38. メロンソーダ茶

 学校の自動販売機のラインナップが更新された。

 なんか生徒の要望が積もり積もって10年ぶりの一新らしい。

 さっそく現場に来てみると、渡り廊下の入り口に鎮座する物体の前面には、知らない景色が広がっていた。

 その中で特に異彩を放つ飲み物が1つ。


『メロンソーダ茶 150円』


 …………なんじゃこりゃ。なぜ『茶』を付けた。

 誤植じゃないよな?思いっきりクソデカ文字の『茶』が書かれているから、これが誤植なら担当者の目には飲み口くらいの節穴が空いてるぞ。

 でも何の手違いもなくこの文字が書かれているなら、それは手違いよりも恐ろしい。


 ダミーラベルを見ると、なんかシュワシュワした緑色の球体が、和の雰囲気を醸し出して浮かんでいた。

 カッコイイ感じのメロンにはなってるけど、これ美味いのか?いや……美味い気がしない……。


 たぶんあれだ、通常のメロンソーダの供給が間に合わなかったから、似てるもので一時的に間に合わせているんだ。

 ドリンクバーはメロンソーダが一番消耗激しいっていうからな。自動販売機界隈も同じ理由で万年メロンソーダ不足なんだろう。知らんけど。

 きっと1週間後には普通のメロンソーダになってるはずだ。今生の別れを感じながら、その他特にめぼしいものがなかった自販機を立ち去る。

 さらば、メロンソーダ茶。






「で、買ってきちゃった」

「で、じゃねえよ」


 昼食の時間、トイレから戻ってくると先ほど惜別の別れをした物体が俺の机に置かれていた。2本も。

 感動の再会を手配しやがった広樹ひろきはニヤついた顔で話す。


「いやーこんなの買わざるを得ないだろ。なんか噂だとまだ誰も買ってないらしいぜ」

「『買ってない』んじゃなくて『買わない』んだろ」

「よし、じゃあ実食!」

「しねえよ」

「なんでだよ、奢りだぞ?」

「お前は奢りだったら俺がなんでも飲むと思ってるのか。それこそ驕りだ」

「何うまいこと言ってんだよ。今から不味いもの飲むからってバランス取ろうとするなよ」

「不味いって分かってんじゃねえか」


 どう考えても午後の授業をぶっ壊す飲み物に、俺は抵抗を続ける。


「あー!?それ買っちゃったのヒロキくん!」

「お、ちょうどいいところに勇者が現れたぞ」

「スケープゴートっていうんだそういう時は」


 星乃ほしのと昨日見たドラマの話に花を咲かせていた柏木かしわぎが、俺の机の異物に気づいた。


陽花はるか、飲んでみるか?」

「えー。それヒロキくんの奢り?」

「あぁもちろん」

「んー……じゃあ飲む」

「おぉっ!」

「えぇ……」


 まさかの前向きな発言に絶句する。

 すると、異物を受け取った柏木は得意げな顔を俺に向けた。


「フッフッフ、何事も経験だよシンドーくん」

「むっ……」


『経験』の2文字に俺の衝動が沸き立つ。

 たしかに、不味いものを飲むのも経験……。不味いを知るのは美味いを知ると同じぐらい価値がある……かもしれない。

 俺の中の舵取りが心の操縦桿をギギギと回し始めた時、プシュッという炭酸が弾ける音が聞こえた。


「Wow!!炭酸なのこれ!?」

「おおすげえ、本場だ」


 英語混じりに驚愕する柏木とズレた感動をする広樹。

 柏木はクォーターなだけで本場じゃねえだろ。


「メロンソーダ味のお茶かと思ってたけど、メロンソーダのお茶味だったんだな」

「さすがれん、分かりやすいようで分かりにくい表現」

「うぬぬ……これは予想外デース……」

「ねぇ……やめときなよ陽花……」


 今まで静観していた星乃が見るに見かねて制止に入ってきた。

 しかし柏木の意志は固いようで──


「ナギ……骨は拾ってね」


 サイドテールの少女は、優しい目をしながら親友にそう語りかけた。

 そして、グイッと茶色いラベルのアルミ缶を傾け──


「…………!?」


 ドサッ。

 先ほどまで親友と語らっていた元気少女は、静かに机に沈んだ。

 お悔やみ申し上げます。


「は、陽花………?」

「どうだー?美味かったかー?」

「……」


 星乃の動揺とは対照的に広樹が呑気に問いかけると、故人は机に突っ伏したまま手だけでバツマークのサインをした。ダメだったみたいです。


「どれどれ、いかがなもんでしょうか」


 そう言うと広樹はニヤニヤしながら腕を伸ばし、柏木が手に握ってた遺留品をヒョイっと奪い取る。


「お前、今の光景を目の当たりにしてなお挑むのか」

「だって、残したらもったいないだろ」

「もったいないのはお前の金だよ」


 俺が無謀な挑戦者に呆れの眼差しを向けたが、彼は何の躊躇もなく開けられたアルミ缶をグッと逆さにした。そして数秒後──


 カンッ!

 ドサッ。


 乾いたアルミ缶が机に当たる音と共に、彼もまた最初の犠牲者と同様に倒れ込んだ。

 メロンソーダ茶選手、ダブルキルです。


 つかすげえな、全部飲んだのかこいつ。

 机に伏した広樹の右手にはアルミ缶が横たわっているが、中身がこぼれ出る気配がない。


(うーん……これほどの破壊力とは……)


 俺の机に残ってるもう1つのブツを眺める。

 正直さっき柏木に煽られた時に既に心は傾いていたが、ここまで綺麗に2人の若者を撃沈させる飲み物は、気にならない訳がない。


 おそらく2人の反応からして、致命的な不味さではないと思う。

 広樹も柏木もブツを吹き出したりリバースしたり、トイレに直行するとかではなくちゃんと口に含んだ分は飲み干している。最低でも人間の喉を通すことのできる代物というわけだ。

 ならば、最初から対ショック体勢の心持ちで飲めばきっと打ち勝てるはず。


「むん」


 俺は意を決してアルミ缶のタブを手前に引く。

 すると、無駄にカッコイイ和のメロンはプシュという音を立てて勇者を出迎えた。


「し、神道しんどうくんも飲むの?」

「あぁ、俺の遺骨はエーゲ海に撒いてくれ」

「ギリシャは遠いよ……」


 苦笑を交えて困惑気味に返す星乃。

 絶対「どこそれ」って言われると思ったけど、さすが魚分野に造詣のある星乃はすぐにエーゲ海の場所を答えてきた。

 一体星乃は世界中の海の何割を知っているのだろうと気になったが、あんまりのほほんとした会話をすると決意が揺らぐので、それはまたの機会にしておく。


(いざ……)


 力む右手でアルミ缶をグイッと真っ逆さまにする───勇気はさすがに無かったので、ギリギリ液体が流れ込む程度までメロンのラベルをぐぐぐっと傾けた。

 シュワシュワと音を立てて怪しいブツがアルミ缶から流れてくる。


「ぐっ……!?」


 色んな意味でアウトサイダーな液体を口に含んだ数秒後、思わずうめき声が漏れた。


(な、なんだこれは……)


 弾ける。絶望が弾ける。味覚ではなく痛覚で苦味を訴えてくる。

 仄かに香るメロンの息吹は、全然メロンソーダティーとかいうオシャレなお茶ではない。メロンソーダとお茶だ。発酵したメロンにお茶をぶっかけて、それにかじりついてる感覚。

 の、飲め込めない………俺の喉のすべてがこれを摂取するのを拒否している。俺の体の奥からSOSを告げる鐘の音が聞こえる気がする。


 だが、体の抵抗を感じるってことは意識があるということ。

 俺の体は先駆者の2人のようにまだ机に沈むことなく、しっかりと自分の力で椅子に座り続けていた。

 勝った……俺は勝ったんだ……!何に勝ったんだ……。


 どうでもいい勝利の美酒に酔いしれる余裕もなく、すかさずリュックにしまった水筒を取り出し、弾ける苦味を無理やり流し込んだ。


「っ………はぁ………」

「す、すごい、見たことない顔してるね」

「ん……?あぁ……」


 思わず机に肘をついた俺は、星乃の方を向けずにぼんやりとした返事をするのが精一杯だった。

 まっっっず………後味の方がきついかも。崩れそうになる頭を右手で支える。

 飲み干した安心感と達成感からの油断で、液体通過後の苦味がより突き刺さってくる。

 広樹と柏木が飲み込んだ後に倒れた理由が今わかった。これに耐えるぐらいなら気を失った方がマシかもしれない。


「…………ねぇ、神道くん」

「うん……?」


 ようやく地獄の波が引いてくると、隣からなんかゴニョゴニョした声が聞こえてきた。

 気になって顔だけそちらに向けると、ほんのり紅潮した星乃が俺の右手の刺激物をジーっと見ていた。


「それ……私も飲んでみてもいい?」

「やめとけ、レビュー3件中3件が★1だぞ」


 いや、2名に至っては測定不能。戦闘不能かもしれない。


「えーと……なんか私だけ飲まないのもあれかなー……みたいな」

「どういうチーム意識だよ」

「それに、神道くんはもうそれ飲まないでしょ?」

「あぁ……飲まないというか飲めないというか」

「じゃあもったいないから、私が代わりに飲むよ」

「その要求も呑めないな」


 少なくともメロンソーダ茶よりかはうまい返しをすると、星乃は少しムッとした表情になった。


「……何変な事言ってるの。そもそもそれは神道くんの物じゃないので、神道くんに決定権はありません」

「まぁそれはそうだけど……でも持ち主はもう……」


 俺が前の席の人だったものに目を向けると、俺達の会話が聞こえていたのか彼の左手にはOKのサインが作られていた。意識はあったのか。

 ふともう一人の犠牲者の方を見てみると、彼女も机に伏しながら星乃の腕をギュッとつかんでいた。まるで「やめとけ」と言わんばかりに。

 ていうかいつまで死んでんだこいつら。もはや半分ノリでやってるだろ。


「はい。佐野さのくんから了承出たので、神道くんはそれを渡してください」

「いいけどさ……」


 所有者のサインを見た星乃は、ボードゲームのマスターのように淡々と俺に告げた。

 もはや彼女を止める術はないので、仕方なく体を伸ばして星乃に悪魔の缶を手渡す。


「すごい……お茶の匂いがする……」


 星乃は手に持ったアルミ缶の飲み口をスンスンと嗅ぐ。

 俺が口つけたものを嗅がれるってなんかモヤモヤするな……。あっ、ていうか俺が飲んだ後って……。


 いや、やめよう。気付かなかったことにしよう。今行われている行為が何なのかは。

 気付かなければ存在しない、シュレディンガーのうんたらかんたら。


 もし俺と星乃が逆の順番で飲んでたら苦味が緩和されただろうか。

 いや、そんなことでは揺るがないなあの衝撃は……。多少は甘くなるかもしれないが。

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