32. 班長さんには敵わない

「なぁれん、ウチの高校って割と忙しくね?」

「最初の内に色んなイベント用意して、親交深めようぜってことじゃね」


 普段の日常とはまったく違う景色に囲まれながら、俺と広樹ひろきは会話する。


 三者面談の次に俺たちを待っていたのは、日帰りの校外学習だった。

 場所は横浜。首都圏に位置する高校が遠足先に選ぶにはもってこいだ。

 現在は広場みたいなところで1学年全員が集められ、オリエンテーションを聞いている。

 学年主任の話を聞き流しながら広樹は愚痴を続ける。


「6月って本来もっと退屈な月のはずでは?」

「退屈だからこそだろ。月末には体育祭もあるし、秋は文化祭とかもあるし、やるならここしかなかったんじゃねえの」

「なるほどなぁ。でも無理やり詰め込むぐらいなら別にやんなくてもいいだろ~」

「広樹にしてはずいぶん消極的だな」


 いつになく後ろ向きな男子に驚く。

 こういうイベントごとはバカみたいに率先して楽しむバカなのに。


 担任が言うには今回の校外学習にほとんど学習の意味はなく、クラスメイト達との交流が主目的らしい。

「ぶっちゃけただの遠足だからね」とまで言っていたので、広樹はより一層このイベントに乗り気かと思っていたけど。


「だってよぉ、遊ぶならなんで横浜なんだよぉ。せめて夢の国に行こうぜ」

「横浜市民に失礼だろ。たしかにこの街は半日じゃ大して回れないけど」

「それによぉ、どうせ班行動になったら蓮は消えちゃうしよぉ」

「あぁ、口裏頼むな。そのためにこの前宿題を見せてやったんだから」


 つまんなそうにする広樹に改めて今回の約束の念を押す。

 広樹の言う通り、俺はこの後の班行動の時間になったら、はぐれたふりをして一人で悠々と街探索に出るつもりだった。


 昔から観光地に来たら、なんでもない市街地や住宅街を見て歩くのが好きだ。その街の人の生活を知るというか、街を自分の中に刻むには普通の街並みを歩くのが一番な気がしてる。


「やっぱり一緒に行かね?蓮もヌード記念館とかバカレンガとか行こうぜ」

「ヌードル記念館と赤レンガな。横浜市民に殺されるぞお前」


 ヌード記念館ってミロのヴィーナスみたいのばっかり置いてありそうだな。

 先ほどからやや危うい発言をしている広樹に今回の行動の合理性を説く。


「いいだろ別々で。他のやつらはちゃんと観光地見たいだろうから、他のやつらは他のやつらで見たいものを見て、俺は俺で見たいものを見る。一番理に適ってる」

「協調性がないとも言うな」

「はぐれちゃったものは仕方ないだろ。どうせ最後には合流するから大して変わんねえよ」

「まぁ俺はいいけどさぁ~。果たして班長さんは見逃してくれるかな」

「そのためにお前がいるんだろ。ちゃんと止めとけよ」


 あの優等生さんが生真面目に俺を探そうとしないよう、改めて共犯者に念を押す。

 今回俺らの班は、いつもの4人に加えてクラスメイトの男女3人を合わせた7人グループ。

 副学級委員長の星乃ほしのはほとんど自動的に班のリーダーに決まり、班行動も星乃が中心となって決めていた。

 決まったルートはほとんど柏木かしわぎの要望を線で繋いだものだったが。


「班長さんには言ってないんだろ?」

「当たり前だ、絶対止められる」

「ということは、今星乃さんにバラせば蓮を止められる……?」

「いいけど、今後は自力で課題をやるんだな」

「くぅ~!為す術なし!」


 俺が必殺のカードを使うと、広樹は額に手を当てながら天を仰いだ。どうやら俺の行動はもはや誰にも止められないのだと悟ったようだ。

 昨日立てた練り歩きのコースをスマホで確認しながら、少しワクワクした気持ちでオリエンテーションの時間を過ごした。






 班行動が開始されて約1時間後、俺は無事はぐれることができた。

 予定より少々手間取ってしまった。俺の行動を知ってか知らずか、いつもよりやけに星乃が話しかけてきた。

 まぁしかし、今からでも十分見たいものは見れるだろう。


 はぐれてから十数分たったが班長さんからのTELはない。

 きっと今頃広樹が「他のグループとたまたま合流したみたいだから、途中までそいつらと行くってさ~」みたいなことを言って、事は丸く収まっているのだろう。

 首尾よく計画が進む高揚感を抱きながら、俺は持ってきた薄手のウインドブレーカーを羽織る。

 一応教師の見回りとかもあるから、この辺りでは見かけない制服でいるのは危険だった。


 すっかり横浜の一市民に扮した俺は、さきほど通り過ぎた近代的な外装の駅へ戻る。

 そして再び駅を通り過ぎ、あまり華やかではない方向へ足を運んだ。


「おお、やっぱりどこも非観光地はこんなもんなんだな」


 住居や小さな飲食店などが入り混じる路地にたどり着いた。

 さっきまであんなに華やかに観光客をもてなす街だったのに、少し歩けばどこにでもある風景だ。

 観光のためじゃなく、生活のために用意されたような建物が俺の視界に並ぶ。


「やっぱり同じ日本なんだよなぁ」


 どこか懐かしさを感じさせるような初見の道を歩く。

 見慣れない街だとしても結局同じ国と同じ文化なんだ、と安心感を覚えるのが好きなのかもしれない。

 より細い路地に入ると周りに人が全くいなくなったので、ふと思いつく。


「たまにはパノラマ機能ちゃん使ってあげるか」


 スマホを買ってから一度も使ってなかった360°パノラマ撮影機能を立ち上げる。

 周りに人の目があるとあまり集中して写真を撮れない質だが、今なら大丈夫そうだ。

 スマホを顔の高さまで上げて撮影開始のボタンを押すと、『デバイスをゆっくりと水平に動かしてください』の文字が出てきた。

 ぐるーっと、細長いシャボン玉を作りだすように体を回転させる。


「ゆっくりって……結構きつくね……?」

 

 思ったより難しい。何回かやってみたが全然綺麗に撮れない。

 回転の速度が速いと写真が引き伸ばされたみたいになるし、高さを一定にしないと歪んだ感じになる。

 やっぱり人がいなくてよかった。こんな道の真ん中で何回もぐるぐるしてたら、美容院の前にあるアレかと勘違いされるかもしれない。


「よし、これは決まったろ」


 苦戦すること数分。今のは会心の写真が撮れた気がする。

 だんだんコツを掴めてきた。たぶん近くを見なきゃいいんだ。持ってるスマホを見つめず遠くの景色を眺めてボーっと腕を動かせば、機械のように回転できる。

 自転車に乗る時近くを見ると逆にコントロールを失いやすい現象に似ているのかもしれない。


 さっそく今のパノラマ写真を確認するためスマホを操作する。

 すると、スマホのステータスバーにSNSのチャット受信を告げる通知が表示されていた。

 カメラ起動中はポップアップが出ない仕様らしく、チャットが来ていることに気付かなかった。


「なんだろ」


 親からの連絡だろうか。そういえばこの前の三者面談の時、母親が「今度、蓮のとこ泊まるから」みたいなこと言ってたな。

 具体的な日付でも決まったのかな、そう思って通知の中身を確認してみると、チャットの送り主は広樹だった。


『蓮すまん。逃げられた』

「は?」


 意味が分からない一文に唖然となる。

 そして数秒後、今度は通話の着信を告げる画面が現れた。


「これは………」


 切り替わった画面には、綺麗な海の写真と『渚紗なぎさ』の文字。

 嫌な予感をビンビンに感じながら通話のアイコンをタップする。


「あっ、もしもし神道しんどうくん?」

「……おう」

「ごめん、。神道くん今どこにいる?」

「……」


 なるほどな…………さすが星乃だ。

 聡明すぎる班長さんに先ほど見えた目印になりそうな建物を伝える。


「──のあたりにいる。そっち行くか?」

「あ、結構近くなんだね。大丈夫、私から行くから。絶対!動かないでね!」

「はいはい……」


 若干投げやりな返事をし、星乃との電話を切る。

 ものすごい念を押されるようにフリーズを命じられたが、動かなかったらこんな辺鄙な路地は絶対分からないので、先ほど伝えた目印の場所まで戻ることにする。

 大人しく合流しよう。はぐれたのなら仕方ない。






 班長さんの電話からしばらくして、待ち合わせの場所に見慣れた制服の女の子がやってきた。


「いた!神道くん!」


 星乃は俺を見つけると小走りで駆け寄ってきた。


「ごめん、ちょっと迷っちゃった。待った?」

「いや、さっきまでそのスーパー見てたから特に待った感じはない」

「ほんと?よかった」


 少し息を切らしていた星乃は俺の言葉にほっとする。

 実際地元とは違うスーパーの品揃えに感動しすぎて、俺の方が遅れそうになるまであった。

 めちゃくちゃ野菜が安かったな、総菜も豪華だったし。


「あれ?他の人たちは?」

「へ?」


 スーパーの品物達をぼーっと反芻してたら、息を整えた星乃から素っ頓狂な質問が飛んできた。

 星乃は俺の背後や周囲を見て、連れが居ないのを不思議そうにしている。

 何を言ってるんだ?元から俺はひとりで…………あ。


「あ、いや……他のやつらは……またはぐれたっていうか」

「神道くん、迷子気質なの?」

「そう……かもしれない……」

「ふぅーん」


 言葉がしどろもどろになる。

 すっかり忘れてた、俺は他の班と合流したことになっていたんだった。


「ねぇ神道くん、他の班の人達とはどこ回ったの?」

「え、えーっと………マリンタワー……とか」

「ふぅーん」


 あれ、マリンタワーって星乃達と行ったところじゃね……?

 咄嗟にランドマークの名前を出したが、俺のはぐれた位置からの整合性が取れてない気がする。

 まずい、さすがに架空の班との偽ルートまでは設定してなかった。


 どんどん動揺の色を隠せなくなる俺を見て、星乃は何かを確信したように少しニヤついた顔になった。

 なんか久しぶりに見たなそのニヤニヤ……。


「神道くん、なんでそんな恰好してるの?」

「え?あっ……」


 ニヤニヤナギさんの指摘で視線を落とすと、6月の季節にはそぐわない薄手のウインドブレーカーがあった。

 普段バイトの配達でもよく着るから、すっかり馴染んでて脱ぐのを失念していた。


「いや………ちょっと……寒くて……」

「汗かいてない?」

「……まぁ」


 ウインドブレーカーの存在を思い出すと急に汗がにじみ出してきた。いや、冷や汗かもしれない。

 にこやかな班長さんは全てを悟ったように言った。


「ねぇ神道くん」

「……はい」

「自分勝手な行動は、やめようね」

「………すんません」

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