第2話
瞼を開けると瞳の先には、誰が見ても息を呑むような小さな美少女が膝を抱え、こちらを不思議そうに見つめていた。
大きく透き通った綺麗な瞳に、人形職人が手掛けたような整ったまつ毛、月光に輝く艶やかな黒色ショートカットヘア。
その姿はどこからどう見ても、高校時代の水心そのもの。
僕の口から水心の二文字が出ることは不思議ではなかった。
「み、水心?とは誰でしょうか?」
「誰って、は? 記憶喪失にでも――」
「私は
「えっ……はぁ!?」
聞いたことのない名前を耳にして我に返る。
あまりにも似てたとはいえ、高校時代の水心と間違えるのは重症。今の水心がこの姿ではないと知ってないならまだしも、知っていたのだから尚更だ。
信じられない間違えをしただけあって、襲ってくる恥ずかしさは強く、居ても立っても居られず、地面に預けていた体を慌てて起き上がらせた。
「「いったぁ!!」」
十南の顔がすぐ傍にあったこともあり、僕の顔と激しくぶつかる。
額と額。寒さもあり、頭にジーンっとした痛みが走る。二人とも痛みのあまりすぐに言葉が出ない。ただただ静かに険しい表情で向き合う。
大学生二人がクリスマスの雪空の下で、額を抑えて痛がる光景はこの世でここだけだろう。何とも奇妙な光景が広がっている。
数分後、やっと痛みが引いてきた。
「ご、ごめん」
「いえ、私がこんな場所に顔を置いていたから……」
「それは違う。今のは僕が一方的に悪い。心配して声をかけてくれたのに冷たい態度を取り、人違いまでして、挙句の果てには事故とはいえ頭突きをしたんだ。言い訳のしようもないよ」
最高のクリスマスプレゼントが天から降ってきたと勘違いした僕のせいで、知らない美少女を困惑された上に傷付けてしまった。
僕を思って声をかけてくれていたと知っているだけに罪悪感が凄い。
「そんなに責任を感じないでください。そもそも私がクリスマスぼっちの女性……あ、男性に声をかけてしまったのが原因です。あなたは一人悲しく、誰も来ないであろう大学の屋上で現実逃避をしていたというのに」
「えっ、あ、ああ、そう……だな」
十南はぶつけた額から右手を離し、潤んだ瞳をこちらに向けて淡々と言葉を並べる。
意図的かそうではないかは分からないが、凄く失礼なことを言われたことは確かだ。言っていることは何一つ間違ってないので、僕も否定できず肯定してしまったが、言葉は選んでほしいところである。
地味に心に刺さったと言うか、波動のように何重にも頭に響くと言うか。今年のクリスマスに一番聞きたくなかった言葉を受けたことだけは分かる。
イライラという感情はなく、完全に心を打ち砕かれてしまったという感覚だ。
「なぁ、十南は何しにこんな場所に来たんだ?」
「ここは寒いですし、屋内に入ってもよろしいでしょうか? あなたも濡れた服で外にいては風邪を引いてしまいます」
「それもそうだな」
背中を向けて歩き出した十南は、両腕で体を抱えてブルブル震えている。怯える小動物のような姿に、何だかおかしくて鼻で笑ってしまった。
十南がそれに気付いた様子はない。僕は何もなかったように小走りで横に並ぶ。
「寒いのは苦手か?」
「見ての通り苦手というか嫌いです」
「なら、こんな場所に来なかったら良かったのに」
雪降る夜。気温は氷点下でもおかしくはない。
苦手どころか嫌いと言い切ったぐらいだ。
今頃、僕のもとに来たことを後悔してるに違いない。
「これは積もる雪だな……」
極寒の屋外とはおさらばし、屋内に入って全身に付いた雪を払い落す。
一方、十南は分厚いコートにもふもふのマフラー、皮の手袋という完璧な防寒対策をしてたこともあり、頭とマフラーに乗った雪を軽く払い、すぐさま廊下を歩き出してしまった。
屋外に比べて廊下は暖かいが、長時間いたいと思える寒さではない。恐らく十南が向かう先に暖を取るものがあるんだろう。優先順位は僕より暖のようだ。
「おい、置いてくなよ」
「え? ちゃんと歩きながら待ってましたよ?」
「それは待っているとは言わない」
はぁ……とため息をつき、コーヒーが入っていた紙コップを握り潰して、近くにあったゴミ箱に捨てる。
「で、そろそろさっきの質問に答えてくれないか?」
「私が屋上に来た理由ですね」
「そうだ。僕も暇じゃない」
「暇じゃないなら屋上にはいないと思いますが」
もっともなことを言われ、横目で十南をチラっと見るが無表情。
煽った表情や笑みを浮かべてくれた方がマシだと思いながら眉をひそめる。
「そもそも私は一言もあなたに用があるとは言ってませんよ? 今、あなたが私について来ているのは、あなたが私に興味を持ったから。違いますか?」
眼孔を大きく開き、咄嗟に「違う」の二文字が出そうになったが、喉元まで来て急ブレーキをかけたように止まる。正確には意識的に止めて口許を力強く結んだ。
煽ったような発言ではあったが、言っていることはその通り。
実際、十南は用があるとは一言も言っていない。僕が勝手に屋上に来た理由が気になり、ここまでふらふらとついて来ただけ。
――僕は一体……何をしてるんだろうか。
歩幅は徐々に短くなり、僕の足はゆっくりと止まった。濡れた僕の体からは水滴が零れ落ち、静かな廊下に水音が響き渡る。1回、2回、3回と水滴は落ち、僕の真下に小さな水溜りが出来始めた頃、やっと数メートル先にいる十南が振り返った。
「私が屋上に来た理由、知りたくないのですか?」
「知りたいように見えるか?」
「はい、見えます」
「本気でそう言ってるなら眼科に行った方がいい」
「視力は両目2.0です。問題ありません」
「そういうことを言ってるんじゃない」
これを真剣に言ってるなら、かなりのクセの強さだ。ふざけた様子を見せないあたり笑いのセンスまで感じる。
「よく分からない方ですね。素直に知りたいと言えばいいのに」
「じゃあ素直に言う。知りたくない」
「なぜです? 先程まで興味津々だったじゃないですか」
「僕に用がないなら屋上に来た理由を聞く必要もないだろ?」
「私は用がないとも言ってませんよ?」
「どっちなんだよっ!」
思った以上に大きな声が出たが、十南は動じるどころか無表情のまま。
何とも言えない空気が流れ、水滴が落ちる音と電球のブーンという音だけが廊下を支配する。数秒の沈黙の後、十南がゆっくりと歩き出し、僕の前で足を止めた。
「はぁ……寒いのが嫌いな私が防寒対策までして、あの場所に意味もなく足を運ぶとでも思っているのですか。少し頭を冷やしすぎたようですね」
呆れたようにそう言い、ポケットからカイロを取り出して差し出してくる。
全く予想してなかった展開に固まっていると、十南は僕の右手に無理矢理カイロを置き、「ボーっとしないでください」と一言。
「……温かくないな……」
蚊の鳴くような小さな声でそう呟き、ほんの少しだけ口角を上げる。
僕の冷え切った手では、貰ったカイロの温もりは感じられなかった。
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