40. 夏空に臥せる屍
6月の末日。体育祭当日。
梅雨の終わりを感じさせる快晴。
宴を盛り上げるかのような陽炎。
高温多湿を打ち負かす若者の熱狂。
その熱き要素入り乱れるグラウンドで、俺はひっそりと息絶えようとしていた。
「
「
「ダメだこりゃ、いつも以上に何言ってるか分からん」
憔悴しきった体から次々と思考が漏れる。
遠くの方で女子の綱引きの歓声が聞こえる中、俺はグラウンドの端にあるベンチで屍のように横たわっていた。
(俺の体はここまでナーフされていたのか………)
予想以上に弱体化が進んでいた体に絶望する。
1本目の徒競走が終わった後は、久しぶりの全力疾走である種の清々しさみたいなものを感じていた。しかし2本目の部活動対抗リレーをやり終えた時、記者会見に迷い込んだのかと思うぐらい目の前がチカチカした。
意識して水分は摂っていたので脱水症状ではないと思う。ただのスタミナ切れだ。
有酸素運動の習慣を離れて久しい俺の身体は、2本の全力疾走をやっただけで赤信号を灯すエネルギーすら残っていなかった。
「アップしないでいきなり走るからそうなんだよ」
「だってお前……男子高校生が100m2本でこうなると思うか?しかも元サッカー部の……」
「過去の栄光にすがるなよ。今を見ろ蓮」
「
広樹の隣にいるリレー仲間のサッカー部男子が話す。
約1時間後に迫った3本目の選抜リレーに、ボロボロの俺が出場できるかどうかの是非を決めるため、リレー仲間の3人が俺のところに集まっていた。
「それで神道、出れそうか?大会でもないんだし無理する必要なんかないぞ」
「あぁ……」
クラス最速の野球部男子が優しく声をかけてくれる。速くて優しいとか新幹線のグリーン車かな……。
野球部男子の意見に広樹も賛同する。
「そうそう、補欠のヤマトに代わってもらえばいいし」
「誰だヤマトって……」
「学級委員長だよ、剣道部の。お前の恋のライバル」
「あぁ……そうか……」
「あぁぁっ!?蓮がこのタイプのボケにツッコんでこない!?」
広樹が驚愕の声を荒げる。元気だなぁ……。
俺の代わりにサッカー部男子が広樹の言葉に反応した。
「なんだ?恋のライバルって」
「蓮と
「あぁ、たしか神道と星乃さんって委員会一緒だっけか」
「そういえばさっき借り物競走で一緒に走ってたな。そういう感じなんだな」
「広樹……くだらないことで波風立てないでくれ……」
「くだらないってお前、星乃さんに失礼だろ」
「そうだな……ごめん星乃……」
「はぁ……」
「これ、ホントに神道なのか?」
広樹の何かを諦めるようなため息と、俺の存在を疑うような野球部の声が聞こえる。
「ヤマトにチェンジだな。蓮はこの後バイトもあることだし、ドクターストップだ」
「あぁ……すまん皆」
「大丈夫だ蓮、4番目の男と5番目の男が変わってもたいして変わらん」
「なかなかド畜生なことを言うな
「実際100mのタイムは誤差だから合ってる……」
会議の着地点が決まった選抜メンバー達は、それぞれ俺に一声掛けた後、歓声の渦の方へと戻っていった。
その背中を見送り、広樹が買ってきてくれたスポーツドリンクを額に当てる。
なんで今日バイト入ってるんだろうな……。「己の限界を超える……っ!」って意気込んで今日という日にシフトを入れたあの時のバカを殴りたい。
いや、いま目の前に現れても殴る気力も無いや……。
広樹達が離れて数十分後。
眠っていたのか気を失ってたのかわからないが、目が覚めると先ほどの地獄は抜けられたようだった。ゲームでいうと間違いなく赤いHPになってた体はだいぶ回復し、目に映る景色もクリアになっていた。
ただ、全身の疲労で未だベンチから起き上がることはできない。既に筋肉痛が襲って来ているのは若さたる所以だろうか。いや、筋肉痛の速度って年齢関係ないんだっけ。
意識を失う前にやっていた綱引きは終わったようで、今は二人三脚の声が観衆の中から聞こえてくる。気のせいか黄色い声が多い気がする。
男女限定の二人三脚って何が楽しいんだろうな。カップルのパブリックイチャつきタイムにしか見えない。恋人ができたら楽しさが分かるのかなぁ。
空に浮かぶ入道雲を眺めながら、自分の人生では決して正解を見つけることはないだろう二人三脚の魅力を考えていると、視界の外からこちらに歩いてくる足音が聞こえた。
「神道くん、大丈夫?」
「あぁ大丈夫、満身創痍で死んでるだけ」
「それは大丈夫って言うのかな……」
星乃は困ったように苦笑する。黒みがかったブラウンのセミロングに巻かれた、涼しげな青のハチマキがふわりと揺れる。星乃って青似合うなぁ。
ほのかに制汗剤の爽やかな香りがする星乃は、向かい合ってるもう一つのベンチに腰掛けた。
「ごめんね、さっき私が急に借りちゃったから」
「いや、あれはエネルギーほとんど使ってないから大丈夫。30%ぐらいのスピード」
「そうなの?死海の塩分濃度みたいだね」
「なんだよその雑学」
お菓子のパッケージに書かれてそうな豆知識に笑いの息が漏れる。
実際、先ほど『異性』と書かれた紙を持った星乃と一緒に走った時、ほとんど体力は使わなかった。
迷いなくこちらにやってきた星乃の判断力のおかげで、余裕で1位を独走してたし、そもそも借り物競走はレクリエーションみたいな競技だから全力疾走の必要はなかった。
どちらかというと精神的エネルギーの方が消耗した。少しでも油断すると、隣を走る体操服姿の星乃のアレに視線が持っていかれてしまうので、意識を逸らすのに必死だった。
男の性の強大さをあれほど実感した瞬間はない。マジで早く夏終わってくんないかなぁ……。
俺の苦悩には全く気づいていなさそうな星乃は、ほっとしたような声で話す。
「でも危なかったー。神道くんと友達になれてなかったら、誰も借りられなかったかも」
「学級委員長さんがいるじゃん」
「タケダくん?あー……うーん……」
星乃は顎に手を当てて、もしもの世界を想像しながらうんうん唸る。
委員長の苗字タケダって言うんだな。
「我らの学級委員さんは意外と不仲なのか?」
「そ、そういうわけじゃないけど。ほら、タケダくん幼馴染の彼女さんいるって言ってたから、そういう人借りるのはなんかあれかなって……」
「あーね」
「だから、神道くんに恋人がいなくて助かりました」
「大多数の男子にはその言葉刺さりすぎるからやめとけよ」
「あはは」
コロコロと明るく笑う星乃。
俺が恋愛に興味ないと分かってて言ったんだろうな。すっかり俺の恋愛嫌いは星乃にバレてるらしい。
「じゃあ学級委員長がダメとなると、次の候補は誰になるんだ?」
「………先生かも」
「つらいな」
「あはは………」
先ほどとは違って星乃は乾いた苦笑をする。
「星乃って男子の知り合いあんまりいないのか?」
「教室で私が男の子と談笑の華咲かせてるの見たことある?」
「いや………ないな」
「そういうことです。私さ、兄弟とかいなかったから、男の子と話すのあんまり得意じゃないんだ」
「え?」
星乃の言葉に疑問符が浮かぶ。
「普通に俺と話してね?」
「それはだって、もう友達だもん」
「いや、こうなる前から。化学室で日直手伝った時とかめちゃくちゃナチュラルに話してなかったか?」
「ね。とっても不思議。神道くんとは普通に話せるんだ」
「俺………もしかして女だったのか……?」
「ふふ、蓮子ちゃんだね」
からかうように星乃は笑う。
蓮子ちゃんって、なんか何回も何回も呼ばれそうな名前だな。
「ねぇねぇ、もし神道くんが借り物競走に出て、『異性』っていう紙引いたらどうする?」
星乃は少しワクワクしたような顔で尋ねてきた。
そりゃぁもちろん………うーん……。
「……勝ちにこだわるなら
「え……?なんで?」
「たしか柏木ってクラスの女子で一番足速いだろ?」
「あっ、そっか」
「だから戦略的に柏木かな。ゴールした後めっちゃ恩を着せようとしてきそうだけど」
「ふふ、たしかに。課題5回分はせがまれそう」
「ちなみに星乃ってクラスで何番目ぐらいなの?さっき一緒に走った時結構速そうな感じしたけど」
先ほど隣を並走した時、星乃の走るフォームはきれいな形をしていた。女の子走りとは無縁な、運動神経の良さそうなフォームだった。
興味本位でフォームを見たことで揺れるアレの存在に気づいてしまったのは、極めて激しく後悔している。
「えーと、たしか8番目ぐらいだけど………でも」
「でも?」
「……本気で走ったら
「ん?タイム測る時本気でやらなかったのか?」
「……うん」
真面目な星乃にしては珍しい。
4月の新体力テストは体育の成績に影響しないとは言われているけど、優等生の星乃がそんな理由で手を抜くとは思わなかった。
「その日体調悪かったのか?」
「……そんな感じ」
星乃は少し赤い頬で頷いた。
あっ……もしかして女子の体調悪い日って……。いや、それなら別日に計測とかになるよな?
よく分からないけど、あんまり突っ込むべきじゃなさそうだな。
一瞬、並走した時のアレが関係してるのかと頭をよぎったが、間接的なセクハラになるので直ちに思考を中止した。
「ち、ちなみに神道くんさ、『勝ちにこだわるなら』って言ったけど」
「お、おう」
何かをはぐらかすようにぎこちなく星乃は話題を切り替える。その雰囲気につられて俺の返事も辿々しくなった。
「もし勝ちを気にしないなら誰を借りたの?」
「あー……えーと……勝たなくてもいいんだったら、花壇の花を一つ拝借するかな」
「え?花???」
ベンチに座る星乃はきょとんとした顔で首を傾げる。
「そう。『雌しべ』は異性にカウントされるのかどうかの実験」
「な、なるほど……!じゃあ私も、地面にいる蟻を持っていけばよかったんだ!」
「蟻って大半がメスだったような……。ていうか星乃、虫触れるの?」
「無理!神道くんに持ってもらう」
「結局俺を借りてるじゃねえか」
「あはは!そうだね!」
青のハチマキを揺らしながら星乃は明るく笑った。
変な空気が吹き飛んでよかった。
……なんで素直に『星乃』って答えられなかったんだろう。
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