37. 勇気の恩恵
保健室の少女と再会した翌日。
右膝のケガは優しい女の子の手当てのおかげで、順調に回復の兆しを見せていた。
「で、肉の赤い部分が見えなくなってきたら、スープと調味料と豆腐を入れる」
「全部いいの?」
「おう」
俺の返事を聞いたエプロン姿の女子は、ジューっという音を立てて鶏ガラスープと合わせ調味料、そしてブロック状に切った豆腐をフライパンに入れた。
放課後のバイトまでの時間を潰すのに、すっかりこの料理研究部は俺の糧になっていた。
やはり知識をアウトプットすることは、より深くインプットすることにも繋がるな。
だんだん麻婆豆腐の形に近づいてるフライパンの様子を、活発そうなエプロン女子は楽しそうに眺めている。
彼女に「後はお玉で静かに混ぜていって」と言葉を掛け、隣で付け合わせのナムルを作ってる大人しそうなエプロン女子に尋ねた。
「なぁ、なんで急にお菓子作りじゃなくなったんだ?」
「んーと、
野菜と調味料を和えながら彼女は答える。
「教えやすいように?」
「うん。神道君いつも『お菓子作りは普段やらない』って言ってたから、普通の料理の方が教えやすいかなって」
「まぁそれはそうだけど」
たしかに今まで何回かこの調理室に来ているが、だいたいシフォンケーキとかマカロンとかお菓子作りばかりだった。
正直スイーツやお菓子を家で作ったことはないので、お菓子作りは門外漢に等しい。「ホントに俺要るのかな?」っていう気持ちも無くはなかった。
某芸人のラップ的に言うなら『門外漢疎外感』。
脳内で黒タイツの男性で跳ねていると、フライパンをぐるぐるしてる女子が続けて理由を話した。
「それにご飯作るとお母さん喜ぶんだよねー。『楽できるー』って」
「懐かしいな、俺も最初の頃はめっちゃ感謝されたわ。そろそろそれ『みずかた』入れて良いぞ」
「『みずかた』?」
「えっと……水溶き片栗粉」
「あぁー!おっけー」
元気な返事と共にお玉を持った女子は、ボウルに入った水溶き片栗粉をフライパンに静かに投入する。
思わず謎略称が出ちゃったな……。バイト先で水溶き片栗粉のことは『みずかた』としか読んでないから、すっかり体に染み付いていた。染み付きすぎて俺にもとろみが出てきそうまである。
料理を始めた当初の懐かしさと、変な単語を発してしまった恥ずかしさが混じりながら、料理研究部の指導の時間が過ぎていった。
「じゃ神道君またねー!」
「ありがとう神道君」
「おう」
お箸やお椀を手にしたエプロン女子達の声を受けながら、調理室の扉へ向かう。
すっかり彼女達も料理初級者の域を脱してきたな。何も言わずとも料理を食べ始める前に洗い物を先に済ませていた。
隙あらば「洗い物も料理の一部だ」と言って刷り込ませたのが、だんだん功を奏してきたのかもしれない。
教え子の成長に軽く感動しながら、中華の香りが満ちた調理室を出る。
そして、彼女たちの少し早い晩餐を邪魔しないよう静かに扉を──
「いいな……」
「うぉっ!?」
閉め切ると同時に死角から女子の声が飛んできた。
「あ、あぁ、星乃か……」
驚いて目をやると、そこには調理室側の壁を背に寄りかかって立っている星乃が居た。
「私も神道くんの料理食べたい……」
「え?」
俺の驚愕には見向きもせず、星乃は自分の足元を見つめながら言葉をこぼす。
なんかちょっとだけご立腹だ。いや、怒ってるというか……いじけてる?
「俺の料理って……俺が作ってたわけじゃないぞ、教えてただけで」
「え?あ、そうだったんだ」
俺が誤解を解くと少女は顔を上げ、ムスっとした雰囲気をコロっと霧散させた。
「あっもしかして、前に言ってた『料理研究部』の人達?」
「そう。俺がたまに放課後ちょっと立ち寄ってるやつ」
「へー、あれがそうなんだー」
星乃はずいっと俺の方に近寄り、扉の小窓から中華を味わう女子達の様子を伺った。
以前一緒に帰った時、俺が放課後に料理研究部で時間を潰してる話をしていて、星乃はそれを覚えていたらしい。
つか近いな。窓を覗いた時星乃の髪の匂いがふわっと襲ってきたような気がする。
きのう保健室で星乃のお礼を受け取った時、何か電流が走るような、時間が止まるような感覚を覚えた。
そのせいでその後昨日は星乃の顔をなんとなく見づらかったが、一晩明けたらメンタルリセットできたのか、普段と同じ感じで話せるようになっていた。
だがそれでもこの距離感だとどこかムズムズするので、何気なく一歩後ろに下がって星乃に問う。
「なんでここにいるんだ?」
「あっ、えっと……美化委員の先生に頼まれごとしちゃって」
「あぁ、重い系か」
「うん。それで神道くんに連絡しようと思ったら、ちょうど声が聞こえて来たから」
「なるほどね」
「手伝って貰っても……良い?」
「もちろん。どこ行けばいいんだ?」
「ありがと!こっちこっち」
ぱぁっと明るくなった星乃は、俺を先導するように歩き出す。
「……おう」
どこか弾むような足取りになった彼女に俺も付いていく。
……やっぱりまだ引きづってるかもな。星乃に笑顔を向けられると昨日のことがフラッシュバックして一瞬狼狽える。
おそらく1週間もすれば治ると思うが、なんだか不思議な感覚だ。
「そういえば、星乃って料理とかはしないのか?」
「うん?」
気を紛らわすために話題を振ると、星乃は歩調を緩め俺の隣まで下がってきた。
「んー、クッキーとお刺身ぐらいしかやったことないかも」
「その2つの経験が共存する女子は絶対星乃だけだな」
「あはは。あでも、お刺身って言っても柵切るだけだよ」
「あーね。まぁあれも綺麗に切るの難しいけど。ちなみに魚は捌けるのか?」
「ううん。小さい頃にニジマスをオリャーってやったことはあるけど」
「なんだよオリャーって」
気の抜けた掛け声に思わず笑ってしまう。
星乃は栓を抜くような仕草をしながら答える。
「知らない?割り箸でグリグリやって、内蔵ズズズーって取るやつ」
「あぁー、昔やったことあるな」
独特の擬音を交えた説明で、小学校の時親に連れて行ってもらったキャンプを思い出す。
そういえば川魚は包丁を使わずに、口から割り箸突っ込んで捌くやり方があったな。
でもたしかそれを実践した時、幼い妹があまりのグロさでギャン泣きしてたはずだが──
「星乃は大丈夫だったんだな、あのグロい捌き方」
「うん。可哀想だけど、でもちゃんとそういうのも知らないと」
「さすが。殊勝だな」
「あとお腹空いてたから早く食べたくて」
「あんまり殊勝じゃないな」
俺の秒速のツッコミに星乃は楽しそうに笑う。
魚好きの幼い星乃は、恐怖心を食欲と知識欲で踏み潰したらしい。
当時食べたニジマスとの格闘の思い出をひとしきり話した星乃は、どこか惜しそうに呟いた。
「ホントはもっと色んな料理やってみたいんだけどねー」
「そうなのか?」
「うん。もう高校生だし、さっきの子達だって頑張ってたし」
どうやら料理研究部のエプロン達の熱気に、星乃もわずかに感化されたようだ。
「もし必要だったら俺も教えるよ」
「ほんと!?」
「お、おう……」
くるっとこちらを向く嬉しそうな顔にたじろぐ。
てっきり「お母さんに教えてもらうからいいよー」ぐらいで流されると思ってたのに。
「じゃあ、今度私にパエリア教えて!」
「なんで最初から難易度MAXなんだよ」
「あはは、冗談。でも、もしなんか教えてくれたら嬉しいな」
「あぁいいよ、俺も勉強になるし。また約束だな」
「うん!やったー」
目の前の女の子は無邪気に喜ぶ。
でも器用な星乃なら最初からパエリアでも行けるかもな……。あえてスタートのハードルをグンとあげて、後はどんどん下り坂のように簡単な料理に取り組むスタイルもありかもしれない。
人に何かを教えるカリキュラムを作るのって、案外面白いな。
昔作ったパエリアのレシピをなんとなく思い出していると、星乃がふとハッとした顔になった。
「そういえば、今更なんだけど……」
「ん?どうした?」
「神道くんって、人と約束とかするのイヤだったりしない……?」
「え?あー……」
星乃が伺うような目線で俺に尋ねる。
たしかに聞いたことがある。人と約束事をしても全然覚えられないから、あんまり普段から人と約束しないっていう人種もいることを。思えば
「いや、俺は大丈夫だぞ。全然負担とか思ったりしない」
「ほんと?良かった」
星乃は安心したようにほっと胸をなで下ろした。
正直言うと、俺は人の誕生日とか覚えるのが苦手だから、どちらかと言うと俺もあんまり人と約束とかはしない質だと思う。
でも不思議と、星乃とする約束に嫌な感情は全然無かった。
「ていうかあれだな、今度調理実習あるから、間接的にそこで教えることになるのかもな」
「えっ……?」
「広樹と柏木もいるから、じっくり教えるってのも出来ないと思うけど」
「………うん、そうだね。じゃあ、そこでみんなでパエリア作っちゃう?」
「授業で攻めすぎだろ」
俺が苦笑気味に突っ込むと、星乃は再びコロコロと笑う。
その様子は、どこかいつもよりも楽しそうだった。
───★
勇気を出して良かった。
神道くんと楽しく話しながら廊下を歩いていて、強く思う。
昨日体育館から怪我した彼の姿を見つけた時、もしかしたらと思った。
たまたま横に居た黒川さんが「今保健室の先生いないけど大丈夫かなぁ」って言った時、もうこれ以上の機会はないと確信し、覚悟を決めた。
神道くんはあの時のこと覚えてないみたいだけど、でも現場にまた2人で居たら思い出すかもしれない。そう淡い期待を込めて保健委員の仕事をやんわりと強奪した。
結果、神道くんはしっかりあの日のことを覚えてくれていた。
いや、あんまりしっかりじゃないかも……所々回想がふわふわしてたし。
でも当時の彼はすごく眠たかったらしいから、たしかに白昼夢みたいな思い出になってても仕方ないのかもしれない。
彼がしみじみと当時のことを話すと、私もあの時に戻ったかのように温かい気持ちになった。
あの日保健室に入った時は沈んだ気持ちしかなかったけど、彼が居てくれたからあの出来事に蓋をせずに済んでいる。もしたった一人であの時間を過ごしていたら、今後一生保健室なんて来れないような、そんな暗い思い出になったのは間違いない。
感謝してもしきれない想いを最大限に込めながら、彼にお礼の全てを伝えた。
やっと言えた。本当にやっと。
でも、お礼を伝えたらなんかその後神道くんとあんまり目が合わなかったけど。
変なこと言ってなかったよね……?お礼を言っただけだよね……?
自分は何か間違ったことをしたのかと不安になったが、今隣で話す彼の様子はすっかりいつも通りになっていたのでひとまず安心した。気のせいだったのかな。
「……
「うん?どうしたの?」
いつもの難しい顔をした彼がふと尋ねる。
「なんか良いことあった?」
「……うん、あった」
「おぉ、やっぱり」
神道くんの問いかけに素直に肯定する。
彼はクイズに正解したかのように頬を僅かに緩ませた。
神道くんの様子が普段どおりになったことに安心したけど、それよりも嬉しかったのは、彼が私と一緒に調理実習をするつもりだったこと。
たしかに調理実習の班は好きに組んで良いと言われてたけど、まだ約束なんて何もしてなかった。でも彼は当たり前のようにいつもの4人でグループを組む予定でいた。
彼の日常に自分が入ってることに、喜びの感情が溢れてくる。
どんどん神道くんと仲良くなれてる気がする。
校外学習の時も抜け出して2人で色んなところ見れたし。
学校行事で自分勝手に抜け出すなんて、少し前の自分じゃ考えられなかった。
あの時も勇気を出したおかけで、また一緒に横浜に行く約束もできた。
彼と約束すると楽しい未来が確約されたみたいで、とても温かい気持ちになれる。
やっぱりあの時も思ったけど、もし神道くんと兄妹になれたら毎日がもっと楽しくなる気がする。
まぁ兄妹なんてなれるわけないんだけど。
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