第4話

 ――パンッ! パンッ!


「「メリークリスマス!!」」


 大きな破裂音が二つ。

 暖かい空気が体を襲い、テンションの高い声音が鼓膜を突き刺した。

 天からはカラフルな紙吹雪がひらひらと舞い、頭の上や服、地面に落ちる。


 ――なに、これ……


 驚きのあまり口は開くが声は出ず、固まったまま視線だけをゆっくりと動かす。

 最初に目に入ってきたのは、大きく書かれた『Merry Christmas』の文字。壁は折り紙や色鮮やかな風船で装飾が施され、部屋の端には小さなクリスマスツリー、机の上にはショートケーキと赤紫色の液体が入ったグラスが置いてある。


「お~い! 反応悪いぞっ!」

「ほんとにねぇ~」


 不満そうな目でブーイングのポーズをしながら、女性二人がこちらに寄ってくる。

 一人は胸元や脚を露出したセクシーなサンタクロース衣装を着た女性。もう一人は着ぐるみタイプのトナカイ衣装を着た女性。

 二人とも手にはクラッカーの抜け殻を持っている。


「え、えーっと……状況が全く把握できないんですが」

「どこからどう見てもクリスマスパーティーでしょ!」


 サンタクロース先輩は「ほら、持って」と胸元から取り出したクラッカーを僕の冷たく固まった手に乗せ、同じく胸元から取り出したサンタ帽子を頭に被せようとしてくる。

 その胸元は異次元ポケットか!とツッコミそうになったが、今はそんな状況ではない。


 現在、僕の顔にサンタクロース先輩の胸が迫ってきている。サンタ帽子を被せるため、僕の頭に手を伸ばしているのが原因だ。すぐにでも離れるべきだろうが、残念なことにまだ体は動かない。加えて、胸元から目を離せない魔法までかけられてしまった。


 小さく揺れる上乳と吸い込まれそうな底見えない谷間が、完全に僕の目を支配している。体は冷え切っているというのに、下半身の一部だけが熱を帯びようとしていた。


「よし、似合ってるね! って、ソラちん大丈夫? 魂ここにあらずって感じだけど」

「勝手に殺さないでください。それを言うなら、心ここにあらずですよ」


 サンタ帽子を被せ終わったようで、いつまでも胸元を凝視しているわけにもいかず、顔を上げるとサンタクロース先輩が心配そうにこちらを見つめていた。

 表情を見る限り今の一連の行動を意図的にやった感じはない。だからこそ女性は恐ろしい生き物だと心底思う。

 異性の幼馴染と長い間一緒にいたおかげで、それなりに耐性はあるが見えるものは見てしまう。男性の本能だろう。


「あーそれそれ! ソラちんよく分かったね〜」

「分かりますよ。それよりその……ソラちんって何ですか?」


 反応せずにはいられない呼び方。謎の『ちん』の存在。

 もっと気になるのは僕の名前を知っていることだが、僕を連れてくるように言っている時点で、ある程度の情報は持っていると考えるべきだろう。


「ソラちんはね、ウチが付けたあだ名だよ! 可愛いでしょ!」

「は、はあ……」


 目を塞ぎたくなるような眩しい笑みを目の前に、可愛くないという本音は言えず、とりあえず頷きながら中途半端な反応する。

 初めてのあだ名が下ネタっぽいのはしゃくではあるが気にしている暇などない。


 今、最も大切なのは状況を理解すること。

 そのためにはある程度のことを無視するのも必要になってくる。

 深掘すればするほど、話は逸れて行く。それだけは避けたい。

 それに誘拐の線が消えたわけじゃないので、目の前に広がる愉快な光景を見ても恐怖はそれなりにある。油断させたところを狙っているのではないかとずっと警戒しているぐらいだ。


「えっと、どこやったっけな。ソラちんのクリスマス衣装は――」

「あっ、あの!」


 楽しそうに独り言を呟きながらスキップするサンタクロース先輩に、勇気を出して話しかけると怖いほど足がピタッと止まった。

 そのままゆっくりと振り返り、不思議そうに首を傾げる。


「ん? ウチ?」

「はい。そろそろちゃんと説明してくれませんか?」

「何を?」

「この状況をです」

「え、また?」

「いや、まだ何も現状について話してもらってないんですけど……」


 いきなりストレートに聞いたものの、この返答の冷たさには背筋が凍る。

 攻めすぎたかと若干後悔しているが、もう後戻りは出来ない。


「だからさ〜、クリスマスパーティーって言ったじゃん?」

「流石にそれは信じられません。本当は……ゆ、誘拐じゃ……」


 それを耳にした瞬間、サンタクロース先輩は目を見開き「誘拐!?」と大声を出して、ダッシュでこっちに寄ってくる。その物凄い勢いに圧倒され、僕は反射的に息を止めて体をのけぞった。

 距離が近くなったことにより、また視線が胸元に吸い込まれそうになる。しかし、収まらない勢いのまま「どういうこと!?」と聞かれたので「実は……」とここに来るまでの経緯の説明を始めた。


「ルナちん……」

「私は上野うえの先輩に言われたようにしただけですよ」


 経緯を聞いたサンタクロース先輩にジト目を向けられ、十南は目を逸らしながらそう言う。

 数秒経っても静寂のまま視線を向けられていたことが居心地悪かったようで、逃げるように部屋を歩き始めた。


 手に持っていたコートとマフラーをゆっくりとハンガーにかけ、手袋をバッグの中に丁寧に仕舞い、下を向いたまま長いまつ毛を逸らして部屋を一瞥。

 落ち着かないのか暖かさそうなベージュ色のセーターを指先で弄る仕草を見せ、黒色のズボンに付いた埃をパンパンと払う。


「はぁ」


 変わらない現状に耐えきれなかったらしく、小さくため息を一つ。近くにあった一人用ソファーに座って口を開いた。


「会えば興味を持って勝手についてくる」


 それだけを言うもんだから、みんな理解できずに首を傾げる。

 本当に話下手だなと思いつつ、次の言葉を待つがすぐには出ない。


 ――いや、わざと出さないでいる?


 そう思ったのは、先ほどと変わらず無表情ではあるが、何かを待つようにまばたき一つせずに口許を強く結んでいたからだ。

 少しの沈黙を挟み、諦めたように瞼を数秒閉じ、ゆっくりと開けて話を再開する。


「これは上野先輩が私に告げた言葉です」

「え、そうだった?」


 十南は、とぼけるようにそう問うサンタクロース先輩の瞳をジーっと凝視し、重々しく「はい」と返答。まるで、あなたが原因なんですよっと言っているかのよう。

 恐らくさっきの沈黙は原因である本人が名乗り出るのを待っていたに違いない。


「最初は上野先輩が言った通りにことは進みました。しかし、途中で問題が発生したのです」


 いきなり鋭い視線がこちらに向く。

 予想外の出来事に体をピクリと跳ねさせ、思わず「ぼ、僕!?」と大きな声で反応してしまった。


「そう、あなたです。あなたが急についてこなくなったのです。目を泳がせ、駄々をこねる子供のように一向に動こうとしない。これでは言葉を交わしても連れて行くのは困難だと判断し、あのような面倒で労力を使う方法を取ったのです」


 つまり、十南は予定が狂ったから強引に連れて来たと言いたいのだろう。

 サンタクロース先輩が原因ではあるが、僕はその要因のようだ。


 決して口にはしないが表情、態度から『私は悪くない』という言葉がひしひしと伝わってくる。瞳では『あなたが悪いのでしょ』と訴えかけてきているが、今すぐにでも要因の僕ではなく、原因のサンタクロース先輩に向けて欲しいものだ。


「それはソラちんが悪いね~」

「えっ、何言ってるんですか!? さっき十南が誘拐紛いな発言をしてたってこと説明しましたよね?」

「いや、計画通りに動かない方がダメだよ~。そのせいでルナちんはかなり困ってたみたいだし~」


 僕側だったサンタクロース先輩は掌を返し、それどころか先手を打ってきた。

 十南の意見に賛同して擁護するような発言をするまでの流れは恐ろしく自然で、一瞬にして僕が悪いみたいな雰囲気に。

 その発言が好都合であったと言わんばかりに、十南は無表情に戻り瞼を閉じて僕から視線を逸らした。

 もちろんこれには納得できず、僕は咳払いして反論を口にする。


「滅茶苦茶なこと言わないでください。僕は計画とか知りませんし。そもそもの話、サンタクロース先輩が適当なことを言ったのが全ての始まりですよね?」

「ぷっ、さ、さささ、サンタクロース先輩ってウチ!?」


 呼び方が面白かったのかケラケラと笑いながら聞いてくるので、不満気に「そうですよ」と答える。名前を知らないのだがら外見的特徴で呼ぶしかない。それに僕の中ではずっとサンタクロース先輩と呼んでいた。


「あーソラちんホント面白いね~」

「はぁ、どこがですか。バカするのも程々にしてください」

「もーごめんって。そんなに怒らないでよ〜」

「別に怒ってないです」

「それならいいけど。それでウチが全ての始まりとか何とか……何だっけ?」

「サンタクロース先輩が十南に適当なことを言ったのが全ての始まりと言ったんですよ」

「そーだったそーだった。まぁ計画を立てたのも、指示したのもウチだし。ソラちんの言ってることはあながち間違ってないかな〜。なんなら正解かも~」


 拍子抜けするぐらいあっさり自分が原因だと認めた。ただその表情はにこやかで大人の余裕を感じる。

 だからどうしたの?と言わんばかりの堂々とした態度。計画を立てた時から自分が原因になる可能性があることぐらい百も承知だったのだろう。


 笑って喉が渇いたのか、グラスに入った赤紫色の液体を軽く回して一気に喉に流し込む。そして満足そうな笑みを浮かべ、グラスに付いた口紅の後をペロッと舐めて静かに机に置いた。


「でもさ、最高のクリスマスプレゼントになったでしょ? ソラちん!」

「そ、それは……どういう意味ですか?」

「えっと、そうだね。って言えば分かるかな~?」


 わざとらしく一部言葉を強調しながら、そう言うサンタクロース先輩。

 僕の顔をジーっと楽しそうに見ながら、歯は出さずに口角だけをこれでもかと言うほどに上げた。

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