子はなく長いまつ毛を下ろしていた。


「じょ、冗談ですよね?」

「うん、冗談だよ~」


 おい、よくも息するぐらい自然に嘘つけるな。

 しかも、笑えない嘘を。面白くないし心臓に悪い。

 十南も十南である。無反応だと逆にリアルだ。


「ホント冗談も程々にお願いしますよ。凪姉も注意してください」

「そう言わてもぉ、わたしは面白いと思っちゃったしなぁ~」

「ということらしいぞ、ソラちん」


 ニヤケ面で胸を張り堂々とする雫先輩。

 笑いのツボおかしいよ?とでも言いたげな様子だが、僕は敢えて何も言わずに首を左右に振る。唯一分かり合える人だと認識し始めていた凪姉が、まさかこの冗談を面白いと言うとは思ってもみなかった。

 正直、凪姉には少しガッカリしたが、恐らく今のが普段のノリなんだろう。


「そんな冷たい目でウチを見るのは止めてほしいな~」

「なら、今後は笑えない冗談を言うのを止めることですね」

「えー、ウチなりのもてなしだったのに~」

「もてなしは充分ですよ。そろそろに話してもいいと思いますが」


 一部強調した言葉に何か察したのか雫先輩は姿勢を正して脚を組み替える。


「そうだね。ソラちんのご希望通り真面目な話をしよっか」


 ゆっくりとグラスを手に取り、二度回して半分ほど口に流し込む。静かにグラスを置き、改めてこちらに向けた顔は真剣そのもの。

 ついに話す気になったと思って問題なさそうだ。

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