41. あだ名
「ねーねー、シンドーくんってなんかあだ名とかってある?」
7月に入って数日が経ったある日。
昼休みにスマホで『筋肉痛 なくならない なぜ』で検索してたら、体育祭の疲れを毛ほども感じさせない
体を固定したまま声だけで返す。
「バイト先だと『シン』とか『シンちゃん』って言われてるな」
「へー!」
「シンちゃん……」
「『シンちゃん』って、まるでどっかの園児みたいだな」
「俺もそう思う」
「シンドーくん、そういう時は『アイ スィンク ソー』だよ!」
「あん?」
得意げな顔の柏木は、どこぞの偏屈な敏腕弁護士のように人差し指をピンと立てた。
「知らないの?英語で『私もそう思う』の意味だよ!」
「いやそれは知ってるけど」
「はい、リピートアフターミー!『アイスィンクソー』!」
「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」
「えっ!?えっ!?なになになに!?!?」
「同じような意味だよ。柏木はなんかあだ名とかあるのか?」
めんどくさいダル絡みを呪文で跳ね返し、有無を言わさず質問を返却する。
「んん……??まいいや。それがさぁ、アタシってあだ名とか全然無いんだよね~」
「え?『ハルカエモン』ってあだ名あったじゃ、んむ」
「ナギ、ビークワイエッ」
俺の呪文よりも格段にヘンテコな単語を発した星乃は、すかさず柏木の手に口を封じられた。
謎のあだ名に広樹が首を突っ込む。
「なんだ?『ハルカエモン』って」
「え?何のこと?What are you saying?」
柏木はすこぶる良い発音で洋画っぽく肩をすくめる。
なんで今日こんなにイングリッシュスタイルなんだ柏木は。もうすぐ期末テストが近いから英語脳の暖機運転でもしてるのか?
「いや今星乃さんはっきり言ったじゃん『ハルカエモン』って。めがっさ気になるんだが」
「アイスィンクソー」
「うぅぅ……ナギ、今度ぷにぷにの刑」
「なんでよ、
「アイスィンクソー」
「うるさい!!シンドーくん!!」
柏木ティーチャーの教えを忠実に守っていたら、赤い顔で一喝されてしまった。
おぉ……珍しく怒ってらっしゃる。いつもニコニコヘラヘラしてる柏木にも怒の感情はあったんだなぁ。
怒を通り越した柏木は、哀の雰囲気を醸し出しながら話す。
「はぁ……ホントに説明しないとダメ?」
「別に俺はそこまで」
「俺は気になる、陽花のハルカエモン誕生秘話。ハンカチとか要る?」
「ウザ……。ねぇシンドーくん、ヒロキくんを殴っても許される法律とかないの?」
「残念ながら。でもバレなきゃ犯罪じゃないぞ」
「よし……」
「よしじゃねえよ。やめろ、座れハルカエモン」
「っ!?コロスッッ!!!!」
「おぉっ!?!?」
殺気を感じた広樹は脱兎の如く教室を飛び出し、鬼人柏木はその後を全速力で追いかけた。ガダンと扉が鳴った後、彼らの走る音が遠ざかっていく。
高校に入ってもう3ヶ月経つのに、全然中学生のままだなあいつら。
「で、『ぷにぷにの刑』ってなんだ?」
「そ、そっち?」
「『ハルカエモン』は別に。柏木が某猫型ロボットのモノマネしたら結構似てたとか、そういうオチじゃないのか」
「
「当たりかよ」
テキトーな推理をかましたらジャストで正解だったらしい。
一応もう一つの推理として、昔の柏木がずんぐりむっくりな体型だったからっていう線も考えたが、そういう悪意の入ったあだ名を星乃がここで蒸し返すとは思えなかった。
「まぁなんかそこら辺な気がしたわ。で、『ぷにぷにの刑』ってなんだ?」
「すごい聞くじゃん……。普通にただ陽花が私のほっぺいじるだけだよ」
「いつもやってることじゃねえか」
「まぁね。でも刑って言ってからやるとちょっと長いんだよね。ちゅーとかされるし」
「そ、そうか……」
星乃の口から『ちゅー』という単語が飛び出してドキリとする。口づけしたらそれはもう『ぷにぷに』の範囲外では……?
しかし、星乃の口ぶりからして激しくそのスキンシップを嫌ってる様子はない。本当に仲良いんだなこの2人。いや、ちょっと良すぎないか……?
少女達の深すぎる友情を知った数分後、廊下の奥から学年主任と思われる教師の怒号が飛んできた。おそらく広樹と柏木が一喝されたのだろう。
そりゃそうだ、子供以上大人未満の高校生がもし全速力でぶつかったりしたら、取り返しのつかない事故になる可能性が大いにある。
怒られたおバカ達は素直に教室に帰ってきて、二人仲良く自分の席に座った。
戻ってきた彼らは、教師から大目玉を食らったショックですっかり意気消沈している───様子はまるでなく、「あっち~」と言いながら呑気に手で顔を扇いでいた。反省の色、0である。
襟元をパタパタさせて熱を逃がしている柏木に尋ねる。
「それで、なんで地雷を引っ提げてまであだ名の話題を出したんだ」
「だからさ~、アタシは変なあだ名しかないから、みんなはどういうの持ってるのかなーって」
「なるほどな。だってよ『ヒーローキング』」
「うわなっつ、小学生の時かそれ」
「あはは!!ヒーローキング!ダッサ!あはは!!」
「は?なんでだよ、かっけぇだろ!」
「かっこよくはねえよ」
「えっ………?」
俺の評価が意外だったのか、広樹は時が止まったみたいにピタっと硬直した。
そして、縋るように星乃の方を見る。
「星乃さん!ヒーローキング、かっこいいよね……!?」
「え、えーと……」
「『人には人の感性があるから、
「なんで
「いや、星乃ならこう言いそうだなって」
「じゃ、じゃあそれで……」
「うっ……!!全く興味なしの感触がヒシヒシと伝わってくる……っ!!」
誰にも理解されなかったヒーローキングはガクっと項垂れた。
中学に入ってから誰もそのあだ名で呼ばなくなったことを、こいつは一度も疑問に思わなかったのだろうか。
「ちなみに星乃はあだ名とかある…………なんでそんなニヤニヤしてんだよ」
「えっ?」
孤独なヒーローを放置して星乃のあだ名を聞いてみようと隣を見たら、星乃は何か喜びを噛みしめるように頬を緩ませていた。
「し、してないよ?」
「いやしてるぞ。ニヤニヤというかニマニマというか。なぁ柏木」
「アイスィンクソゥ。どうしたのナギ~、ご飯美味しかった~?」
柏木は慈しむような声と表情で星乃の頭をナデナデする。赤ちゃんじゃねえんだから。
たまに見るイタズラめいたニヤつきではない頬の緩み方をしてる星乃は「や、やめてよ……」と言いながら、恥ずかしそうに柏木の手をそっと払った。
「そ、それで神道くん、何聞こうとしたの?」
「あぁ、星乃はなんかあだ名とかあるのかなって」
「んーっと」
「ナギはねー……無い!」
星乃の言葉に覆い被せるように介入した柏木は、再び人差し指をピンと立てながら断言した。
コーラを飲んで復活したヒーローキングが尋ねる。
「陽花が呼んでる『ナギ』っていうのはあだ名じゃないのか?」
「ナギはナギだもん」
「それはつまり?」
「ナギだからナギだもん」
「その心は?」
「ナギなんだからナギなんだもん」
「したがって?」
「ナギでいいからナ」
「やめろお前ら。地獄みたいな会話をするな」
バカ二人の知性の対極にありそうな会話をインターセプトする。
テスト前にバカを移されたらたまらない。
「私は好きだよその呼び方。陽花らしいって感じするし」
「えへへーそうでしょ~、分かってるね~ナギ」
理解者の言葉に柏木はさっきの星乃以上にニヤニヤする。
その反応を楽しむかのように、星乃は柏木の頬を指でツッツキだした。あ、ぷにぷにの刑だ。
「でもたしかに、星乃さんはあだ名じゃなくて『星乃さん』って感じがするなー」
「うん、よく言われる」
広樹の言葉に星乃が頷く。その仕草に、どこか寂しさみたいのを感じた気がした。
広樹はそういうつもりで言ったのではないだろうが、あだ名を付けにくい人って少しとっつきにくいっていうイメージにも繋がりがちだから、星乃はその辺りのネガティブなものを感じたのかもしれない。星乃は全然そんなことないのにな。
せっかくだからちょっと考えてみようかな。こういうネーミング力はセンスだからな。センスを磨くのは大事だ。
未だぷにぷにの刑を続行してる女子達を眺めながら思考を巡らす。
あだ名の誕生ルートは色々あるけど、『シンちゃん』『ハルカエモン』『ヒーローキング』と来てるから、名前から派生した方がいいかな。
『星乃』から連想すると『ホッシー』とか『ホシちゃん』とか、なんかありきたりなネームになりそうだから、やはりここは下の名前の『
渚紗………渚…………あっ、『バルコニーちゃん』とか『シンドバッドちゃん』はどうだろう。往年の名曲の力も借りてあだ名の深みもアップ的な。
……ん?シンドバッド………神道バッド…………あぁっ!?俺と星乃の意外な共通点が!?
「蓮がものすごいくだらないこと考えてる顔してる」
「……くだらなくはない」
「何考えてたの?」
「いや……星乃のあだ名とか」
「え、なに、聞きたい」
「えっ」
やべ、どうしよう。バルコニーとかシンドバッドとか言っても絶対通じないぞ。ていうかそんなギャグみたいなこと言ったら、最悪名前で遊ぶ不届き者としてシンプルに怒られる。
でもだからといって、こんな期待の目をしてるナギさんに『星乃』から連想したありきたりのをぶつけるのは…………。
「………ナ、『ナギエモン』……」
「……………却下」
お笑いの王道『天丼』の効果を期待して言ってみたが、信じられないぐらい星乃の表情から温度が消えた。ハズレ中のハズレの答えだったらしい。
冷えた星乃を見て柏木が声を上げる。
「ほらーーー!!ナギもそういう反応するじゃーーん!!」
「ごめんね陽花、呼ばれると想像以上に微妙だねこれ」
「でしょー!?」
「そんなにか……」
「だって、『シンエモン』って……どう?」
「………うーん」
「あははー、神道くんも苦虫〜」
「ちゃんと噛み潰せよ……俺は虫じゃない」
一連の会話を聞いていた広樹が口を開く。
「たしかになぁ、俺も『サノエモン』は微妙だなー」
「「「………」」」
ヘラヘラ笑いながら話す言葉に、俺達3人は思わず一瞬口をつぐんだ。
「サノエモン……別に良くね?」
「うん。漢字だと『佐野右衛門』でバランスもいいし」
「ヒーローキングより100倍良い〜」
「え……?俺がズレてるの……?」
「俺達がズレてるか、広樹がズレてるか。真実は一つだサノエモン」
「そーだそーだー。サノエモーン、道具出してよー」
「え~?それはキミの役目だよハルカエモ~ン」
広樹が禁句を言い終わると同時に2つの椅子が大きく鳴った。
教室に入ろうとしていたクラスメイトとすれ違いながら、彼と彼女はトップスピードで駆けていった。
教師の怒号が到着するのは何秒後かなぁ。
「神道くん」
「うん?」
嵐を見送った後すぐに隣から声が掛かる。
そちらを振り向くと、星乃はまっすぐ俺を見据えていた。
そして、とても澄んだ瞳と真剣な表情で──
「『ナギエモン』はやめてね」
「釘刺さなくても分かってるよ……」
「ふふ」
わざとらしいぐらい律した顔を崩して星乃は笑う。
その後何かを思い当たったらしく「あっ、でも」と言って、少し声を弾ませながら続けた。
「『ナギ』だったら全然いいからね?」
「………それは柏木のものだから」
期待が込められてる感じのする提案をやんわりと断る。
柏木ならまだしも、星乃のことをそういう風に呼べる度胸は今の俺には無い。そして今後もきっと必要ない。
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