27. 恋の境目
午前の体育、女子は体育館でバレーボール。
「とおっ!!」
「す、すご……」
綺麗なサイドテールの髪を揺らして、バレー部顔負けのスパイクをする女の子に唖然とする。
放たれた弾丸みたいなボールは、勢いよく相手チームのコートで跳ねた。
「
「ざんねーん!アタシもテニス部!」
相手チームからのブーイングに陽花は余裕綽々で返す。
そして、くるんと私の方を振り返った。
「はいナーギ!ハイタッーチ!」
「ふふ、はい」
テンションMAXではしゃぐ陽花に手のひらを向ける。
運動神経バツグン少女は全身全霊で振りかざして──
パチーーーーンッ!!
私の手をバレーボールの如く振り抜いた。
痛い……。
私達のチームの試合が終わって、体育館の端で他の試合を見ることになった。
しびれを癒やすようにモミュモミュと私の手を揉む陽花に質問する。
「陽花あんなにバレー得意なのに、なんで球技大会出なかったの?」
「だって、ナギを救わないといけなかったもん。あんな灰色の卓球大会なんて行ったらナギも灰色になっちゃうよ」
「また言ってる……卓球好きの人に失礼だよ。卓球って熱いスポーツなんだよ?」
「そうなの?」
「うん、高速のチェスって言われるぐらい難しいんだから。本気でやったら絶対灰色なんかじゃないよ」
「じゃあ何色?」
「えーと……オレンジ?」
「ピンポン色じゃーん」
「卓球とピンポンは違うよ」
「違うの!?」
どうやら陽花は卓球とピンポンを一緒くたにしてたみたい。
たしかにピンポンの大会だったら盛り上がりに欠けちゃうかも。
「でも、ナギもテニス選んで良かったでしょ?」
「うん、楽しかった」
「でしょー?テニスは良いんだよー。ヒロキくん達も再燃してあの後またやってたらしいし」
「やってた?」
「うん。なんかゴールデンウィークにヒロキくんとシンドーくんで、1日中ひたすら打ち合ってたらしいよー」
「え……そうなんだ」
私も行きたかったな、それ。
結局ゴールデンウィークはバイト以外結構暇だったから、もし声が掛かかったら二つ返事で行ってた。彼らの中に入ったら実力的に邪魔になっちゃうかもしれないけど。
「ナギもテニス部入ればいいのに。絶対才能あるよー」
「バイトがあるから無理だって。それに、陽花ほど上手くなれる自信ないよ」
「おっきいおっぱいが邪魔しちゃうからねー」
「ちょっ……」
突然刺さってきた言葉に思わず顔が熱くなる。
「気にしてるんだからやめてよ……」
「えー!!おっきいの気にしてるのー!かわいいー!!」
陽花がむぎゅっといつものように抱きついてくる。
近くにいた女の子達が「まーたやってる」みたいな顔で見てくる。
「もう、そろそろ6月なんだから流石に暑いよ」
「ナギやわらか~い」
「……むぅ」
きっと他意はないだろう発言に少しむくれる。
結局そのまま陽花にむぎゅむぎゅモミュモミュされながら、体育の時間は過ぎていった。
授業が終わり、体育館から教室へ向かう廊下を歩く。
横に居る陽花は、未だに私の手を揉み続けている。
「陽花、歩きづらいんだけど」
「だって~、すごい赤くなってたんだもん。ホントにごめんねナギ~。もう痛くない?保健室行かなくて大丈夫?」
「だいじょうぶ」
心配する陽花に優しく答える。
陽花のモミモミに効果があったのか分からないけど、手のしびれはすっかりなくなってた。
それに、まだちょっと保健室はあの時を思い出して感傷的になっちゃうから、あんまり行きたくない。
いい思い出でもあるんだけど。
「痛くなったらいつでも言ってね、アタシがマッサージするから」
「触りたいだけでしょ」
「えへへー」
私の言葉を否定せず両手で依然モミモミする陽花。
陽花からのスキンシップは昔からなのでさすがにもう慣れた。
こういうコミュニケーションしたがるのも、外国の血が流れてるからなのかな。
陽花のスキンシップの理由を考えてると、ふと少し前を歩くクラスメイトの女の子達がざわざわしてるのが聞こえた。
どうしたんだろう、誰か怪我でもしたのかな……。
チラっと様子を伺うと、予想とは反対に女の子達の黄色い話し声が聞こえてきた。
「えー!じゃあ今告ってるの!?」
「うん、やっぱり早い方がいいって。この先色んなイベントあるしねー」
「くっつくなら早い方がお得ってことかぁ」
「でも、神道君ってガード堅そうじゃない?」
「たしかに。でもあーゆーのに限って案外コロっと……」
(えっ……)
信じられない話を聞いてしまった。
聞こえてきた単語を整理する。
今……告って……神道くん……コロっと……。
それってつまり、『今神道くんが誰かに告白されて、コロっとなりかけてる』ってこと?
考えるより先に身体が動いた。
陽花の手をそっと振りほどき、来た道を引き返す。
「どうしたのー?」
「陽花、忘れ物しちゃった。先行ってて」
「りょー」
元々体育は手ぶらで来てるのに、そこについて陽花は疑問を持たなかった。
今は陽花のそういうところに感謝する。
少し純粋すぎる女の子の返事を背に、体育館に向かって駆け出した。
体育館の前まで戻り、辺りを見回す。
次の授業で体育をやるクラスはいないみたいで、人の気配が全然なかった。
授業が終わってすぐに告白ってことは、きっと体育館の近くで行われているはず。
どこか人目につかなそうな場所は……と周りをキョロキョロしだした辺りで、ハッと我に返った。
一体告白してるところを見つけて何になるのか。
その現場を止めることなんてできないし、止める権利も明確な理由もない。
そもそも告白してるところを探そうだなんて野次馬根性もいいとこだ。真剣に告白しようとしてる女の子に失礼すぎる。
(でも、何もしないなんて……)
これ以上干渉するかどうか悩んでいたら、ふと奥から女の子の声が聞こえてきた。
「──めんね!急に呼び出して!」
弾けるように体が反応する。
足音を殺して声の方まで近づく。
(いた……)
体育用具室とプールの間に2つの人影が見えた。
さらに声がより聞き取れる位置まで近づき、体育用具室の影に隠れる。
そして、バレないように少しだけ角から覗く。
(神道くんだ……ホントだったんだ……)
神道くんと女の子が、2人きりで向かい合って立っていた。
こっちから神道くんの顔はわかるけど、女の子は背を向けていて顔は見えない。
でも制服を着ているので、ウチのクラスではないようだ。
先ほどまで体育だったので、ウチのクラスの子だったらジャージか体操服のはずだった。現に神道くんはまだジャージのままだ。
どこのクラスの子か分からないけれど、でもとても体が強張ってるのは背中越しでもはっきりと分かった。
「えーと、次の授業始まっちゃうから、本題だけ聞いていいか?」
神道くんはこの状況に薄々何かを感じてるようで、あんまり戸惑っている様子はなかった。
こういうの慣れてるのかな。
「ご、ごめんね!えーと、えーとねっ……」
「すまん、言い方が悪かった。急かすつもりじゃないんだ。大丈夫、最後までちゃんと話は聞くから」
「う、うん……ありがとう」
明らかに女の子が焦りだしたので、神道くんは落ち着かせるように言った。
やっぱり優しいな。
「えーっとね……私、神道君がこの前球技大会でテニスしてるの見て、すごいカッコイイなって思って……」
「あぁ」
「でそれで、神道君って頭も良さそうだし……友達から聞いたけど、中間テスト学年で3位だったって」
「ほえー、すげえな」
なんで他人事みたいなんだろう……。
数日の間だけだったけど、廊下に成績優秀者の名前出てたよね?あんまり順位とか興味ないのかな。
いっぱいいっぱいの女の子は、神道くんのちょっとズレたリアクションに気づかずそのまま続けた。
「でね、私クラスは違うんだけど……神道君、すごい素敵だなって思って。もっと神道君のこと知りたいなって思って……」
「……あぁ」
「それで、私のこともこれから知って欲しいっていうか、そういうのも思ってて………その……好きです!私と……付き合ってください!!」
女の子は軽く俯くようにして想いのすべてを言い切った。
告白の現場なんて初めて見たし、思わず聞いてしまった罪悪感があるけど──
(すごいなぁ……)
それよりも、最後までやりきった女の子への尊敬の念が溢れていた。
あんなにまっすぐ気持ちを伝えられる勇気は、一体どうやったら手に入れられるのだろう。あの勇気だけで十分輝く素敵な女の子に見える。
告白されて意識するようになったっていう話も、今なら分かるような気がした。
(神道くんは、なんて返事をするんだろう……)
たぶん彼の様子を見るに、今返事を待ってる女の子とは面識がないと思う。
でも、ここまで真摯な気持ちをぶつけられたら、神道くんがこの女の子とお付き合いすることを選んでも全く不思議じゃない。
(そうなったら、もうあんまり仲良くできないのかな……。でもそうなっても仕方ないのかな……私にはできなかったことだし……)
できないというか、そこまで気持ちの整理がつけてないというか。
神道くんのことは素敵な男の子だと思うんだけど、友達として仲良くなりたいのか、恋人として仲良くなりたいのかはっきりと分からなかった。
同年代の男の子の友達なんて今までできたことないから、この感情の正体が全然掴めない。
あの子は、どうやって自分の気持ちが恋だって分かったんだろう。
何を基準に恋だと判断したんだろう。
教えて欲しい、恋の境目を。
半分願うような、そして半分諦めかけたような思いで告白された男の子を見る。
話を聞いた神道くんは、「やっぱりか」みたいな雰囲気を出していた。
まぁこんなところに呼び出された時点で、だいたい誰でも察すると思う。
ていうか……神道くん、あんまり嬉しそうじゃない?すごい困ってるようにも見える。
想いを受け取った彼に笑顔や恥じらいの様子は無く、口に手を当て、斜め下を見ながら難しい顔で何かを考えていた。
あっ、いつも見る神道くんの顔だ。非日常な状況の中に現れた普段の彼の様子に、少し心が安らぐ。
あの女の子にとっては辛いであろう沈黙の時間は、そう長くは続かなかった。
神道くんは口に当てていた手を降ろし、女の子から少しだけ目線を外して口を開いた。
「ごめん、君とは付き合えない」
ドクン。
心臓が大きく揺れる音がした。
「……え」
女の子がたじろぐ。
すると、神道くんは何かを思案して言い直す。
「いや違うな、正確には『君とも付き合えない』だ」
「え?」
え……?私もハテナが出る。
言葉を訂正した彼は、顔を上げ女の子の方をまっすぐ見て続けた。
「君が真摯に気持ちを伝えてくれたから、俺もちゃんと理由を話す」
「うん……」
「その……俺さ、正直恋愛ってあんまりよくわかんないんだ。何が良くて何が得られて、どこにそんなに多く人が引き寄せられる魅力があるんだろうって」
「え?」
「そんなことよりも人生には他に楽しいことがあるのに、有意義なことはたくさんあるのにって。だから、たぶん俺は恋愛が好きじゃないんだと思う」
「そう、なんだ……」
「だからさ、俺はきっと、君を含めて今誰にどんな人に『好きだ』って言われても、付き合うことはないと思う」
「う……ん……」
「すまん、いきなりこんな話されても意味分かんないよな」
女の子の少し困惑した返事に神道くんは苦笑する。
そして、彼は軽く息を吐いた後、目の前にいる女の子の方を改めて見て──
「つまりその……君が何か至らなかったとか、君に何か魅力がなかったとかそういうわけじゃないんだ。君は何も悪くない。むしろこんなに勇気を出せる時点で、すごい素敵な女の子だと思う」
「………っ!!」
女の子は感極まった声を漏らして背中を揺らす。
あまりの優しい彼の表情に私も目を奪われる。
神道くんは少し恥ずかしそうに続けた。
「あとその……好きって言ってくれたのは嬉しかった。ありがとう」
「……うん」
「でも、テニスしてるのがカッコイイっていうのはちょっと違うけどな。あれは人めがけて球ぶつけてただけだから」
「ふふ……そんなことないよ」
神道くんが変な謙遜をすると、女の子は少し笑う。
「それで……ホントに申し訳ないんだが、こんな風に、君が好きになってくれた男子は恋愛の価値観がイカれてるんだ。だから変なやつ間違って惚れちゃったってことで、切り替えて他の人を好きになった方がいいと思う」
「あははっ、それは………そうかもね」
雰囲気を柔らかくさせるために、彼はあえて砕けた言い方をしたんだと思う。
女の子も緊張が解けたみたいになる。
「……私、神道君を好きになって良かった」
「……どうも。君ならすぐ素敵なスパダリが見つかると思うよ」
「ほんと?じゃあその時は紹介しようかな」
「気まずいからやめてくれ」
「あはは!」
すっかり明るい雰囲気になってる。告白が失敗した現場とは思えない。
「神道君ありがとう。神道君も恋愛できるようになれるといいね!」
「俺がそれを望んでないのがネックだな」
「うーん、神道君の話難しくてよくわかんないや!じゃあね!」
わっ。
女の子が振り返って駆け足でこっちにやって来る。慌てて体育用具室の影に隠れた。
隠れるのが一瞬遅れたけど、女の子はそれに気づかなかったようで、明るい足取りで校舎の方へ姿を消していった。
その姿を見届けた後、背中越しに男の子の悔しそうに呟く声が聞こえてくる。
「分かりにくかったかな……やっぱり分かりやすく伝えるってのは難しいな。ていうか、スパダリの意味合ってたよな……?」
きっと、またあの難しい顔で言ってるんだろうな。
想像してふふと笑みがごほれてしまう。
(やっぱり神道くんはすごいな……)
彼はいつも何かを考えて自分の世界にこもってるように見えるけど、いざこういう状況になると最後まで相手のことを気遣う人だ。
真剣な告白に対して真摯に答えようとしてたし、女の子を悲しませないようにもしてた。
この告白の思い出を、できるだけ良いものに昇華させようとしていた。
改めて神道くんの素敵なところを再確認できた気がした。
だが、それと同時に彼が嫌厭してるものも知ってしまった。
(そっか……神道くん、恋愛が嫌いだったんだね……)
普段彼と接していて、違和感がないわけではなかった。
彼は女の子嫌いとか女性不信って感じではないので、私や陽花を含めクラスの女の子達とは普通に接している。
けど、どこか距離を置かれるというか、たまにこれ以上は近づけない障壁みたいのを感じる時があった。
最初の頃それは付き合ってる恋人への誠実さみたいなものかと思ってたけど、でもこの前神道くんは「彼女なんていない」とはっきり言っていた。
その事実を聞いてますます違和感の正体が分からなくなっていたが、それが今判明した。
神道くんは女の子を嫌っていたわけじゃなく、恋愛を嫌っていた。
(でも……)
ふとそこで、この前のことを思い出す。
テスト終わりに神道くんがご馳走してくれたお寿司屋さんで、私は思わずその障壁の中へ侵入するようなことをやってしまったはず。
でも、彼はそれを拒絶せず受け入れてくれたように感じた。
もしかしたら、私は例外で受け入れてくれてるのかな。
少しずつなら、彼の内側へと入って行けるのかな。
それとも、彼の本当の障壁はもっと内側で、私はまだそこに辿り着いてすらいないのかな……。
願望と予想と不安が入り混じる。
ただ一つ分かるのは、いま私が、この恋なのか何なのか分からない中途半端な想いを彼に打ち明けても、それを全部まるごと受け入れてくれる可能性は0に等しいということだ。
(うん、もっと神道くんと仲良くなろう……!)
色々考えた結果、結局今まで通りの行動を続けるのがベストだと思った。
自分の想いの正体を探る意味でもそうするのが一番だと思う。というかそれしかできない。
ただそれでも、今後はもう少しだけ彼の内側へ足を踏み入れてもいいのかもしれない。
夏の季節がもうすぐ迫ってくる青空の下。
一人の女の子の尊い勇気に、背中を押された気がした。
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